【横浜の名建築】愛らしい教会に眠る歴史 横浜海岸教会
 ココがキニナル!
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横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第15回は、横浜海岸教会。おとぎ話にでてくるようなかわいい教会には、重みのある歴史や信仰深い人々の願いが詰まっていた。
ライター:吉澤 由美子
	開港広場前という港の玄関口にある横浜海岸教会。
	 
	
	
	建物や庭と塀が織りなすたたずまい、そして「横浜海岸教会」という名称、すべてがかわいい
	
	この愛らしい教会には、キリスト教が禁じられていた時代から続いてきた歴史が詰まっていた。
	 
	
	
	横浜海岸教会の上村修平牧師と、案内してくださった長谷川さん
	
	
	
	
若き宣教師夫妻の伝道からはじまった横浜海岸教会
横浜開港の2年後である1861(万延2・文久元)年、アメリカ人宣教師であるJ.H.バラと妻のマーガレットは横浜に来港する。
	
	資料室にあるバラ夫妻の肖像と小会堂の写真
	
	バラ28歳、マーガレット20歳という若き宣教師夫妻は、先に来日していた宣教師で医師のヘボンらと共に、神奈川宿近辺の成仏寺に住み、英語私塾を開いた。
	 
	
	
	初期の伝道に使った聖書の版木が残っている
	
	1868(明治元)年には現在の横浜海岸教会が建つ場所に小さな石造りの小会堂を建設。
	小会堂は大きさや形から、『聖なる犬小屋』と呼ばれていた。
	 
	
	
	花壇を囲む石は、バラ宣教師が初期に建てた石造りの小会堂の遺構
	
	英語を習いに来ていた日本の青年たちは、バラ宣教師が日本の将来のために篤い祈りをささげているのを耳にしてキリスト教に興味を抱いていく。
	 
	
	
	古い聖書。こうした貴重な資料は写真で展示されている
	
	1872(明治5)年、日本人信者による最初のプロテスタント教会『日本基督公会』が設立される。日本人のキリスト教禁教令が解ける1年前というこの時期に信者となった日本人の信仰の深さは、バラだけでなく立ち会った他の宣教師たちにも深い感動を与えた。
	 
	
	
	庭にある日本キリスト教会発祥の地の石碑
	
	初代の大会堂が完成し、名称が『横浜海岸教会』となったのは、1875(明治8)年のこと。
	 
	
	
	大会堂は威厳あるたたずまい
	
	横浜海岸教会は、坂本龍馬暗殺の凄腕の剣士、今井信郎(いまいのぶお)がクリスチャンになるきっかけにもなったと伝えられている。
	
	龍馬を斬ったとされる今井信郎について、「聖書を読んだサムライたち(著:守部喜雅 出版社:いのちのことば社)」という本には、キリスト教嫌いであった今井信郎が静岡から横浜に来た際、冷やかしで入った横浜海岸教会の礼拝に感銘を受け、静岡に戻って洗礼を受けたことが記されている。
	 
	
	
	1875年に大会堂を建設した当時の記念礎石が庭に残る
	
	しかし、この大会堂は1923年(大正12年)に起きた関東大震災で崩壊してしまう。
	
	現在の教会は、震災から10年を経た1933(昭和8)年に建てられたもの。
	
	設計したのは、宮内省(現在の宮内庁)の建築技師で、北欧東欧を中心にヨーロッパ建築を学んだ雪野元吉(ゆきのもときち)。
	当時横浜に在住していた雪野元吉がクリスチャンだったことから、この設計を無償で行ったと伝えられている。
	 
	
	
	厳かな雰囲気の中に親しみやすさがある。雪野元吉の作品で唯一現存するのがこの教会
	
	その後、第二次大戦時に空襲を受け、焼夷弾が屋根に落ちたこともあったが、それを叩き落とし、教会は無事終戦を迎える。
	
	1989(平成元)年に横浜海岸教会は、横浜市歴史的建造物に認定され現在に至っている。
	
	
	
	 






