昭和40年代まで金沢区にあった富岡射撃場について教えて!
ココがキニナル!
昔は富岡に射撃場があった。高度成長期には盛んでウルトラセブンの最終回にもクレー射撃のシーンがあるほど。今は住宅地になって面影もありませんが富岡射撃の歴史について調べて下さい(駅馬車さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
富岡射撃場は1955年に開催された国体のために作られ、昭和40年代になって、周辺の宅地開発が行われ、売却。1972年に伊勢原に移転した
ライター:橘 アリー
	現在の様子は?
	 
	
	
	前にも書いたように、現在は富岡西公園となっている
	 
	
	外から見ても、射撃場があったとは思えない普通の公園である
	 
	
	公園の外から野球場があるのが見える
	
	公園の沿って歩いて行くと、駐車場と管理棟が見えて来る。
	 
	
	
	周辺は閑静な住宅地だ
	
	寒い日だったので、人があまりいない。
	公園内の様子からは、射撃場があったことが想像できない。
	 
	
	
	管理棟へ行って、射撃場があった当時のことを聞いてみることに
	
	すると、そこで働いている方は、以前は射撃場だったことを知らなかった。
	では、公園に来ている人で、射撃場についてご存じの人はいるだろうか?
	
	管理棟から外へ出たが、やはり人がいない。
	 
	
	
	野球場周辺の様子
	 
	
	野球場の横にはテニスコートが見える
	
	テニスコートには数人、テニスをしている人がいた。
	お話を聞けそうな人はいないだろうか周囲を見回していると、仕事の休憩時間に公園に来たという人に出会えた。
	 
	
	
	仕事の休憩時間によくここへ来ると言う、臼井さん
	
	臼井さんは、ここが以前は射撃場だったことをご存じだった。
	そして、当時、周辺の土地開発の仕事をしていた人が、ほぼ毎日、ここに散歩に来ると教えてくれた。
	この日も、そろそろ来るころだと言うので暫く待つことに。
	待つ間、少し散策してみると、テニスコートの横の方に、見晴らしの良い広場があった。
	 
	
	
	広場の様子
	
	寒い日なので、今日は散歩に来ないのでは・・・、と心配しながら待っていると、犬と一緒に、その人がやって来てくれた。
	 
	
	
	弾に当たったことがある!?
	 
	
	
	高尾さんと愛犬のポチ(残念ながら顔出しがNGとのことなので後ろ姿)
	
	高尾さんは、野村工事(現:大和小田急建設)という会社でこの周辺の土地の開発の仕事をしていたそうだ。
	
	周辺の開発は、最初は日本国土開発が行っていて、開発の何期目からか野村工事も加わるようになったとのこと。
	 
	
	
	射撃場があった場所を、つえで指して教えてもらった
	
	高尾さんによると、射撃場は、野球場やテニスコートがある高台の国道16号側の平地にあり、昭和40年代当時、射撃場には多くの人が訪れていたそう。
	
	一般の社会人のほかにも、防衛大学の学生や、有名人では俳優の三橋達也さんがよく来ていたという。
	
	当時の思い出を聞いてみたところ、すぐ側で工事をしている時に、上空からクレー射撃の弾がパラパラと降ってきて、それに当たったことだという。
	ヘルメットを被っていたこともあり、怪我はしなかったが、とても驚いたのだそう。
	
	そんなことがあったとは、本当に驚きである!
	 
	
	
	写真中央の木の茂みの辺りで工事をしていたそうだ
	
	高台から下を見ると、子どもの遊具が一つある広場が見える。
	この遊具の斜め後ろ辺りが、クレー射撃を打つ場所だったそうだ。
	 
	
	
	けっこうな高さがある
	 
	
	階段の下から見た様子
	 
	
	子ども用の遊具の滑り台があるここは、駐車場だった
	 
	
	弾が降ってきたのは、この辺りの工事の時なんだそう
	 
	
	クレー射撃は、この辺りから撃っていたそうだ
	 
	.jpg)
	クレー射撃の様子(第10回国体記念写真帖・1955神奈川県より)
	 
	
	高台の斜面に向かってクレー射撃が行われていた
	
	現在はなだらかになっているが、クレー射撃が行われていた斜面がいまも残っている。
	 
	
	
	取材を終えて
	
	ちなみに投稿にあった、ウルトラセブンでクレー射撃のシーンについて、当時の様子をイメージ出来ればと思い円谷プロに画像提供をお願いしてみたが、「残念ながらウルトラセブンはクレー射撃をしておらず、エキストラのような人がしていたので、使用の許可を取るのが難しい・・・」とのことで、今回は画像をお借りできなかった。
	
	今回は、意外にも公園内の形状に射撃場があった名残りがあったり、偶然にも弾に当たったことがある人と出会うことができたりしたことなど、面白い発見があった取材だった。
	
	今はマイナーな存在である射撃が盛んだったころがあった。そんな事を思いながら、跡地の公園を訪れてみてはいかがだろうか。
	
	
	―終わり―
	 





面白かった
面白くなかった
コメントする














viva平塚さん
2016年01月09日 18時01分
背中ワッペンだらけの人が渋い
ライフルマンさん
2015年11月09日 20時32分
懐かしいですね。昭和40年前後によく月刊誌「GUN」の主催でライフル射撃大会が行われ、私は高崎市から参加していました。当時「野獣死すべし」の作者、大藪春彦氏も愛車フェアレディ1600を駆って参加していました。京急富岡駅から射撃場まで少し登り道を歩いて15分位だったと思います。
駅馬車さん
2014年02月25日 11時18分
調査ありがとうございました。20年以上前に噂を聞いて見に行ったことがあったのですが、当時は伊勢原に移転したことも知らなかったので全く見つからずに困ったのです。今は公園になっているのですね。土地の売却代金で買える土地ということで伊勢原になったと言う話は今の行政にももっと生かして欲しいです。私の記憶ではウルトラセブンのダン隊員がクレーをしているように見えるのですが、エキストラの人だったとは驚きでした。