石川県にあった總持寺が鶴見に移転した理由を教えて!
ココがキニナル!
鶴見の総持寺は、明治時代に石川県から今の場所に移転したそうですが、あの場所は移転以前は元々何があったのでしょうか?どうして鶴見に移転してきたのか、理由が気になります。(NAKAKITAさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
能登にあった總持寺の大火災を機に、総本山を交通の便が良い場所へ移したいという声があったため、同じ曹洞宗の成願寺敷地が移転先に選ばれた
ライター:河野 哲弥
移転の歴史を説明するパネル展示は、非公開部分に
次は、本堂(佛殿)の隣に位置する「大祖堂(だいそどう)」へ。
1965(昭和40)年という比較的最近の完成となるが、比喩ではなく実際に「千畳敷」を誇る、巨大な建築物である。この地下に、今回の投稿に対する答えが隠されていた。
佛殿の真下を通る地下廊下を抜け、図の右上へ移動
年表と写真を使ったパネル展示が出現した
これによると、移転前のこの場所には、同じ曹洞宗の「成願寺(じょうがんじ)」が建てられていた模様。ちなみに同寺は、現在の場所、總持寺の東端に移設された。
移転前の現在地の様子
齋藤さんの『鶴見 總持寺物語』からも一部拝借
齋藤さんによれば、能登の總持寺が火災に遭ったのを機に、関連寺院から「交通の便が良い関東に移転しては」という要望が上がったそうだ。こうした声を受け、千葉や八王子などの候補地の中から、高台にあって四方を望める「鶴見ヶ丘」に白羽の矢が立ったという。
その理由としては、当時は陸路だけでなく、海路も重要な交通手段であったから。横浜港に近い鶴見は、その後に行われた移転工事に際し、資材を運ぶのに便利だったのである。関係者や参拝者の利便は、言うまでもない。
一方、当の「成願寺」は、このプランに賛成したのだろうか。ここは、齋藤さんの著書を引用することにしよう。いわく、「来たよ!(總持寺)」「わかっている。よろしい(成願寺)」の二つ返事だったそうだ。
『鶴見 總持寺物語』より、原典は『鶴見ヶ丘』という歴史書
移転に尽力した石川禅師の肖像画が飾られる、「紫雲臺(しうんたい)」の様子
またその背景には、当時の京浜電鉄(現京浜急行)社長、雨宮敬次郎氏の進言もあったようである。本格的な門前町ができることによる経済効果を考えてのことだったのだろう。ちなみに、かつて存在していたこれらの町並みは、電鉄各社の線路拡張工事によって、その姿を消すことになった。このため現在では、付近に土産物店などがない、全国でも珍しい景色が広がっている。
鶴見駅と国道駅の間には、「本山駅」もあった
それにしても、なぜこのような貴重な資料が、非公開の場所に飾られているのだろう。
齋藤さんよると、2013(平成25)年の「つるみ夢ひろばin總持寺」では、公開したとのこと。これだけのパネルを飾ることができる場所が見つからず、今に至るらしい。
「多くの方にご覧いただきたいたいので、何とかしたいとは思うけど」と、各方面の調整やスペース確保の難しさに、頭を悩ませているそうだ。
開かれた總持寺を目指して
こうした中、總持寺や齋藤さんら鶴見区文化協会が取り組んでいる、新たな試みもある。
總持寺が行う「諸堂拝観」は、各日10時、11時、午後1時、午後3時の4回、1時間程度の内覧を行うもので、特別な行事がある場合は拝観中止となる。なお、「大祖堂」の展示パネルも内覧コースには含まれている。
また、毎年11月3日(祝)文化の日、總持寺の境内を舞台として催されるイベントが、「つるみ夢ひろばin總持寺」。ステージパーフォーマンスや特別展示、東日本大震災被災復興支援や輪島市を含む各種物産展などが登場。こちらも見逃せない。
2013年の同イベントチラシ
5万人余の人出でにぎわった「つるみ夢ひろばin總持寺」(2013年)
「總持寺」というと、開かずの踏切や盆踊りのイメージが強く、そのほかのことについてあまり知らないという人も多いのではないだろうか。上述の試みは、曹洞宗が選んで移転してきた鶴見の街と、その歴史に触れるまたとない機会でもある。ぜひ、参加してみてはいかがだろうか。
―終わり―
◆總持寺
http://sojiji.jp/
ushinさん
2014年07月11日 16時44分
自分の知らないこと書かれると、悔しくて「そう思わない」を衝動的にクリックしてしまう人が、うじゃうじゃ巣食っているだけですから、気にしないw
よこはまのみつるダイヤさん
2014年07月07日 22時05分
下の投稿に、そうは思わないのカウントが上がっているけど(笑) ”なぜ裕次郎さんのお墓を総持寺に決めたか” で検索すると分かりますよ、事実を知る上で参考になると思います。<下記投稿は原文のママ>
よこはまのみつるダイヤさん
2014年07月02日 15時59分
一つ下のコメントは、本人が言ったような内容になっていました失礼致しました、こちらが正解の文章です→夫人はご挨拶の中で、「なぜ裕次郎さんのお墓を総持寺に決めたかと申しますと、 初めはご実家がある逗子にしようかと思ったのですが、道路が狭く、色々と混雑して地元にご迷惑をかけるので、同じ宗派であり、 裕次郎さんが気に入っていた総持寺にしたのです。なぜ総持寺のことを知っていたかと言いますと、「陽のあたる坂道」の撮影がこの近くの別所で行われまして、 何回かここを訪れた折に、樹木に厚く覆われたこのお寺を大層気に入っていたのです。」と、仰言っていました。樹木に覆われた広い境内を歩いていますと、何か、大きなものに抱かれたような、安らかな気持ちに包まれます。お暇の折に、訪ねてみるのもよろしいかと思います。