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かつて六角橋は牧場だったってホント!?

ココがキニナル!

昭和20年ごろまで六角橋交差点のあたりに「房陽舎牧場」という牧場があったって本当?小川牧場と関係があった?房陽舎牧場の屋敷神の「箭弓稲荷神社」は東松山の「野球神社」?(ねこぼくさん/三ッ沢さん)

はまれぽ調査結果!

明治から戦後すぐまであった「房陽舎(ぼうようしゃ)牧場」。小川牧場とは無関係で箭弓稲荷(やきゅういなり)神社は「野球神社」から分祀されていない

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ライター:ほしば あずみ

房陽舎牧場の戦後史



焼け出された鈴木さん一家は、反町へ移ったがそこでも空襲にあう。遠戚を頼って岩手県の炭焼き小屋に疎開して終戦を迎えた。
戦後1、2年後同じ六角橋で、牛を買いそろえ牧場を再開させたが、周辺からにおいなどのクレームがあってすぐに牧場経営は断念。事実上、房陽舎牧場が存在したのはこのころまで。
その後しばらくは、荷役馬と牛乳の卸売りで生計をたてていた。

「当時、進駐軍がいて、今の岸根公園は一時期、野戦病院みたいになってたんだよね。そこの軍人の家族に、娘が乗馬をするというので馬を貸したりしたよ。乗馬用の馬じゃなくて荷馬なんだけどね」と笑う鈴木さん。
(岸根公園に野戦病院があった経緯はこちら
 


1973(昭和48)年まで接収されていた岸根バラックス(写真提供:横浜市政策局基地対策課)


房陽舎牧場はその後、牛乳の卸売りと並行して戦前からのミルクホールも再開させ、それが食堂へと形態を変える。現在の末廣園の前身である。鈴木さんは言う
「(三代目である)父の代で、料理部門の“末廣園”、牛乳販売部門として“房陽舎”、2つの経営に分けたんだ。先祖がはじめた商売とその名前をなくすわけにはいかないので」
 


現在の末廣園。気軽なランチから本格的なコースまで和食が楽しめる


鈴木さんは高校2年生で料理部門“末廣園”の代表取締役になり、父の喜之助さんが“房陽舎”の名で牛乳販売を続けた。もちろん、学生時の肩書きは名前だけのものだったが卒業後、正式に調理師学校に通い、房陽舎牛乳販売所を手伝いながら商売を受け継いだ。
 


最近は毎日のように通っているという常連の金田さん
 

金田さんのおすすめは「末廣御前」

 


ご利益ありのお稲荷さん?



また、もう一つ、キニナルにあった末廣園の「箭弓稲荷(やきゅういなり)」。
三代目の喜之助さんがある時、家の中の荷物を整理していたところ、どこからかお稲荷さんのお札が出てきたのだという。
それが、日本三大稲荷の一つ、「箭弓稲荷(やきゅういなり/埼玉県東松山市)」のお札だった。なぜそのお札があったのかはわからないまま、祀ることにしたのだそう。
 


箭弓稲荷。左脇に牛馬供養塚がある


東松山市の箭弓稲荷はその響きから現在では野球関係者がよく参拝することでも知られているが、末廣園の箭弓稲荷はあくまで「屋敷神(一家一族の土地の守護神)」として祀っているもの。なので、東松山市の「本社」から正式に分祀されたものではない。とはいえ誰でも参拝できるので、投稿者が気にしていた「ベイスターズ」選手が参拝しているかどうかはわからない。
 


玉垣に「末広園」「房陽舎」の文字


塚のような形で祀っていた記憶があるので戦前からあるのではという鈴木さん。
以前はもっと奥まった人目につかないところに祠があったそうだが、ある時、霊能者のような人から「そんな祀り方をしていてはいけない」といわれたそうだ。
その後、1973~4(昭和48、9)年ごろ、火事で店が焼けたことがあったという。

「ところが、焼けた店の目と鼻の先でお稲荷さんの注連縄(しめなわ)に下がった紙垂(しで)が燃えもしないで揺れていたのを見るとね・・・何かあるんじゃないか、ちゃんと祀らなきゃと思うよね」
その後、現在のように道路からもよく見えるように祀っているそうだ。
 


取材を終えて



実は、牧場経営や牛乳販売をやめた今でも、「房陽舎」は不動産管理会社として名前を残している。「末廣園も、経営が大変な時期もあったけど、どちらも祖父の代から受け継いだ大切なものだから、なくすわけにはいかないと努力してきた」という鈴木さん。
100年前から続く系譜を地域の歴史と共に、これからも永く継いでいってほしい。
 

―終わり―
 

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  • 乾牧場は神奈川区鳥越という小さな町にありました。小坂商店さんの裏手にあり、牛を5頭ほど飼っていました。昭和25年ころ、毎朝瓶を持って牛乳を買いに行ったのを覚えています。もうその頃、六角橋は立派な商店街になっていました。

  •  港北ニュータウンでも、35年くらい前まで乳牛を飼っているところがありました。今はすっかりと風景が変わってしまい、どこだったのかさっぱりと判らなくなりました。

  • 40年くらい前、井土ヶ谷にも牛いたなぁ。。

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