横浜新道の三ツ沢入口に謎の「使っていないトンネル」があるって本当?
ココがキニナル!
横浜新道の三ツ沢の入り口を入ってすぐに保土ヶ谷トンネルがありますがなんで真ん中のトンネルは使ってないの?しかもなんで真ん中だけ小さいの?(はたぼーさん、たかちんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
謎の「使っていないトンネル」は、車線拡張工事の際に残った以前の「上り線トンネル」。現在は使われていない。
ライター:クドー・シュンサク
結果からいうと、使っていなかったトンネル。左右の大きなトンネルに挟まれたキニナル真ん中のトンネルは、使っていない。
横浜新道を南下する際、赤丸のあたりにくると・・・(Google Mapより)
確かに右側にある、小さめのトンネル(Google Mapより)
そのちょっとした物語、そして立ち入りにくいトンネルは、後ほど動画でその様相もお届けします。
保土ヶ谷トンネルの工事と真ん中の小さいの
その理由はこの方々にお伺いしました。
左から吉田さんと中沢さん
ネクスコ東日本副所長の中沢さんと広報課の吉田さん。保土ヶ谷のトンネルの諸々とその事情をお伺いします。
新横浜からビュンと、タクシーで港北インターチェンジあたりに位置する「東日本高速道路株式会社関東支社京浜管理事務所」におじゃまします。
22字も漢字が並びました。通称はおなじみ。
ネクスコ東日本(写真は京浜管理事務所)
広報課の吉田さんに館内を誘導していただき
小さいトンネルのお話のはじまり
現在、上りと下りの各3車線、全長は上り193.8メートル、下りは193.7メートルで1日に平均10万台の車両が通る保土ヶ谷トンネル。
その真ん中にある謎の小さなトンネルはなんのトンネルなのか。
と、その前に
京浜管理事務所の管内図(管轄エリアの地図)を見ながら、保土ヶ谷トンネルのある横浜新道あたりの道路事情を。交通量の多さや関東近辺のどこにどう繋がっているのか。
横浜新道が開通した1959(昭和34)年からある保土ヶ谷トンネルは、バブル期を迎える前に交通量がかなり増えていったという。
副所長の中沢さんいわく「その当時の保土ヶ谷トンネルが、今の真ん中のものです」
キニナル真ん中の小さいの、それは旧保土ヶ谷トンネルということらしい。
上りと下りの計4車線で横浜新道にあった旧保土ヶ谷トンネル。1984(昭和59)年まで、多くの車両が交通していたが、その交通量の増加に伴い、翌1985(昭和60)年から横浜新道の車線数を片側2車線から3車線への拡幅事業が行われた。
工事について
工事は1985(昭和60)年7月1日から開始し、1996(平成8)年7月31日に上下線の3車線への拡幅工事が完了した。工事期間、費用を含め、関東道路業界での当時の一大事業とされた横浜新道保土ヶ谷トンネル工事。
当時の交通量を考え「交通を妨げてまで工事はできない」と計画された工事は、知恵を集約して、長い年月と尽力によって進められていった。
その結果、今の真ん中のトンネルが残った状態に。
工事は
全4ステージ
11年もの期間を経て
終了した
その詳しい工程は次のページで。
その工程は、最善の方法と近隣への配慮、想像を絶する激務によって終了。そして、キニナル真ん中の小さいトンネル、旧保土ヶ谷トンネルが残るという結果になった。
30年前の工事に少し時間をもどします
キニナル工事の方法とは・・・?最接近した動画も公開します!≫