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浅間町に石碑が建てられるほどの先生ってどんな人物?

ココがキニナル!

市営バス浅間町車庫の隣の公園に石碑があります。ある学校の先生を偲んで建てられたそうで、「TVの金八先生より教育熱心な人だった」と聞きました。どんな人物だったのでしょうか。(濱のホタルさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

先生の名は木村坦乎氏。困窮児童の救済に勤しみ、私費で学校を設立。関東大震災で命を落とすまで、子供達の未来の為に奔走し続けた教育者だった。

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ライター:クドー・シュンサク

木村坦乎氏と地域教育の歴史について聞く



西区区役所近くで、木村先生の話を伺った。
 


横浜市シニア大学講師・横浜西区郷土史研究会会長の田村泰治さん


まず、石碑の綺麗さに驚いた話を切りだすと、田村さんは「木村先生を偲ぶ有志の方々が建てられた石碑で、歴史は90年近く。この地域の教育功労者であり救世主のようであった木村先生の功績は、誰もが敬意を表すもので、現在にまで脈々と受け継がれています。よって、現住の地域住民の方々が有志で綺麗に手入れして、お供えをし、石碑を守っているからではないでしょうか」と話始めてくれた。
 


報酬のある仕事ではなく、有志で守られている石碑。木村先生の温情が受け継がれている表れではないだろうか


自身も学校の教師をされていたという田村さん。地域の郷土史の趣が深く、古き良き教育と現在に至るまでの歴史に木村先生は最重要な人物とのこと。

大正3年から開校した隣徳小学校は、木村先生の尽力と、学校にいきたくても行けない貧困家庭の子供達と親の思いから児童は瞬く間に急増した。さらに、当時は昼間に働く子供達もいる実態を知ると、木村先生は夜間部の開設までして、子供達に教育の場を提供した。

その熱意に児童は増え、地域の教育は発展していったのだが、無償での運営だった為に退職金と私財の蓄えが底をついた。しかし、熱意の基に熱意は集まるもので、友人の方が「横浜貿易新報」(今の神奈川新聞)に学校の紹介と窮状を訴えた。そして、市民からの寄付金を得ることができ、存続とさらなる発展へと向かった。

 

浅間コミュニティハウスで地域の歴史講座を開いていた田村さんの話は続く


その熱意ある行動力から木村先生は、現在の民生委員にあたる横浜市の方面委員に任命され活動もしていた。
主に困窮者救済事務や相談、困窮者実態調査など広範囲にわたり地域の発展のために活動していた。

木村先生に家族はいたのかという問いに対し田村さんは、資料や書物のどれを確認してもそういった内容は残されていないという。ただ、仙台藩士のご子息だったということだけは確認できた。

そして木村先生の尽力により、地域の教育や困窮な状況が次第に上向きとなり始めた大正12年(1923年)の9月1日、2学期の始業式が終わり児童が学校から帰った昼前に、関東大震災が襲いかかった。
木村先生は、学校近くの自宅で休息をとっていたところ、倒壊した家屋の下敷きになり、命を落とした。享年71歳だった。
 


隣徳小学校の校舎が写る写真(「木村担乎先生を偲んで」のコピーより)


既存の資料では、倒壊した学校の下敷きになってお亡くなりになったとされているが、実際は校舎隣の自宅の部屋だったのが事実のよう。


取材を終え



最後に、木村先生の生前の言葉「人間は生きている間がしごとなんだ」。
命を落とすその時まで、教育者としての情熱とともに奔走しつづけた木村先生のその精神は、その後も受け継がれ、私塾であった小学校は県からの認可がおり正式な小学校として継続されていった。
のちに、横浜市立宮谷小学校の分校となり、そして合併されて、昭和16年(1941年)に廃校になった。

石碑を見てもわかる通り、再来年に没後90年を迎える現在も、木村先生の情熱は脈々と受け継がれている。
そして、木村先生の情熱や活動を模範として教育に奔走する、そういう先生はいつの時代にも必要だと感じた。


− 終わり −
 

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  • で、隣は鄰なの?

  • 石碑を見かけたことがあって、どういう人なのか興味を持っていました。こういういい話は語り伝えていきたいですね!

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