鎌倉の謎地名、「谷」を「やつ」と読む理由は?
ココがキニナル!
鎌倉市には「~谷」を「~やつ」と読ませる場所がたくさんあります。その所以がキニナル!/鎌倉に近い金沢区でも同じような地名が!併せて調査を。(sky13748さん/たにけいさん)
はまれぽ調査結果!
「谷(やつ)」がつく地名が多いのは山の間という地形が由来。「やつ」と読むのはアイヌ語の語源とされ鎌倉では日常的に使われていた。
ライター:橘 アリー
なぜ「谷」を「やつ」と読ませるのか!?
鎌倉駅近くの「小町通り」で、観光で訪れている方々に聞いてみると
20代~60代の男女10名に伺ったが、「谷」を「やつ」と読んだ方はなく、全員「たに」と読んでいた。鎌倉では「谷」を「やつ」と読み、「谷」がつく地名が多いことを伝えると、皆一様に驚いておられた。
では、鎌倉在住の方々はどうなのだろうか?
鎌倉市の文化施設「鎌倉生涯学習センター」に来られている地元の方々に聞いてみると
40代~70代の男女9名に伺ったところ、全員、「谷」を「やつ」や「やと」と読んでいた。
鎌倉では、「谷」を「やつ」や「やと」と読むのが昔から一般的で、「谷」の漢字がつく地名も多いので、特に不思議に思うことは無いそうである。
続いて、なぜ地名に「谷」という漢字が多くあるのだろうか調査してみた。
その結果、鎌倉の地名に多い「谷(やつ)」は、鎌倉の独特の地形からきているようだ。
鎌倉は南が海に面し、北・東・西を低めの山に囲まれている。
鶴岡八幡宮を中心にして・・・
鎌倉市街の西側に源氏山(げんじやま)があり、その尾根が海の方に延びて海岸近くで稲村ヶ崎(いなむらがさき)となっている。北には六国見山(ろっこくけんざん)、東に鷲峰山(じゅぶせん)、大平山(おおひらやま)、天台山(てんだいさん)。南東に絹張山(きぬばりやま)、浅間山(せんげんやま)、名越山(なごえやま)などがある。
鶴岡八幡宮本殿を背にして見ると、左右に山が迫っているのが分かる
赤丸が鶴岡八幡宮。地図でも山に囲まれているのを確認できる(『鎌倉観光地図』より)
これらの山々に囲まれた地形の特徴として、山々の間に谷間が多いことから地名に「谷」という言葉が多く使われているようである。
ではなぜ鎌倉ではこの「谷」を「やつ」と読むことが多いのだろう。
まず『広辞苑』には「谷をやつと読む場合は、関東地方、特に鎌倉の辺りに多く、その意味はアイヌ語の低湿地からきている」とあった。
アイヌが関係している?(フリー画像より)
さらに、谷(ヤ)谷戸(ヤト)谷津(ヤツ)谷地(ヤチ)の研究をして書かれた『関東地名物語』によると、鎌倉では「やつ」は特別ではない普通の名詞として使われていて、「平地に山が入り込んだところ・その行き止まり」などの意味があるという。
「やつ」「やと」の語源については諸説がある。
奈良時代の『常盤国風土記』には「葦原を開いて田んぼを作ろうとしたときに夜刀ノ神(やとのかみ、蛇神こと)が現れて妨害した」という記述があり、「やと」はここから来ているという説や、「谷をやつと言うのは、アイヌ語の湿地を意味するヤチから来ている」という柳田国男説などがあるそうだ。
湿地帯=ヤチ(フリー画像より)
当時は「やつ」「やと」を漢字の「谷」に当てはめていない。しかし、こういった語源から、谷間の地形を意味する「やと」「やつ」が、関東内部で古くから使われてきた東言葉(あずまことば・関東の方言)の一つとして現代まで伝わっていると推測されている。
自然が残されている「扇ヶ谷」の風景
「谷」は西国(日本西部の諸地域)の言葉でそれに対して東国では「沢」が使われていたという云われがあるようだが、「やと」は関東内部で古くから使われていた東言葉の名残りで、谷間の地形を指す方言だったそうだ。
そして「やつ」と「やと」の使い分けは、その地方の方言の差によるようで、時には「やず」と濁る場合もあるそうである。
では、実際に、鎌倉では「やと」「やつ」をどのように使い分けているのだろうか。
形状と呼び名!?
鎌倉市役所で伺った
鎌倉市の観光商工課と文化財課のご担当者によると「やと」と「やつ」の違いは「やとは山と山との谷間の形状のことを意味していて、やつはその谷間の名前に使う」そうである。
そして鎌倉では多くの場合「やと」と呼ばれる場所には川が流れていて、お寺がある。お寺の境内そのものが「やと」の形になっていることもあるそうだ。そして、その先は前述の「平地に山が入り込んだところ・その行き止まり」という意味通り、行き止まりになっているとのこと。
資料で確認すると「やと」の先が行き止まりになっているのが良く分かる
(廃止になった寺に関する鎌倉市文化財課資料より)
古くから使っている地名として「谷」と書いて「やつ」と読むことは、鎌倉では一般的なのだ。
最後に、現在の「やと」の様子を「比企ヶ谷(ひきがやつ)」で見ていくと・・・
滑川(なめりがわ)が流れていて
妙本寺(みょうほんじ)があり
お寺の門を入っていくと
奥に日蓮聖人を祀ったお堂があり、その先は行き止まりとなっていた
取材を終えて
多くの「やつ」は、現在は住居表示に使う地名では無い。しかし、その地域の呼び名として鎌倉では今でも親しまれ使われているそうだ。
そんな「やつ」の一つに「御谷(おやつ)」というところがある。
「御谷」は鶴岡八幡宮の裏手の地域。1964(昭和39)年には「御谷」の宅地開発に反対運動が起こった。これは「御谷騒動(おやつそうどう)」と言われ、その中心となって開発に反対したのが作家の大佛次郎だそうだ。
「御谷」の風景鎌倉風致保存会のパンフレットより
その後、1966(昭和41)年に、市民の寄付金で御谷の山林を買収し保存された。
これが日本のナショナル・トラスト(市民が協力して自然環境を買って保存すること)の第1号とのことだった。
―終わり―
参考文献
『鎌倉の地名由来辞典』
『広辞苑』
『神奈川県の地名』
『鎌倉 なるほど辞典』
『関東地名物語』
『鎌倉検定公式テキストブック』
『横浜市釜利谷開発地区文化財研究調査報告書』
『道標等で辿る金沢道』
tach1さん
2016年08月14日 07時36分
前のコメントにあった宮ヶ谷(みやがやつ)は、江戸初期まで、ここに手子神社があったことに由来しています。場所は今の町内会館の裏山です。その縁もあって、手子神社の夏祭りの宮入りは、宮ケ谷町内会が一番目と決まってました(子供の頃の記憶ですが)。言い難いので、地元でも「みやがや」で済ますことありますね…。お隣の「きたやつ」はそのままですが。
mimichanさん
2016年06月28日 10時09分
明治、大正の時代、日本の地名が難解なので、アイヌ語や朝鮮語で解こうとすることが流行した。言語や語彙は時代によって変わるものであって、現代語と古語には表記も発音も変わることが理解されず、現代語で説明できない言葉を、アイヌ語や朝鮮語で説明しようとした。それならアイヌ人はいつまで鎌倉にいたのか?これらの地名ができた時代にまでいたのか?1000年前にできた地名なら、1000年前に地名の命名者として多数のアイヌ人がここにいたのか?「00やつ」という地名のうち「やつ」がアイヌ語なら、なぜ00部分は日本語なのか?という疑問に答えられない。高島俊男さんなどが書いているように、広辞苑にも間違いが多く、このような問題についてあまり頼りにすべきではなかろう。やつ、やとの問題は、鏡味親子、楠原佑介などが書いた地名の語源辞典をもっと参考にすべきだろう。
∵さん
2016年03月03日 05時25分
自分は、鎌倉周辺の谷と書いてヤツと読むのは谷戸(ヤト)の転訛だと聞かされていたけど、この記事ではアイヌ語由来説を採用か…