横須賀・ドブ板通りで生まれたスカジャンの歴史
ココがキニナル!
スカジャンはドブ板通りで産まれたそうですね。スカジャン誕生の歴史と今でもドブ板通りで着ている人はいるのか調査お願いします。(たこさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
占領軍の土産物としてドブ板通りで生まれたスカジャンは、日本人に根強い人気を誇る横須賀の代名詞的存在。戦後史を物語る文化的遺産に、職人不足という課題も立ちはだかる今、新たな展望も拓きつつある
ライター:結城靖博
いざ「ファースト商会」の店内へ!
店に入ると、ミシンを前に松坂さんがにこやかに迎えてくれた。
御年なんと88歳。でも、まだまだ完璧なる現役である。
生まれは山形だという松坂さん、さまざまな経験を経て、34年前からここでこの店を一人で営んでいるという。初めはこの店で米兵相手の土産物の販売をおこなっていたが、それは数年のことで、その後はずっとフル・オーダーのスカジャンの製造販売を続けている。
長年愛用するミシンと松坂さん
とはいえ注文を受けた商品すべてを、松坂さんが一人で製作しているわけではない。外部の縫製職人に発注するものもあるという。その職人たちは横須賀ではなく群馬県の桐生などにいる。古くから織物産業が盛んだった北関東の地の縫製技術が、スカジャンを支えているのだ。だが、そこでも今、職人さんたちが徐々に減ってきているそうだ。
「今はコンピューター・ミシンができて、スカジャンの柄もずいぶん変わってきた」と松坂さんは言う。
陳列商品を前に手縫いとコンピューターの違いを説明する松坂さん
松坂さん自身が製作した手縫いのスカジャン
コンピューター・ミシンによるスカジャン
確かにコンピューターのほうが細密な描写は描けるかもしれないが、スカジャンの最大の特徴である絵柄の立体感、そして温かみが全然ちがう。
ただ、職人の特殊技術を必要としないコンピューター・ミシンは、手縫いと比べて製作コストが抑えられる。その分、安い価格設定も可能になる。
今ご自身で製作中のドラゴン。やはり立体感がすごい
松坂さんはその後、ご自分の製作工程をさまざま見せてくれた。今や珍しいガリ版による版下のつくり方、職人に依頼する際の詳細なデザイン指定紙、縫製用の横振りミシンの構造等々。自分の技術を惜しまず伝える姿に、松坂さんの人柄を感じた。
客足については、やはりここ数年確かに伸びを感じるという。
またこの店では、以前から、芸能人の常連客が多いそうだ。出川哲朗(でがわ・てつろう)さん、陣内孝則(じんない・たかのり)さん、相川七瀬(あいかわ・ななせ)さん、三原じゅん子(みはら・じゅんこ)さん・・・、松坂さんの口から次々と名前が挙がる。
店内には、これまでに製作した主なフル・オーダー商品の完成写真が、まるでアーティストのポートフォリオのようにアルバムに整理されて置かれていた。
「これは相川七瀬のスカジャン」と写真を見せてくれた
芸能人の中でも、特にひいきにしてもらっているのが、クレイジーケンバンドの横山剣(よこやま・けん)さん。今までに何十着もこの店でスカジャンを作っているそうで、「昨日も何かのテレビの中継のついでに店に立ち寄ったよ」と言う。
出来たばかりのクレイジーケンバンドのネーム入りスカジャン
ただし、上の写真はファンが自分のために注文した商品だという。お値段を聞いたら3万8000円(税込)とのこと。
店内の壁に吊るしている既成のオリジナル・スカジャンは、現在2万5000円(税込)で販売している。「ほんとうは、職人への手間賃を考えるとそれでは合わないけど、ドブ板通り沿いのコンピューター・ミシンの店と競合するには、値段を下げざるをえない」と、松坂さんは言う。
ところで、御年88歳の松坂さんに後継者はいるのだろうか。
そう質問すると「いない」とキッパリ。
東京に娘さんが住んでいるが、この仕事には関わっていない。つまり、松坂さんがこの店を閉じるとき、いよいよ横須賀・ドブ板通り商店街から、完全フル・オーダーのオリジナル・スカジャンを製造販売する店がなくなってしまうということか。
「でも」と松坂さんは付け加えた。昨年あたりから急に「刺繍を習いたい」という若い人が店に来るようになったという。すでに6人ぐらい来たそうだ。店に入る前に遭遇した彼も、まさにその中の一人だ。
これは今までにはない現象だという。理由は定かではないが、明るい兆しと言えるだろう。
米軍退役軍人認定バーで元ネイビーにスカジャンを問う
すっかり長居した「ファースト商会」を出ると、そろそろ日が傾き始めていた。
もう一つ物足りなさを感じて、ふたたびドブ板通りに戻る。そこで目にとまったのが、いかにもベースの米兵たちがたむろしそうな店構えのバーだった。
店名を示す看板がたくさん掲げられている。結局、店名は何?
思い切って店に入ってみる。「Do you know Sukajan?」と訊くために。
店内はこんな様子
カウンター席でビールを一杯注文し、しばらく様子を伺う。その間に店の女性に店名を尋ねると、今の名前は「HONCH SHELL(ホンチ・シェル)」だという。昨年オーナーが変わってその名前になったそうで、「TOM&JACK」は以前の店名。看板のデザインがしゃれているので、そのまま残しているとのこと。
やがて一人の白人が店に入ってきて、カウンターの隣りの席に座った。優しそうな人だったので「Do you・・・」と言いかけたが、すぐに口をつぐむ。店員と日本語で流暢に会話を始めたからだ。
ちょっとホッとして、筆者も日本語で彼に声をかける。
彼の名はマイケル。来日して36年になるこの店の常連客だった。
事情を話すと、フランクに取材に応じてくれた
元々海軍の兵士だったが、やめてベース内の民間企業で長く働き、今は定年退職し悠々自適な日々を送っているという。
「起きてきたばっかりでね、まだ寝ぼけた顔かも」と笑う。うらやましい境遇だ。
スカジャンはもちろん知っていて、3着持っているという。そのうちの1着は「左胸にイーグル、右の胸に桜、背中に桜の枝をくわえて空を飛ぶイーグル・・・」と詳しく教えてくれた。奮発して4万円で購入した自慢の逸品だそうだ。
店員の女性たちも、皆スカジャンを持っていた。「この辺りでスカジャンを持ってない人はいないよ」とマイケルさん。「ベースにいる米兵たちも買う人は多いよ」とも。
ちなみにドブ板通りでは、今「スカジャン割」というキャンペーンをやっていて、たとえばこの店でも、スカジャンを着て入ってきたお客さんには、焼酎かハイボールがワンドリンク・サービスになるとお店の人が教えてくれた。
その後、マイケルさんは店内のいろいろなものを見せながら、ここがいかに特殊な店であるかをしきりにアピールする。半分も意味がわからなかったが、後で調べてみたら、ここは「米国海外戦争退役軍人会(VFW)」の数少ない認定店、つまり米兵たちが安心して飲めるお墨付きの店だった。
店内には退役軍人に関するさまざまな記念品が飾られていた
ところでマイケルさんは、この店の「HONCH」の由来も教えてくれた。
ドブ板通りの町名は「本町(ほんちょう)」。アメリカ人には「ドブイタドオリ」が発音しづらいので、彼らは町名である「ホンチョウ」を使っていた。それがいつの間にか略されて「ホンチ」に。米兵たちの間では、今でもこの辺りを「ホンチ」と呼ぶそうだ。
ドブ板通りは横浜・黄金町に通じている!?
数日後、「ファースト商会」の前で出会った若者、ヤマガミ・ダイスケさんを訪ねて、横浜・黄金町に足を運んだ。
彼のアトリエは、黄金町駅そばの京急線高架下に連なる「黄金町アーティスト・イン・レジデンス」にある。かつての青線地帯(非合法売春地域)は、今や毎年秋にアート・フェスティバル「黄金町バザール」が開催され、ふだんはアトリエやギャラリーが並ぶ芸術村に生まれかわっていた。
ヤマガミさんは齢29歳。アメリカ人の妻サラ・ジョンソンさんとともにここで「Johnagami Lab(ジョナガミ・ラボ)」というささやかなアトリエを築き、作家活動をしている。ヤマガミさんが制作担当、サラさんがHPなどの広報担当だという。
アトリエの前に立つヤマガミさんとサラさん
ヤマガミさんとファースト商会・松坂さんとの出会いは3年ほど前にさかのぼる。
デザイン学校卒業後、東京の「デザイン・フェスタ」に出品を目論んでいたヤマガミさんが、たまたま通りがかったファースト商会で松坂さんのスカジャンと出合った。そのとき、自分のデザインをスカジャンとして作品化したら面白いのではと思いつき、初めは松坂さんに縫製を発注してスカジャンに仕立ててもらったという。
当時の作品。ヤマガミさんの下絵と松坂さんが縫製したスカジャン
その後も何点か発注するうちにだんだん自分で縫製してみたくなり、教えてほしいと頼んだのが昨年の9月のこと。学ぶならミシンが必要ということで、刺繍用の横振りミシンをさっそく購入し、さらにミシンを置く場所が必要だからと、ここにアトリエを構えた。ヤマガミさんの決断と行動は早い。
快く承知してくれた松坂さんの丁寧な指導のおかげで、ヤマガミさんは短期間にどんどん技術を吸収していった。その集大成として、昨年自分で縫製した作品がこれだ。
閻魔の絵柄のスカジャン。とても数ヶ月で習得した技術とは思えない
頼み込んで、実際に横振りミシンを使って、刺繍してもらうところを見せてもらった。
何気にミシンを動かしているように見えるが、右足に注目
足先で針のスピードをコントロールしながら、膝で針の横移動の振り幅を調整している。
しかも横振りミシンには、布を前後に移動させるだけのミシンとちがい、布の誘導を補助する送り歯が付いていない。だからこそ自由な曲線を描くことができるのだが、同時にそれは布の動きを制御しづらいということでもある。
針の前に付いている鍬のような形の部品が送り歯(ファースト商会の仕立用ミシン)
刺繍用のミシンにはそれがない。代わりに針を横に振れる溝がある(ファースト商会の横振りミシン)
刺繍用の横振りミシンは、手先・足先・膝、3つの繊細な動きを同時にコントロールしながら操作していかなければならない。そこが難しいのだという。
ヤマガミさんはこれからも、ファースト商会の松坂さんから学ぶ技術を生かし、刺繍アーティストとして作品を作り続けていきたいという。
とはいえ、表現者として、スカジャンだけにとらわれているわけではない。
2階のデザイン室で今秋の黄金町バザールに向けた作品を検討中の二人
次の作品は、他のアーティストとコラボした10メートルの巨大な龍。その胴体部分を刺繍で作るというスケールの大きな計画だ。
取材の終わりにヤマガミさんが残した言葉が印象的だった。
「僕たちは、黄金町にスカジャンの縫製技術を生かしたアトリエを持つことにこだわりを持っています。横須賀は戦後、米軍の基地の町となってスカジャンが生まれた。一方、黄金町は米軍に接収された土地から追いやられた人たちが住み、治安の乱れた町になった。どちらも占領時代の影を背負った場所で、もしかしたら、なにか歯車がちがっていれば、この町から『スカジャン』のようなものが生まれていたかもしれない」
どこかで通底している。そんな感覚をアーティストならではの感性で受信しているようだ。
取材を終えて
ヤマガミさんは取材の中でこうも語った。
「スカジャンは今や世界的に注目されていて、海外に開かれている。そこが魅力です。今後は作品としてだけじゃなく、実用的な服としても徐々に注文を受けていければと思っています」と。
一方、パリコレ以来ファッション誌で多く取り上げられるようになってから、若い女性にもスカジャン需要が広がっているといわれている。
また、コンピューター・ミシンによる廉価商品の普及も、愛好者のすそ野の拡大という意味では悪いことではないだろう。
縫製技術を継承する若者、新たな需要層、商品の多様化・・・こうして見ていくと、調査前の想像よりもはるかに「スカジャンの未来は明るい」という印象が強く残る取材だった。
―終わり―
取材協力
◆双葉貸衣裳店
住所/横須賀市本町3-11
電話/046-822-3354
営業時間/9:30~16:30
定休日/火・水
公式サイト/https://www.futabayokosuka.com/
◆ドブイタステーション
住所/横須賀市本町2-7 本町商店会館
電話/046-824-4917
営業時間/木・金10:00~16:00、土・日・祝10:30~16:30
定休日/月・火・水
公式サイト/https://dobuita-st.com/
◆MIKASA vol.2
住所/横須賀市本町2-7
電話/046-823-0312
営業時間/11:00~19:00
定休日/不定休
公式サイト/https://sukajyan.com/
◆ACTIVE SOUL
住所/横須賀市本町2-1
電話/046-874-6846
営業時間/10:00~20:00
定休日/火(祝日営業)
◆ファースト商会
住所/横須賀市本町2-5
電話/046-825-3800
営業時間/10:30~19:30
定休日/第1・3木
◆HONCH SHELL
住所/横須賀市本町3-6
電話/046-815-0583
営業時間/11:00~24:00
定休日/不定休
◆Johnagami Lab
住所/横浜市中区黄金町1-6-4
Johnagami.lab@gmail.com
yutoさん
2020年10月29日 02時24分
「ファースト商会」と「プリンス商会」こそ「横須賀」のスカジャンである。ネットや店でよく目にする機会が多い、「テーラー東洋」のスカジャンも格好いいが、主に古いデザインを復刻し全国に展開している東京墨田区の会社で背中のアルファベットは主に「Japan」である。「Yokosuka」ではない。東洋はブランディングやネット等の展開、マーケティングが上手いし技術もあるが、せっかくなら、地元で長くやっていて、背中の刺繍は「Yokosuka」の「ファースト商会」と「プリンス商会」で購入しようじゃないか。2社は自社Webサイトすらない。卸してもいない。「横須賀」という地で「オリジナル」を作り続け、コツコツと世界に広めてきた。2つの店とも主人は高齢だ。技術を継ぐ人は少ない。今こそ「本物」を現地に見に行くだけでも価値はあると思う。
かなやのかにめしさん
2019年07月01日 08時54分
ドブ板通りとスカジャンが横須賀の二大名物と勝手に思っていましたが、その歴史や今置かれている状況について、余りにも知らなかった事を今回の記事で学ばせていただきました。
実に細密な取材内容。記事ありがとうございました。