東海道の名残を探す旅!はまれぽ東海道中膝栗毛
ココがキニナル!
横浜市内に3つの宿があった東海道。今も、当時をしのばせる「名残」が各所に残っている。編集部・千葉が、はまれぽ誌上の記事を振り返りながら、その名残を探す旅に出発!
ライター:はまれぽ編集部
区をあげてまちづくりに取り組む保土ケ谷宿
東京・日本橋から32kmあまりの保土ケ谷(程ヶ谷)宿は、武蔵国の最西端にある宿場町。幕府の役人や参勤交代の大名が宿泊する本陣のほか、同等の機能を備えた「脇本陣」が複数あり、規模の大きな宿だった。
はまれぽに何度も登場している「本陣跡」
次の戸塚宿まではおよそ9km。権太坂をはさむので、日本橋を出発した旅人は、初日のうちに権太坂を越えて戸塚に宿泊するか、保土ケ谷宿で休んでから明日に備えるか迷うところ。
宿の客引きも必死で、しきりに旅人に声をかける様子が「東海道中膝栗毛」に描かれている。戸塚前で客を「とっつかまえる(ず)」様子を詠んだ狂歌があることを、「『とっつかまえる』の語源は『戸塚まえる』って本当?」の記事でも紹介した。
歌川広重の浮世絵の画題は「新町橋(現・帷子橋)」
現在の帷子橋。昭和の改修によって場所は変わってしまった
保土ケ谷では、現存する貴重な建物や史跡などを保存しPRしていこうと街ぐるみで取り組んでいる。旅籠屋「本金子屋」跡は、「まちかど博物館」として登録されている。現在も生活している住宅なので、見学は外観だけだ。はま旅「保土ケ谷編」でも、その街並みをじっくりと散策している。
「まちかど博物館」のリストは区のホームページにも
脇本陣「水屋」は、今の保土ケ谷消防署本陣消防出張所。
「横浜で顔出しパネルがある場所ってどこ?」にも登場した
また、権太坂も保土ケ谷宿に含まれるというのが一般的だ。当時は今以上の急坂で、上りきれず行き倒れる旅人もいたという(「権太坂の名前の由来は?」より)。
思わずまげも取ってしまう権太坂
地元の方との触れ合いも旅の醍醐味。続いて戸塚宿へ!