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明治時代の「初代」横浜駅周辺の風景と駅舎内の様子はどんなかんじ?

ココがキニナル!

明治時代、現在の桜木町駅が「横浜駅」だったと聞きました。横浜駅と呼ばれていたころの、桜木町駅の様子が知りたいです。(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

日本で初めて開通した鉄道駅としての役割を果たした初代横浜駅は、美しいデザインの駅舎を持ち、日本人のみならず多くの外国人でにぎわった。

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ライター:ナリタノゾミ

やや使い勝手の悪かった初代横浜駅

(つづき)

では、本屋の構造に迫ってみよう。
前出の「汐留・品川・桜木町駅百年史」によると、木骨張りの桁行20.8メートル、梁間9.6メートルの2階建て2棟と、これを結ぶ桁行14.5メートル、梁間14.5メートルの木造平屋建て1棟から成っていたという。

本屋に入ると、まず車寄せがあり、正面に出札所広間、コンコースが広がる。左右にたたずむ2階建て建物の1階右には、上・中等車両利用客の待合所、左には下等車両利用客の待合所があった。客車両が上等(一等)、中等(二等)、下等(三等)に分かれていたため、それによって待合室も分かれていたのだ。
2階へ上がると、貴賓室、駅長室、駅務室が設けられていた。
 


本屋の間取り
 

見た目は美しいものの、本屋は実に不便が多かったという。
外国からの来賓も多かった同駅では、貴賓室の利用者に本屋全体を案内することがたびたびあったが、2階建ての2棟の一方からもう一方へ移動する際に、いったん1階まで降りなくてはならない煩わしさにつきまとわれた。

そこで、1873(明治6)年、泣く泣く2階建て建物を結ぶ渡り廊下を増設したというが、その廊下が使用されたのは11年ほど。
1884(明治17)年の台風で渡り廊下は見事に吹き飛ばされ、幸か不幸か、本屋はもとの美しい景観を取り戻した。
 


初代横浜駅本屋の平屋の屋根。半円の装飾窓が印象的だ
 

現・桜木町駅入り口の三角屋根は、初代横浜駅本屋の平屋の屋根を模したのであろう
 



日本で初めての列車が走った! いざ列車に乗り込もう



横浜~新橋間の所要時間は約1時間。乗合馬車では3時間半ほどの距離を、3分の1以下で移動できるのだから、人々の感激の様子は想像に難くない。

では、我々も当時の民衆に交じって初代横浜駅から列車に乗り込んでみよう。

開通当初の運転本数は9往復(午前4往復、午後5往復)であった。途中、設けられた停車駅は、神奈川・川崎・鶴見・品川。
もちろん、新橋まで行ってみたい。
 


初代横浜駅前のにぎわい(イメージイラスト:ナリタノゾミ)


列車の編成は、蒸気機関車と客車8両。客車の振り分けは、上等車1両、中等車2両、下等車5両。1車両あたりの定員は30人であった。

運賃は、横浜~新橋間の片道が、上等で1円12銭5厘、中等で75銭、下等で37銭5厘。
・・・、現在でいうところのいくらくらいだろう?

当時、米一升が5銭程度。筆者が日頃食べている無洗米は、一升(約1.5kg)600円ほどであるから、現在の物価で超単純に計算しても、下等車両で新橋まで行くのに片道約4500円かかるわけである。

上等車両を利用するほどの客であっても、あえて神奈川駅を使用する者が多かったという。神奈川駅から初代横浜駅までの道のり、約2.7キロメートル分を節約するというのだ。
神奈川駅周辺が、その後も横浜の中心地として栄えたゆえんであろう。
 


下等車両の切符を差し出す(再現イラスト:ナリタノゾミ)


さて、下等車両の切符を買ったあとは、新聞でも購入して発車時刻まで下等車両用の待合所で時間を潰すことにしよう。
開通当初から、新聞の販売が行われていたという初代横浜駅は、構内営業の発祥地でもある。
1874(明治7)年になると、初代横浜駅構内では新聞のほか、旅に必要な小物類などの販売も行われたそうだ。
 


1878(明治11)年の運賃表。開通時よりやや値下げされている(画像:JR桜木町駅改札内の壁)
 

日露戦争当時の初代横浜駅周辺の喧騒(画像:同上)


発車時間が迫り、ホームから電車に乗り込む。

新橋駅に到着するまでの約1時間。乗客の列車内での過ごし方は、車両階級によってさまざまだったようだ。
フランス人画家、J・ビゴーの「ヨコハマバラード」の中で描かれた明治中期の列車内では、女性の給仕が男性客に酌をする様子が描かれている。おそらく上等車両では、このようなサービスが行われていたのであろう。下等列車に乗るのが精いっぱいだった庶民にとって、憧れだったに違いない。
 


取材を終えて



外国人も含め、多くの利用客に愛された初代横浜駅は、1915(大正4)年、高島町に2代目横浜駅が完成したことに伴い、名称を「桜木町駅」と改めた。こうして、初代「桜木町駅」となった後は、いくつか改修が施されたものの、しばらくは当初の面影を残し続けた。

野毛浦から青木町を埋め立ててまで、やや不便なこの場所に線路を引っ張り、初代横浜駅を建設したのは、神奈川駅を終点にすると、長い鎖国政策後、民衆がいきなり外国人と触れ合うことになるため、「トラブルが発生するのではないか」と危惧されたことによる。
外国人居留地が横浜村に造成された経緯が考慮されたわけである。

日本における鉄道発祥の立役者となった同駅舎は、1923(大正12)年、関東大震災によってその生命を終えるまでの間、日本人が海外文化と融和していく過程を見守り続けたのであろう。
  

―終わり―
 

参考文献
・「横浜駅物語」(神奈川新聞社編)
・「汐留・品川・桜木町駅百年史」(東京南鉄道管理局編)
・「横浜ステーション物語」(横浜都市発展記念館編)
・「神奈川鉄道写真集」(岩田武編著)
※本文のイラスト・地図は、以上の文献を参考に作成しています。
 

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  • >円海山さん「ほんや」でも間違いではありません。鉄道用語では普通にほんや、ほんやと使っていますが、確かに普通は疑問に思いますよね。http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄道駅#.E6.A7.8B.E9.80.A0.E3.83.BB.E9.85.8D.E7.BD.AE

  • 弁天橋から見た様子が現在の写真アングルと比較することが出来て、とてもイメージがわきやすいイラストですね。毎日なにげなく通っている所にも歴史を感じることが出来ます。過去の文献も良く調べていただき、短時間で色々な知識が吸収できるスバらしいレポートだと思います。調査御苦労さまでした。

  • 些細な事ですが 本屋(ほんおく)と読むべきところを途中まで漫然と(ほんや)と読んで、なんでこんなところにほんやがあるんだろう?と不思議でした、途中で気がついたけど 私だけかしら?初出のところに(ほんおく)と書いて頂ければありがたかったですね。私もナリタさんのイラスト好きです。

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