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古都・鎌倉にも空襲被害があったって本当?

ココがキニナル!

太平洋戦争中、古都鎌倉にも空襲があったらしいので取材をお願いします。/鎌倉ゆかりのラングドン・ウォーナーの取材をお願いします。(小鳩さん)

はまれぽ調査結果!

焼夷弾による空襲は一名の証言があるのみだが、艦載機(かんさいき)による機銃掃射(きじゅうそうしゃ)は何回かあった

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ライター:松崎 辰彦

“平和の時代の人々には想像もつくまい・・・”



戦闘機による機銃掃射は低空飛行で行われたので、住民に与える恐怖感は絶大なものがあった。また空襲警報も頻繁に鳴り響き、横浜大空襲などほかの都市が火の海となるのを眺めるような状況も続いた。

そんな当時の鎌倉住民は、一体どのような心持ちで日々生活していたのだろうか。

『一九四五年 鎌倉と米軍機による空襲』を読むと、当時の鎌倉住民がいかに大きな不安や動揺、疑心暗鬼の中で毎日を過ごしていたかがわかる。

のみならず政府が「空襲の際に住民は逃げずに消火にあたれ」と指導したことがさらに人々を追い詰めたと思われる。東京大空襲の報を聞いた大佛次郎は日記に書いている。

「初期消火を強制するために大量の死者を出せしものらし(注・死者を出したもののようである)
 


大佛次郎


戦争末期、繰り返される空襲警報を背景に、高見順はこのように記す。
「この頃はもう朝から晩まで警報が鳴りつづいている。(空襲警報で)横穴へ入った。下の町の人達がいっぱい来ている。布団や荷物を持ち込んでいる。横穴の前に立つと、八雲神社の向こうに横須賀の空がそのまま見える。敵襲の急降下が何か見せもののように眺められるのだった。空襲警報は夕刻までつづいた。」(718日)

こうした状況の中で、住民は生活を営んでいたのだ。
大佛次郎はさらに書く。
「極端に云えば刻々死に直面している現状を人が意外に苦にせぬものだ。なるようになれと思っているせいもあるが感覚が漸次調節され慣らされて来るのである。」
「巷を見て人に無気力感がつつみきれぬのを知っては憂心抑え難し、焼けてくれたほうがさっぱりするぜと女房と話す。」(41日)

現代の私たちには想像もつかない光景だが、そんな私たちを見越したようなことも彼は書いている。
「この日一日に本土に侵入した敵機の総数は千数百機に上っている。こういう日々というのは我々でさえはっきり呑込めぬのだから、後世の平和の時代の人々には想像もつくまい。」(85日)

停電や断水といった事態も起き、断水中に焼夷弾がきたら大変なことになるなど、憂慮の種はつきない。高見順は「たった一機のおとす焼夷弾で、必ず火災がおこる。そうした日本の家屋の脆さが口惜しい」(17日)と日記に書き記す。




デマ・流言蜚語・迷信



さらにデマや流言蜚語(りゅうげんひご)、迷信のたぐいも不安心理の上に乗って広まったようだ。

いわく「朝食にラッキョウを食べると弾に当たらない」あるいは「金魚を拝むと爆弾除けになる」などといったことがいいふらされ、生きた金魚が入手困難になるなどといった笑うに笑えない話も残されている。たとえ迷信でもすがりたい──という人々の苦しい心持ちが現れている。
 


金魚は入手困難になったという


もっと現実的なデマになるとやはり「○日に鎌倉が空襲でやられる」というたぐいの情報であり、ひそかに人々の間でささやかれたようだ。

現在でも「○月に地震がある」などという怪しげな話がネットで広まるが、当時の人達にとって空襲の今後の展開はまさに命を左右する情報だったのだ。

実際に米軍はビラをまいたようで、一説には“無駄な戦争をやめるように”といった内容が書かれてあったという。



ウォーナー恩人説を考える



散発的な機銃掃射や爆撃を経験はしたが、鎌倉は猛火からは逃れられた。

これに関して、アメリカの美術史家であるラングドン・ウォーナーLangdon Warner(1881〈明治14〉年~1955〈昭和30〉年)がアメリカ政府を説得したために鎌倉や京都は空襲を免れたのだという話が昔から伝わっている。
 


鎌倉駅


ハーバード大学卒業後に日本を訪れ、帰国後は東洋美術関係の研究をしたウォーナーは、太平洋戦争に際して、文化財保護の観点から、京都や鎌倉などの古都は文化財の宝庫だから空爆すべきでないと政府に進言し、そのためにこれらの都市が戦災から免れたのであるというストーリーが語られてきた。

現在、鎌倉駅西口にはそうしたウォーナーの功績を讃える顕彰碑があり、『文化は戦争に優先する』と大きく書かれ、さらにウォーナーが日本の文化財を戦災から救ったとする説明がなされている。
 


鎌倉駅西口にあるウォーナー顕彰碑


この“ウォーナー恩人説”は昔からさまざまに喧伝され、これまで多くの日本人が信じてきた。

一方、近年ではこれに反対する説も提出されている。歴史学者である吉田守男氏は著書『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』の中で、ウォーナーが作成したとされる日本の文化施設・文化財を記した「ウォーナー・リスト」は、決して日本のそれらの財物を戦災から守るために作られたわけではないことを、さまざまな根拠を挙げて説明している。
 


『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』


石井氏も吉田説に同調する。
「米軍は日本の地域ごとに人口密度を割り出し、密度の高い順番に空襲を行いました。全部でおよそ180の都市の人口密度を割り出したのですが、それによると鎌倉は124番目でかなりおそく、そこにくるまでに8月15日を迎えたということです。また軍需工場がなかったことも幸いしました」

ただ大船には当時、富士飛行機という軍需工場があったので、戦争が長引けば空爆されていたかもしれません、と石井氏。世界に冠たる文化財の都であるために米軍も鎌倉への攻撃を控えた、と断定するのはまだ早計のようである。



神経的にも肉体的にも疲れて、終戦を迎えた



鎌倉は焼夷弾から逃れたが、隣の横浜は5月29日に大空襲に遭っている。その記述が生々しい。大佛次郎は日記に書く。

「九から十二機のB29の幾塊りが大臣山の空を間隔を置きて通り高射砲弾が飛白(かすり)の如く空をよごすがからあたらず腹が立つ。」(5月29日)
 


鶴岡八幡宮の裏にある大臣山


高見順は「横浜は一ぺんで灰燼に帰したのではないか。」と不安を洩らす。彼は平塚空襲も目撃した。「夜、空襲。平塚藤沢方面の方に当たって火の手があがる。『さあ、来るぞ』──荷物を庭に持ちだした。覚悟した。が、来なかった。『いずれは来るな』と言葉を交わした。疲れた。神経的に、肉体的に。」
 


平塚空襲被災後の市内(画像提供:平塚市博物館)


戦争末期、鎌倉の住民はいつ来るかわからない空襲の不安に脅え、疲れ果てながら、日々生活していたのである。
そして8月15日を迎え、人々は自分たちの周囲を被っていた帳が消えるのを感じた。続く戦後のさまざまな変化を経て、古都鎌倉は平穏な日常を取り戻したのだった。
 


平和な現在の小町通り


現在は歴史と文化の都である鎌倉だが、その影には銃弾により命を奪われた一般住民も存在したのである。こうした事実を伝承することが、私たちに求められていよう。



取材を終えて



戦後生れが人口の4分の3を占めているという現代日本。日本が被った空襲は戦争を扱った映画、ドラマや『火垂るの墓』のようなアニメの中の出来事でしかなくなりつつある。

古都鎌倉にも空襲があったとはにわかに信じがたい。
だが証言の記録もあり、犠牲者も出ている。

腰越の女性の犠牲者は、警戒警報が発令されたために学校の授業が中止となり、下校中だった子どもたちに敵の戦闘機が襲いかかったのを叫び声で知って、「坊やたち、危ないからウチへお入り──」と縁側に出てきたところを機銃掃射で撃たれたのだ。弾は肩から脇まで貫通し、さらに縁側を突き破り、地下2メートルまで貫いていたという。
 


腰越駅


平穏な鎌倉にも、かつてこのような日々があったのである。さまざまな寺社や文化財をめぐるのも楽しいし、意味のあることだが、鎌倉にあって平和というものの尊さを深く考えることも、日本の将来を見つめる上で大切なことに違いない。


―終わり


<参考文献>
石井喬『一九四五年 鎌倉と米軍機による空襲』(かまくら春秋社)
吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日新聞社)
ほか
 

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  • 戦争は軍隊同士の戦いが本来の姿であり、民間人を無差別に殺戮するのは国際法違反の、只の殺人行為、犯罪です。第二次対戦で欧米人の『黄禍主義』による、この犯罪を不問に付したのが現在の秩序の無い、大国主義に繋がっています。根拠も無い慰安婦問題で頭抱えるのなら証拠の有る、この一般人に対する無差別殺人を問うべきだと思いますが、どこかの国と違い国際的に解決した問題だと片付けるのが日本人の良い所でもあり悪い所かな?

  • 素晴らしいれぽでした。戦争を語れる年代の人が年々少なくなってきている今こそ、メディアにはこのような戦争特集を頑張ってほしいと思います。

  • アメリカ軍が丸腰の市民を標的に銃弾や爆弾を使ったことをB,C級戦犯として、罰せられなかったことが、今のイラク、アフガン、靖國の各種問題の火種と思います。

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