かつて花街があった開発前の「上大岡」の歴史について教えて!
ココがキニナル!
開業当初の京急「上大岡駅」は簡素で無人駅、利用者は20人足らず。開発前の上大岡駅と周辺の様子は?(抹茶さん/ねこぼくさん)/地下鉄上大岡の銀色の亀ってなくなってしまう?由来は?(はまれぽ初心者さん)
はまれぽ調査結果!
1930年開業当初の上大岡駅周辺は一面田んぼ。その後花街があった時代もあるが名残はない。銀の亀は地下鉄開業記念の壁画レリーフでなくならない
ライター:ほしば あずみ
上大岡にあった花街
「これは貴重な一枚だよ」と渡辺さんが見せてくれたのは、1962(昭和37)年正月の上大岡駅前の様子を移した写真。
晴れ着を装う人々と正月飾りがおめでたい(提供:渡辺渥美)
よく見ると駅舎の外観が違う。これは駅ビルへ建てかえるために初代の駅舎を取り壊した後の、仮駅舎なのだ。
奥に「箱根通」という商店街が見える。これは現在のパサージュ上大岡の前身である。
「戦前は、ここを抜けた先の久保村(現在の大久保)が花街だったんだよ。1958(昭和33)年に完全施行された売春防止法で完全に廃業になったけど、それ以前からだいぶ寂れてはいたね」と渡辺さん。
1947(昭和22)年ごろ、花街を宣伝するために「浜の箱根通り」というキャッチフレーズを駅からの道につけたのだという。
1947(昭和22)年ごろの空中写真で見る花街
(国土地理院地図・空中写真閲覧サービスに一部加筆)
花街の歴史は大正時代のおわりごろまでさかのぼる。市電が弘明寺まで開通し、関東大震災の復興事業もあって久保村の農民の多くが横浜市街地に働きに出ていった。土地が余った地主たちは真金町遊郭が移転するかもという噂を聞き、遊郭の誘致をしたようだ。
その後、県から正式に「三業地」(料理屋、芸妓屋、待合の三業を営む地域。営業には許可が必要だった。参考:花街として栄えたころの「鶴見三業地」を徹底調査!)として指定され、1935(昭和10)年ごろには30数軒あまりの店がにぎわいを見せていた。
戦前からあった料亭などが最後まで残っていた付近。その面影はもうない
この花街は、横浜の作家、大佛次郎の『敗戦日記』の中にも登場する。
「昭和20年10月7日(晴)上大岡で降り田圃の中の花街を覗く。戦争中寮になっていたのを県の命令で急に店をあけ芸者が入り、押すな推すなの盛況だそうだ(後略)」
戦局の悪化にともない、戦時中は営業を停止していたが、戦後は米兵も出入りして再びにぎわっていたようだ。しかし、次第に廃れていき1958(昭和33)年の売春防止法の施行で花街は姿を消す。
飲食店はいくつか並んでいるが花街だった名残は残っていない
「箱根通」もその後、昭和40年代に入って「中央商店街」と名前を変えた。渡辺さんによると、再開発で昔の店はほとんどなくなってしまったそうだ。当時の様子を残しているのは1000ぶらでも登場した、「鳥毛鶏肉店」と「まるとよ呉服店」、「成田屋酒店」くらいだとのこと。
隣あう鳥毛鶏肉店とまるとよ呉服店
そして成田屋酒店。ちなみにここは「角打ち」ができる
銀の亀をさがして
昔の上大岡駅の写真からは信じられないような変貌ぶりの駅前に戻る
さて、もう一つのキニナル、市営地下鉄上大岡駅の「銀色の亀」。
渡辺さんにも何かご存じないか聞いてみると、「場所が変わったね」とのこと。工事があったかどうかはわからないが、亀は相変わらず駅にいるとのこと。
渡辺さんも「地下鉄の開業当初からある気がするけど・・・詳しいことはわからない」とのことなので、とりあえず現地で確認してみる。
いました、銀の亀
京急から地下鉄への連絡通路の中ほどに、無数の銀色の亀が泳いでいた。
銀の壁、銀の柱、銀の亀である。鏡のような効果でここだけ少し広く感じる。
亀は仰向けになったり悠々泳いだり自由自在
近づいてみると、亀たちの右わきに何か書かれている。
開通 昭和47年12月15日 横浜市長飛鳥田一雄
銀色のプレートに彫られているので目立たないし読みづらいが、そこには亀たちの由来が詳しく記されていた。
作品名は「銀の海に銀の亀」である。
かいつまんで言えば、この亀たちは市営地下鉄開通記念のレリーフである。亀が選ばれたのは「鶴は千年、亀は万年」ということわざに見られる持久力、耐久年限の永遠性や、横浜がかつて海だったことなどが理由であるようだ。
「『海と陸との関わり』を民衆のことばを通じてよびさますものは海亀のような永遠長寿のやさしさであると考え」たことから、輝く亀の群れをレリーフにしたそうだ。
駅係員にうかがったところ、記念で作られたものなのでなくなることはない。かつては京急の改札がある方の改札口付近に設置されていたものを、のちに現在の場所に移動させたという。
「工事をしている」という投稿があったのは去年2013年の7月。いったい何の工事だったのか交通局技術管理部建築課に問い合わせてみたところ、当時バスターミナル側改札口のトイレのリニューアル工事を行っており、銀の亀周辺を一時的に資材置き場にしていたとのこと。亀自体の工事ではなかったそうだ。
取材を終えて
はまれぽでも幾度となく取り上げているように、めまぐるしい変貌を遂げている上大岡。今回はその一端を紹介した。変わり続ける街の昔の姿に、時には思いを馳せてみてはいかがだろう。
―終わり―
まちゃんさん
2014年07月27日 20時35分
昭和30年代の上大岡駅に行きたかった
伴 俊作さん
2014年05月16日 12時31分
亡くなった父が生前酔うと「あの時上大岡の土地買っとけばなー、今頃...」とよくグチをこぼしてたことを思い出しました。賑やかな上大岡しか知らない私は「え?ホントに買えたのかなー?」と疑っていましたが、この記事を見て納得しました。今となってはいい思い出です。
角さん
2014年05月15日 10時15分
花街の名残なのか、昔から美容院が多かったです。でも、今では日本髪を結えるお店は皆無なんでしょうね。 ちなみに、大久保にハンバーガーの自販機があったことを私は覚えている・・・・。