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みんなのキニナル

    横浜市はみどりアップ推進と称して、みどり税を農家に注ぎ込んでいる?らしいですが、それにしては一部を除き、農地が荒れているような?いっそのこと、休耕田畑にお茶の樹を植えて、茶葉を収穫して紅茶や烏龍茶に加...

    ナチュラルマンさん

    らみぃさんに関連しますが、茅ヶ崎牛は県立茅ヶ崎里山公園近くにて畜産家が育てているようです。肉の直売もある? らみぃさんの投稿に併せて、生産家も取材して下さい。

    ナチュラルマンさん

    茅ヶ崎にある「バリック」というイタリアンのお店で、茅ヶ崎牛のお料理が食べられるそうです。茅ヶ崎の牛?どんな味わいなのか、ぜひ取材してほしいです!

    らみぃさん

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みんなのコメント

横浜人にインタビュー
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横浜のココがキニナル!

横浜市全駅全下車の「はま旅」。最終回となる第120回は、みなとみらい線「みなとみらい」駅。屈指の観光地で穴場スポットはあるのか!? 横浜の歴史に思いをはせながら、2年間の「はま旅」を振り返る。

ライター:松宮 史佳 (2013年07月19日)

2011(平成23)年4月から2年以上続いた「はま旅」も今回がラスト。
「ついにこの時がやってきたか・・・」としみじみ。“最後の旅人”という大役をおおせつかった松宮。
 


いつも以上に気合いを入れて、みなとみらい駅に降り立つ!


改札を出て、クイーンズスクエアから外へ。
 


シーカヤックパークをぶらぶら歩いていると「横浜みなと博物館」の看板を発見!


面白そうなので行ってみることに! 今日は土曜日だからか、家族連れの姿が目立つ。



子どもから大人まで楽しめる! 横浜みなと博物館
 


みなとみらい駅から徒歩5分ほどで「横浜みなと博物館」に到着!


受付で取材を申し込むと、「OK」とのお返事をいただく。総務部企画課広報担当・佐野裕美さんと総務部学芸課学芸係学芸員・山口祐(※)輝さん(※正しくは旧字体)にお話を伺うことに!
 


(左から)佐野さんと山口さん


「横浜みなと博物館」の前身となる「横浜マリタイムミュージアム」は、1989(平成元)年に開催された横浜博覧会に合わせてオープン。2009(平成21)年、横浜開港150周年を機に、横浜港をテーマにした「横浜みなと博物館」と名称を変え、リニューアルオープンした。

入場料は高校生以上600円、小中学生&65歳以上300円、小学生未満は無料だ。土曜はなんと小中高生が無料。船の折り紙教室やキッズのためのクイズラリーを開催している。日曜と祝日はペーパークラフト教室(入館すれば参加費は無料)を行っているそうだ。

館内は横浜港の歴史や役割を学べる「常設展示」と、特定の期間のみ開催される「特別展示」の2つ。今回は、学芸員の山口さんが「常設展示」を案内してくれることに!



開港当時の“裏エピソード”
 


1F入口から常設展示へ。まずは開港前後の歴史から


世間では1859(安政6)年の開港から、「小さな村だった横浜が栄えた」と言われることが多い。だが、開港以前にも「すでに神奈川辺りは湊(港)として栄えていた」そうだ。現在では“横浜”と“神奈川”は同地区と見なされるが、当時の地形を考えれば「神奈川と横浜は互いに離れた場所」とのこと。

以前、はまれぽでも取り上げたことがある
が、栄えていた神奈川ではなく横浜が開港したのは「繁栄していた場所から外国人を隔離したかった」「神奈川には新たに外国人居住区をつくる場所がなかった」「横浜の方が水深が深く、西洋の船が沖に停泊しやすかった」との理由から。
 


開港当時、「今の横浜駅東口辺りは海だった」と山口さん


1853(嘉永6)年、ペリーが日本に来航した背景には「アメリカにも事情があった」という。市場拡大競争の面でヨーロッパに追い付きたかったアメリカは、アジアと貿易を行うため「どうしても太平洋に航路をつくり、日本に立ち寄ることが必要だった」のだ。アメリカは「大砲で脅して開港を迫った」とも言われることがあるが、実際は、艦内で飼っていた家畜を料理し、豪華な料理で日本側を接待したらしい。

実はペリー以前にも1846(弘化3)年に「ビットル艦隊が開国を迫って来航した」と山口さんが教えてくれる。日本が断ると「素直に帰って行った」らしい・・・。

そんなビットルに比べ、ペリーは「日本のことをよく勉強していた」という。宴会時、ペリーは日本とプレゼント交換をした際、繊細な漆塗りに感銘を受けた。この国が西洋の文化を取り入れたら「近い将来ヨーロッパに追い付くだろう」と語ったそうだ。
 


8隻の黒船が一度に押し寄せ、庶民はさぞや「怖がったのでは?」と質問すると・・・


侍にとっては深刻な問題だったが、庶民にとって黒船は「興味の対象」だったとか! 庶民は「黒船」ではなく「異国船」等と呼んでいたと聞き、これまたびっくり!

さまざまな“裏開港エピソード”を知り、大満足!


続いて大さん橋建設以降の時代についてお勉強しましょう・・・旅の続きは次のページ≫
 

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