ジャズが似合う港街、横浜で一番老舗のジャズハウスはどこ?
ココがキニナル!
横浜に老舗といわれるJazz Houseはいくつもありますが、現存しているお店でいったいどこが一番古いのでしょうか?調査をお願いします。(brooksさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
はまれぽの今回の調査では、1956(昭和31)年から59年間営業を続けている野毛の『ダウンビート』が一番古いジャズハウスだった。
ライター:篠田 康弘
横浜一の老舗ジャズハウス、ダウンビート
どのような店かを知ろうと思い、取材に先駆けて筆者は野毛のダウンビートにお邪魔して音楽を聴いてみた。
専門店の薄暗い店内で、静かにお酒をかたむけながら、家ではできない「大音響」で聴くジャズは格別であった。
その後取材を申し込んだところ、日を改めてマスターの田中さんからお話を伺うことができた(本人の希望により写真は非掲載)。
ダウンビートの看板
左上のロゴの下には「SINCE 1956(1956年から)」と書かれている
田中さんに、ダウンビートより古いジャズハウスが横浜市内にあるか聞いてみたところ
「ないんじゃないかな。多分ここが一番古いよ」という回答であった。
ここまで取材した中で一番古い店の話であるから、ダウンビートが一番の老舗であることはまず間違いないだろう。
ということで、引き続き田中さんにダウンビートの歴史を伺った。
1956(昭和31)年の開店時は若葉町に店舗があり、60年代中ごろに現在の野毛に移転したきたそうだ。
開店直後の1959(昭和34)年当時の若葉町界わいの地図
地図を拡大したもの。中央の赤い点がダウンビート
店名の由来を聞いたところ、アメリカのジャズ専門誌『Down Beat』から名付けたとのことであった。そう言うと、田中さんは天井を指差して「天井に雑誌が貼ってあるでしょ。あれ全部『Down Beat』ですよ」と説明してくれた。
ダウンビートの天井。一面に雑誌やレコードが貼られている
若葉町当時の店の様子を伺ったところ「店内の雰囲気は、今とあんまり変わらないね。引っ越す時にできる限り同じにしたからね」とのことであった。
若葉町当時の雰囲気を残した、ダウンビートの店内
ライブの時に用いられるピアノと、重厚な音を奏でるスピーカー
薄暗い店内。大きなスピーカーとピアノ。飾り気のないテーブルと椅子。タバコの煙の染み込んだ壁と天井。これぞジャズハウスという雰囲気である。
店内には、テーブル席のほかにカウンター席も用意されている。
カウンター席はちょっと明るめ
ちなみに現在はテーブル席が喫煙席で、カウンター席が禁煙席と分煙されている。
若葉町時代から使い続けられている、貴重なアイテムも見せていただいた。
開店当時から使用しているコーヒーカップ
ちなみにコーヒー豆も、開店当時から同じものを使用しているそうだ。
灰皿。市外局番が一桁のところに年代を感じる
マッチ箱。現在はもう配布していない
マッチ箱には「SNACK TIME 11:00PM〜5:00AM」と印字されている。昔は終電がなくなるとジャズハウスに行き、軽食を食べたりお酒を飲んだりしながら、始発電車が動くまでジャズを聴き続ける人がたくさんいたそうだ。
60年近く営業を続けているダウンビートだが、閉店の危機はなかったのだろうか? 伺ったところ「19年前に先代が亡くなったときが最大の危機でしたね」と話してくれた。
書くのが遅くなってしまったが、田中さんは2代目のマスターである。
初代のマスターであり、1956(昭和31)年にダウンビートを開店させたのは安保隼人(あぼ・はやと)さんだ。
店内に飾られている、初代マスターの安保さんをモデルにした絵画
田中さんは古くからのダウンビートの常連で、60年代の若葉町にあったころから通っていたそうだ。
転機が訪れたのは1996(平成8)年。安保さんが病気になり、常連だった田中さんに次のマスターをやらないかという話が来たそうだ。
話を聞いた田中さんは、マスターとなることを決める。その後安保さんは亡くなったが、田中さんが店を引き継ぎ、現在もダウンビートを守り続けている。
店の財産である約3600枚のレコードは、今でも素敵な音色を奏でている
最後に田中さんに、なぜ横浜ではジャズが盛んなのかを聞いてみたところ「港町だってことが大きいんじゃないですかね。いろんな人が行き来する港町は、どこも音楽が盛んですよ。外国人が持ち込んだジャズという珍しい音楽を、港町の音楽好きたちが聞くようになり、街に根付いていったんでしょう。あと、戦後に米軍の施設ができて、ジャズ好きのアメリカ人がたくさん来日したというのも大きいでしょうね。うちも昔は、アメリカ人のお客様がたくさん来てましたよ」と話されていた。
なるほど、港町横浜は、なるべくしてジャズの似合う街になったというわけか。
取材を終えて
最近はどこでも手軽に音楽を聴けるが、やはり大音量で聴ける専門店でゆっくり聴いた方が楽しい。今回の取材を通じて、改めてそう思った。老舗というとちょっと気後れしてしまいがちだが、いったん扉を開けると、そこには歴史のつまったすばらしい世界が広がっている。皆さんも老舗に足を運んで、自分の目と耳で、文章や写真では伝えきれない魅力を確かめてみてほしい。
最後になりますが、島さん、高橋さん、田中さん、取材にご協力いただきありがとうございました。
―終わり―
横濱ジャズプロムナード
http://jazzpro.jp/
中山さん
2017年01月16日 19時16分
初めて連れて行ってもらった、ジャズ喫茶はダウンビート(ビート)薄暗い店内で お爺さんが前掛け付けて?リクエストどうぞと?ファイルは全て英語!で マスターのお勧めを? ジョンコルトレーンでした?初ジャズです!それからビートに通学?ちぐさは狭い店内正面大きいスピーカー 壁にはヒノテル等写真、LPレコード 座席は横向き詰めながら座る?、店に入って着席、すると吉田衛マスターが?「おい!奥に座れ!」と言われました狭いから私が悪かった、それからリクエストすると拒否され?これ聴けと別の…ビルエバンスでした 曲聴いて衝撃受けましたよ!今はマンションになってしまって?
TOMIさん
2015年03月29日 02時32分
私は曾祖父の代の明治の頃から中区住まいですが、昔からジャズがよく聞かれた町だと父も言ってました。私が子供の頃はキャバレーもたくさんあって、ビッグバンドが毎晩演奏していました。夕方になると近所のキャバレーの非常階段でトランペットを練習するミュージシャンがいたり、バンドの音出しで様々な楽器の音色が聞こえてきたものです。でも、うめもっとさんが書かれているように、レコード喫茶とライブハウスは全く違うものですよ。
たこイチローさん
2015年01月14日 19時29分
あえて書きませんでしたが、私も「Rock」でしたよ、Zappaさん。「ロックハウス」(笑)の老舗、グッピーが閉店してもたいして話題にもならず、当然(?)はまれぽの記事にもならず…。いわゆる「不良の溜まり場」だった「ロック喫茶」の方が、個人的には圧倒的に懐かしい。ゴールデンカップスのメンバーなんかも出入りしていた福富町の「ムーテェ」や「塾」、日ノ出町の「音楽の館」、横浜橋の「クレオ」、弘明寺の「童夢」…他にも点在してましたよね。きっと、Zappaさんともどこかですれ違っていたでしょうね(笑)。