上海から出張レポート! 友好都市「上海」で「横浜」を発見!
ココがキニナル!
2013年は中国の上海市との友好都市提携40周年。横浜での記念行事予定は?文化交流や民間交流活動も。上海まで行き、友好都市提携の行事予定、市民の意識を調べてほしい(NAKAKITAさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
冷え込んだ日中関係にもかかわらず、友好都市提携40周年について上海市でもしっかり報道された模様。また上海市民は横浜市のことを意外と知っている
ライター:ムカイカツヲ
横浜、知ってる?
横浜市民が上海や友好都市関係を知っているか、イセザキモールでアンケートをとってみた。
師走のイセザキモール
すると、結果は20人中20人が「上海は知っているが横浜と上海が友好都市関係であるということは知らなかった」という結果に。
港南区在住会社員のAさん30代「全く知らなかった」
「上海と横浜の関係については考えたこともなかった」というAさんの上海に対するイメージは「イギリスっぽい」とのこと。
また、親子で歩いていた30代と60代の女性は「横浜に友好都市というものがあること自体知らなかった」という。
磯子区在住、70代のH・Iさん。「友好都市関係については知らなかったよ」
H・Iさんに上海のイメージについてたずねると、「戦前の日本人街のエキゾチックなムードは好きだが、今の高層ビルが立ち並ぶ上海の街並みからは文化の香りが感じられない。テレビで見る豪華なプール付きのホテルがある様子は面白いと思っている」とのこと。
同様に上海でも、「横浜」との友好都市関係を知っているのかどうか上海市民の意識調査を行った。あわせてインタビュー時に、編集部・木下から預けられた横浜銘菓を食べてもらい、感想をもらった。
横浜銘菓たち
さて、ほとんどの横浜市民が「上海」市を知っているのに対して、上海市民は「横浜」市を知ってるのだろうか? また、どのように思っているのだろうか?
東京に行ったこともあるというカップル
友好林近辺でお話を伺ったカップル。横浜市を知っていた。なぜ知ってる? と尋ねると、地理の時間に学校で習ったとのこと。横浜(を含めた日本)に対する特別悪い感情もなく、東京にも遊びに行ったことがあるとのこと。ハーバーを美味しそうにほうばってくれた。
さきほど仕事中にバトミントンをしていたお二人
こちらの二人も横浜のことを知っていた! 理由はやはり学校で習ったから。歴史の授業(日中戦争関係)でも出てきたそうで、インタビュー中少し表情が険しい気も。お菓子を食べてもらったが、1人は甘すぎると言い、1人は美味しいとのこと。女性はシビアだ。
地方出身だが、上海で暮らしているというバイト中の青年達
この手前の青年は、横浜を知っているどころか、今年が友好都市提携40周年だということまで知っていた! 知っている理由は、「暇だから新聞を隅から隅まで読むんだよ」と笑って答えてくれた。上海の新聞では、両国関係がギクシャクしていても横浜市との友好都市提携40周年についてしっかりとりあげられていた模様。
ちなみに、このインタビューをした場所の名前は・・・
横浜橋!
しかし、この青年はほんとに横浜のことをよく知っていて、「この『横浜橋』は、日本の『横浜市』とは関係ないよ!」と言う。実はそのとおりで、中国で横浜を表記する時の「浜」の字は、日本で使われているものとは異なり、「濱」(横浜正金銀行の写真を参照)。ちなみに、日本で使っている「浜」の字は、「海の水際」という意味ではなく「水路」という意味らしい。
結果として、9人の上海市民にたずねてみたところ、全員が横浜を知っているという、予想外!?の結果が得られた。
全員が横浜を知っているという事実に多少興奮して、地方からの上海に遊びに来ている観光客数組にもインタビューを試みた。
すると、今度は「知らない」という答が続発!
「何それ知らない」と笑顔で解答する内陸部の重慶からの観光客
これらの結果から考えると、上海在住の人は総じて日本(文化)に対する関心が強く、結果的に授業で学んだ「横浜」を覚えているようだ。市民の意識として、横浜に関する興味が総じて高いといえるのではないだろうか?
ちなみにお菓子に関してだが、これは、日本のお菓子だから! といって特に珍しい感じも持たないようだ。これも大都会・上海ならではの結果といえるかもしれない。ここ上海では、あらゆる日本の食べ物が簡単に手に入る。
上海で行われた40周年記念行事は
最後に、横浜市役所上海事務所にお邪魔し、横浜市上海事務所の小林さんに改めてお話を伺った。
横浜市上海事務所、小林さん。本当にお世話になりました!
横浜市上海事務所では、上海市との友好提携関係に関する業務、中国に進出する横浜企業のサ
ポート、中国企業の横浜への誘致、ならびに中国における横浜市の観光プロモーション活動という基本事業に加え、大企業と比較してどうしても情報が不足しがちな横浜の中小企業に向けた実務的なセミナーなども主催されている。
両国間でいろいろなことがあった今年、横浜・上海の友好提携都市40周年に関する上海側でのイベントも若干控えめに行われたそうだ。具体的には文化的な交流イベントとして、日中韓の芸術家を集めた芸術展が開催され、横浜出身の写真家である森日出夫氏の作品などが出品され、好評を博したそうだ。
森日出夫氏
人民元が割安だった時代が終わり、中国が「世界の工場」であった状況にも大きな変化が起こるだろう。横浜市としても、これまでは中国でモノを作り日本を含む海外に輸出する横浜企業のサポートをすることが多かったそうが、これからは、Made in YOKOHAMAのモノや、技術や、サービスを、豊かになった中国に輸出したいと考える横浜の中小企業のサポートを目指していきたいとのことだ。
事務所を出ると、もう暗くなっていた
今回の上海取材を通して、少なくともここ上海では、「横浜」から来ました! ということを好意的に受け入れてもらえる土壌があることがわかった。
10年後、友好提携都市50周年のころに、上海で沢山の新しい「横浜」を見つけられるといいな、と思う。
取材を終えて
「三国志」に夢中になり、「項羽と劉邦」に興奮して、「初恋のきた道」に感動したときの僕は中国が大好きだった。それが今はどうだろう? ずるい言い方をすれば、俺が嫌いになったんじゃない、お前が嫌いにさせたんだ、という感じだけど。
そして、まるで最近の自分の気持ちにリンクするかの様に、取材当日は終日霞がかかったような空模様だった。PM2.5だ。夜になっても、夜景にフィルターがかかってしまうほどだった。
曇り空ではなくPM2.5
でも、今回の取材の最後、小林さんに「これまで実際に上海で暮らしながら3年弱お仕事をされて、前より中国や中国人のことを好きになりました? 嫌いになりました?」と尋ねてみたとき、
「前よりもずっとずっと好きになりましたよ!」
と即答してくれた。それを聞いて、なんとなく恥ずかしい気持ちになる。
そういえば、上海滞在中、一度だけ青空が見える瞬間があった。
こういう空もたまに見られます
お互いに、こういう澄み切った気持ちになれる日が来ると信じてみようと思えた、上海取材でした。
※なお、今回のはまれぽの上海現地取材については、その趣旨にご賛同いただき、横浜市上海事務所の小林さんほか、横浜市役所の皆様に多大なるご協力をいただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
―終わり―
Nicksさん
2014年05月13日 01時00分
横浜に住む人で、横浜市が上海やその他の都市と友好都市関係を結んでいることがどこまで浸透しているのだろうか。小学校の郷土史でそのくらいは教えているだろうか。自治体が横浜の企業が進出する先鞭としてどのような役割を果たしているのか。文化交流が市民の一般レベルでどこまで普遍的におこなえる土壌が育成されてきたか。上海に限らず横浜と友好都市関係を結ぶ都市は多い。公立高校の修学旅行先の選択枠であってもいいし、上海からの留学生や研修生が横浜で学びやすい環境構築も必要かもしれない。横浜企業の進出だけでなく、上海の企業や投資家が進出しやすい投資環境整備も必要かもしれない。せっかく先人が締結した友好関係があるのだからもっと深化させる努力があってもいいと思います。
がんちゃんさん
2013年12月30日 22時03分
妹の一家が旦那の仕事の都合で上海に住んでいるので、一度訪問したことがあります。上海名所の電波塔(外景の写真だけこの記事にも掲載されていますが)のてっぺんには、世界各国の友好都市の名前が刻んであり、その中にはもちろん横浜のことも書いてあります。できればそれも紹介していただきたかった。「上海滞在中、一度だけ青空が見える瞬間があった。」<=「一度だけ」とはすごい……ちなみに妹の息子たちの通う学校では、最近は大気汚染のために外でのサッカーが禁止になっていると聞きます。
ロイヤルさん
2013年12月30日 11時36分
自分も2年ほど前に上海に行ったけど、ここまで横浜と縁深いとは思わなかった。ただ、欲を言えば横浜のメディアなんだから横浜駅から京急に乗って羽田から行ってほしかった。