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廃止から約40年。「市電」の博物館、磯子区の「横浜市電保存館」が生まれ変わった様子を教えて!

ココがキニナル!

市電保存館が開館40周年記念で改装されてきれいになったそうです。横浜駅東口大時計も復活したそうなのでどうなったのかキニナル!(はまっこさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今年 7月、館内が暗いという声を受け内装や照明を一新。市電の一部にはレアなペイントも。10月には、横浜駅東口大時計が34年ぶりに時を刻み始めた

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ライター:河野 哲弥


投稿にあった横浜東口大時計とは



実は、今回のリニューアルには、ひとつの物語がある。それが、1928(昭和3)年から1979(昭和54)年までの間、3代目横浜駅の駅舎に設置されていた大時計。
 


駅舎上部の中央に見える、円形の部分


この時計。横浜駅の改修工事に伴って外されたものの、保土ケ谷区の佐藤芳夫さん(77)が中心となり、「旧横浜駅東口大時計保存運動委員会」を発足。一時は、横浜港大さん橋国際客船ターミナルに預けられたものの、1983(昭和58)年から同館で保存することになった。しかしこの時点では、もう動かなくなっていたらしい。

これを何とか復刻させたいと考えたのが、同館を運営する一般財団法人横浜市交通局協力会の常務、伊佐見孝夫(いさみたかお)氏。氏は、市電のメンテナンスをする保守整備部長を務めていたこともあり、機械類はお手のものだったらしい。民間の修理工場などの助けを借りながら、再び大時計に命を吹き込もうと尽力した。

こうしてリニューアルから3ヶ月後の10月、除幕式が行われ、横浜駅東口大時計は再び時を刻むことになったのである。
 


館内に飾られた大時計の様子


ところが、肝心の佐藤さんは体調を崩し、除幕式には出席できなかったそうだ。
「佐藤さんは毎年時の日(6月10日)になると、『大切に保管してくれてありがとう』と、花束を持って見えられていたんですよ。それが、念願がかなったときに限ってね」と山崎館長。
 


今年は、花束の代わりに、佐藤さんから祝電が届けられた


現在の精巧なムーブメントとは違い、分針が揺れ動きながら進んでいく大時計。まるで、一刻も早い佐藤さんの全快を、身を震わせながら祈っているようだ。
 


同館の歴史と、今後の課題



ここで、「横浜市電保存館」の歴史を簡単に振り返っておこう。
まず、市電が走り始めたのは、1904(明治37)年のこと。
やがて自動車が「一家に一台」の時代を迎え、渋滞などの一因になった横浜市電は1972(昭和47)年3月、ついに全廃となった。

同館は、その翌年にあたる1973(昭和48)年8月、長年市民の足として走り続けてきた姿を形として残すべく、滝頭車庫の車両修繕工場跡にオープンした。
 


新しくなった入口には、約70年の歴史をつづる年表が飾られている


その後の1983(昭和58)年、現在のような横浜市営住宅の1階に入る施設へと改修。
2003(平成15)年には、鉄道模型コーナーの拡張も含めた、2度目のリニューアルを行った。

昨年の2012(平成24)年10月には、市電全廃から40年目を迎えたプレイベントが行われ、「市電運転士になろう!」などの催し物を実施。
そして、いよいよ本格的な改修工事が2013(平成25)年5月から開始され、7月20日にリニューアルオープン。
10月13日に行われた市電保存館開館40周年記念祭では、横浜駅東口大時計復刻の除幕式が開催された。
 


ゆったりとした雰囲気になった、休憩スペース


では、今後の予定や課題はあるのだろうか。
山崎館長に話を伺うと、「オープン当時、1年間の来場者数は約1万3000人でしたが、現在は約5万6000人にまで増えています。中には懐かしさのあまり、涙を流す方の姿も。ところが今後、市電を知らない世代が増えていくと、入場者数が減っていくのではないでしょうか」という。
 


かつてはこんな姿が、横浜市内で見受けられた


ここで、実際に市電が走っていた姿を知っている人が、どれくらいいるのか考えてみてほしい。
横浜市電が廃止された1972(昭和47)年に20歳だった人は、現在還暦を過ぎている計算だ。市電の思い出は、そのうち人の記憶から失われてしまいかねない。同館から思い出という絆が消え去ると、単なるマニアに向けた施設になってしまう可能性がある。

問題は今後にかかっている。そのための取り組みとして、同館では来年、鉄道模型コーナーのさらなる充実を予定しているそうだ。特に子どもたちに来場してほしいので、現在よりも低い位置に展示し直し、全体を上から眺められるような工夫をしていくとのこと。
 


子どもに大人気の、HOゲージコーナー


また、「市電は、駅への上り下りがないのでお年寄りにも負担をかけず、排ガスも出ないので地球に優しい乗り物。現在、市の教育委員会などに働きかけ、こうした問題を小中学生にも考えてもらおうとしています」と山崎館長。若い世代に関心を持ってもらうことで、風化を防ごうとしているのだろう。
 


次世代へ受け継がれるのか、横浜の遺産



では、実際の来場者の反応はどうなのだろうか。さっそくヒアリングしてみると、その日はじめて同館を訪れた方ばかりだった。リニューアルの感想は聞けないまでも、小さな子どもは、市電に興味を持っているのだろうか。
 


「2人とも女の子ですが、見事にハマっています」と、金子さんご一家


ほか、「大宮の『てっぱく(鉄道博物館)』より食いついています」「自由に触れるところがいい」など、おおむね好評のようだ。
 


こうした景色も、子どもたちにとっては新鮮なのかもしれない


以前ご紹介した「横浜にLRTを走らせる会」のように、市電を再び見直そうという動きも出現してきている。単なるノスタルジーではなく、今後の都市交通を考える上でも、同館の果たす歴史的な意義は大きい。


―終わり―
 
横浜市電保存館
横浜市磯子区滝頭3-1-53
開館時間/9:30~17:00
休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入場料金/大人・高校生100円、小・中学生50円、65歳以上・就学前児童は無料(高校生以下は土曜日無料)
 

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  • 小学校の低学年の頃、東京から横浜へ引っ越してきました。この時、初めて見たのが横浜駅西口広場を走ってたトロリーバスと路面電車。その時、何で横浜に都電が走ってるのかなと疑問に思ってました。小学校の時の校外学習で、滝頭の市電保存館で実物を見てこの電車は都電じゃなくて横浜市電だった事、東京へは線路が繋がってないと納得したのもこの保存館でした。残念だったのは、市電とトロリーバスに乗れなかった事です。

  • 祖父が市電に勤務していたものです。こうやって思い出してくれる方がいるのは遺族として嬉しいです。

  • 1998年当時、卒業論文取材に気軽に応じてくださり、ありがとうございました。提出後、世界の路面電車紀行というビデオと、日本の路面電車という本を寄贈したのを記憶しています。論文は最新事例(LRT)が中心で、横浜の路面電車はほぼ障りくらいに終始してしまいましたが・・・。

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