FMヨコハマを支えたアナウンサーたちの今を教えて!
ココがキニナル!
FMヨコハマのアナウンサー木島京子さん、今はどうされているのでしょう。市営地下鉄のアナウンスが木島さんと聞きました/山下くに子さん、帆足由美さんの今は?(きじみけさん/mikimisaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
木島さんはナレーターとして活躍中。市営地下鉄のアナウンスはすべて今も木島さんである。山下さん、帆足さんもそれぞれ声の仕事を中心に活躍している。
ライター:久保田 雄城
ナレーターへ活動の場をシフト~木島京子さんの今(つづき)
木島さんがアナウンサーを志すきっかけは、帆足さんと同じく友達の存在だった。高校時代に地元のラジオ局で高校生がDJをできる番組があり、それに友達が出演したという。それを聞いて、木島さんも応募し、その番組に出演した。
番組で伝えたメッセージは、「みんな、悩む事も多いけど、前を向いて一生懸命がんばろう」といった内容だ。すると放送数日後、ラジオ局宛てに、木島さんのDJが素晴らしかったというリスナーからのハガキが届いた。
彼女はそこで、「放送というものはこんなにも影響力があって、人に訴えかけるものがあるんだ、たくさんの人々に自分の思いを伝えられるアナウンサーの仕事って素敵だなあ」と思ったことが始まりだったという。
ジェスチャーを交え、快活に話す木島さん
終始豊かな表情で、時にはケラケラと大きく笑いながら話す木島さんを見ていると、彼女の持つ圧倒的なポジティブパワーが筆者にも沸いてくるようだった。
落ち込んだり、気分がもやもやしている時に、筆者もこの優しく元気でパワフルな木島さんに「喝!」を入れてもらいたいと思った。この明るいキャラクターこそがリスナーから愛された理由だろう。
マルチな才能を開花させ、新たな場で活動~山下くに子さんの今
ちょっとモデルさん風にポートレート
圭三プロダクションを後にして、きれいな夕暮れ時に、とあるアイリッシュパブで山下くに子さんに会った。
彼女は、帆足さんと同期。FMヨコハマの開局直前に入社して、3年間アナウンサーとして活躍した。その後はフリーランスとして、通信社のレポーターや雑誌でのライターをしながら、現在はAM放送「山下くに子の見酒・聞き酒・語り酒」(秋田放送・岐阜放送・山陽放送・山口放送)のパーソナリティーを務める。
それに加えて、甘酒師、利酒師、ソムリエとしての顔も持っている。その流れで、2009(平成21)年には「夏でもおいしい麹甘酒で健康になる」(小学館)という書籍も出版した。そのほかにも、イベントの司会、通信社での映像取材ディレクター等の仕事をしている。
着物姿も艶やかに司会を(画像提供:旭酒蔵)
「後にも先にも、あんなに忙しく働いたことはないですね」。FMヨコハマ時代の思い出について尋ねると、帆足さんと同じような答えが返ってきた。
毎日毎晩、終電まで働き続けた。空き時間が10分でもできると、そこに別の仕事を組み入れてこなしていくという連続だったそうだ。どんな業種でもそうだが、会社を立ち上げる時というのは、本当にスタッフは激務になるものだ。
山下さんはFMヨコハマ時代に、当時のキーマンだったディレクターからメディアに対するノウハウやスタンス、特に危機管理について学べたことが今も本当に役立っていると語る。華やかに幅広く活躍する山下さんだが、彼女の仕事の原点となる場はFMヨコハマだったのは間違いないだろう。
かわいらしい表紙の山下さんの著作
「ともかく(帆足)由美ちゃんとは仲が良かった」と懐かしそうな表情で彼女は話す。ただ仲が良いのではなく、開局前後の戦場のような職場を生き抜いた文字通りの戦友でもあった。仕事をどうにかこうにか終わらせて、帆足さんと二人で野毛界わいに飲みに出かけたこともあったそうだ。
山下さんは今だから言える話として、ちょっと声を潜めながら話してくれた。その日、前の晩に飲んだくれて、ほとんど寝ない状態で出勤した。最初はまだ酔っていたのかテンションが高かったが、ニュースを読む直前、急に気分が悪くなってしまった。ディレクターに「ごめん、今日、読めない」とよっぽどお願いしようかと思っているうちに本番になってしまったので、なんとか読み上げたという。
しかし、まわりのスタッフに「くにちゃん、今日もよかったねえ!」と声をかけられたそうだ。どんなに体調が優れなくとも、きちんと普段と同じように仕事をこなす。これだけのプロ根性を持っている人だから、次々と活動の幅を広げていくことができたのだろう。
お酒が入って滑舌もよりなめらかに
ほんのり、山下さんと筆者の酔いがまわる頃、取材を終え握手を交わしてそのアイリッシュパブを後にした。ひんやりとした夜風がほほに気持ち良い帰り道だった。
取材を終えて
3人を取材して痛切に感じたのは、良い意味でのそれぞれの個性の強さ。彼女たちがフリーランスとして長い間やってきた、そしてやってこられた理由はここにあるのだと思う。彼女たちは優しくタフで、そして何よりポジティブな発想の持ち主だった。
当時のFMヨコハマの自由で斬新な放送スタイルが垣間見える取材だったが、その自由を受け止めたのは、港町ならではの貪欲に新しいものを取り入れていく横浜という街の風土だろう。
すなわち、リスナーである横浜市民の懐の大きさだったのではないか。FMヨコハマは、ここ横浜で生まれるべくして生まれた放送局だったのだとつくづく思った。
―終わり―
イーグル・ベイ(帆足由美プロフィール)
圭三プロダクション(木島京子プロフィール)
山下くに子(公式ブログ)
たろーさん
2013年05月04日 16時11分
木島さんや帆足さんの声はいまだに脳裏に焼き付いてますね♪
雲葉 @since1992さん
2013年05月04日 14時02分
大桟橋にサテライトスタジオがあったのは、もう20年以上前?そこでパーソナリティーをしていた先輩を見に行ったのが懐かしく思い出されます。
ゆ~ぱぱさん
2013年05月04日 13時23分
懐かしいですね。当時、産貿センターの5階だったか7階だったかにFヨコがありましたね。番組プログラムを貰いに行ってました。