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    横浜市内、もしくははまれぽエリア内に釣り堀はどのくらいあるのか?また、ニジマスなどお持ち帰りして食べられる魚が釣れる釣り堀がないか?取材して下さい!

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    菊名駅に駅ナカのお店ができるという計画を以前耳にしましたが、現時点でその気配が感じられません。東急は駅コンビニと渋そばを、JRはいろり庵きらく、崎陽軒売店、横浜土産店、ミニスーパー(生鮮品販売) 、書...

    ナチュラルマンさん

    「日本ポールウォーキング協会」の事務局が馬車道駅近くにありました。本部は鎌倉市にあるようです。はまれぽエリア内なので、活動内容について実際に参加してのレポートをお願いいたします。

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横浜のココがキニナル!

横須賀市の水道は多くが相模川などから引いています。横須賀市内唯一の水源地「走水水源地」がキニナル。(山下公園のカモメさん)

はまれぽ調査結果

横須賀市の水道の歴史は「横須賀造船所」開業後の1875(明治8)年。以来、軍備の増強、街の発展とともに何度も設備を拡充し水不足を克服

ライター:やまだ ひさえ (2017年03月31日)

横須賀市には飲料水を供給できるような「一級河川」はない。市内を流れる最も大きな川は二級河川の「平作(ひらさく)川」だ。
 


水源となる大河がない(Googleマップより)

 
市内の中央部を東南に向かって流れ久里浜海岸に注ぐ平作川は、川が短く、すぐに海に流れ込むため、市民や工場などに必要な水量をまかなうことはできない。
 


久里浜街道にそって流れる平作川

 
横須賀市の水源はどうなっているのか。市役所の上下水道局の廣川里佳(ひろかわ・りか)さんに聞いた。
 


横須賀市役所


廣川さん

 
明治維新直後、横須賀は深刻な水不足に直面する。原因は、日本の近代化の礎となった「横須賀製鉄所」だ。

1871(明治4)年4月には海軍省の所管となり「横須賀造船所」と改名。横須賀が軍都となるきっかけとなった旧日本軍の工廠(こうしょう=軍直属の工場)の存在だった。
 


明治時代初期の横須賀造船所(提供:横須賀市役所)

 


横須賀の水道のルーツ

横須賀造船所は、船の建造だけでなく、近代産業には欠かせない工具や部品などの製造も行った。

造船所が出来る前はわずか数十戸の漁村でしかなかった横須賀は、工廠の発展にともない人口が急増。1879(明治12)年には1575戸までになった。造船所で働く工員も2000人規模に達していた。
 


横須賀造船所は日本屈指の工廠に成長(同)

 
しかし、造船所の規模が拡大し、工員も増えたことで思いがけない問題が起きた。工業用水と飲料水の不足だ。

新たな用水確保のために調査を始めたのが、造船所の首長であり設計者でもあったフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーだった。
 


市内にはヴェルニーの名を冠する公園も

 
ヴェルニーは、用水確保のために三浦半島一帯を調査。そして見つけたのが、昔から井戸の多い地域だった造船所の東約7kmの場所にある走水(はしりみず)の湧水だった。
 


井戸の多い地域を示した図
(『水の旅横須賀水道100年史』横須賀市上下水道局刊より)

 
河川の少ない横須賀では、昔から井戸を掘り生活用水を確保してきた。ヴェルニーがそこに着目しても不思議ではない。

ヴェルニーは、すぐに走水から造船所まで水道を引く計画を実行に移した。
 


走水から造船所まで水道を引く

 
しかし、再び難問が持ち上がる。フランスから購入することになっていた水道用の鉄管費と工事費用が莫大になることだった。

あまりに高額になるため、明治政府は一度中止に傾いたといわれているが、鉄管を5インチの土管に代えることで費用を軽減した。さらにフランスへの支払いを4度の分割にすることで問題を解決。1874(明治7)年3月、ついに、横須賀初の水道の工事が始まった。
 


市内馬堀(まぼり)町で発見された当時の5インチ土管(同)

 
ヴェルニーの計画した水道は、「自然流下方式」というもの。

電力もポンプも使わず、自然の流れにまかせる方式のため落差を保つ必要があるが、走水と造船所の高低差はわずか10メートル。そのため、山ぎわぎりぎりに水道管を走らせた。勾配が急だったり、海ぎわで埋設できない場所ではトンネルを掘ることで解決した。
 


水道管を通すために掘られた隧道(ずいどう=トンネル)

 
測量開始から2年4ヶ月の歳月を費やし、1876(明治9)年12月、現在、「走水系統」と呼ばれている横須賀初、造船所所有の水道が誕生した。
 


ヴェルニーが作った走水系統(同)

 
しかし、計画したヴェルニー本人は完成を見ることなく、完成の9ヶ月前に帰国している。

横須賀造船所に専用水道が通った翌年、1877(明治10)年8月、横須賀港は日本最初の「軍港」に指定された。

さらに、1884(明治17)年12月には「横須賀鎮守府(=ちんじゅふ:日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統括した機関)」が置かれたことで横須賀は軍都としての基礎を確立していった。
 


横須賀鎮守府(『ふるさと横須賀』より)

 
鎮守府が設置されたことで横須賀には海軍の機関が集中。造船所の規模も拡充され、水道の増強が求められた。

1895(明治28)年には、走水水源地の南、覚栄寺(かくえいじ)の裏山に貯水池が完成した。
 


現在の覚栄寺


本堂の裏山にある貯水池の入り口

 
走水系統は海軍の専用水道として軍備拡張に合わせ増強が行われ、供給水量は、1日に2000立方メートルに達した。
 
 
水不足との闘い・・・キニナル続きは次のページ

 

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