近代建築マニアに有名だった大さん橋の元廃墟「ジャパンエキスプレスコンピューターセンター」について教えて!
ココがキニナル!
近代建築マニアにはわりと有名だった、大桟橋の廃墟『ジャパンエキスプレスコンピューターセンター』が何かのお店になったそうです。何のお店になったのか気になります!!(やまんばさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1936年からあるこの建物は、元のデザインを損なわないようリフォームされ、2012年から「STRIPES(ストライプス)」というシャツ屋さんになった
ライター:はまれぽ編集部
JECはどんな施設だったのか
早速、教えていただいた連絡先に問い合わせてみると、東京都千代田区神田にある本社でお話を聞けることに。
日を改めて、東京に向かった。
株式会社ジャパンエキスプレスのあるビル
対応していただいたのは、企画管理部総務チームの浅場専太郎(あさばせんたろう)さん(残念ながら写真はNG)。
同社は、1927(昭和2)年に「株式会社ニューヨコハマエキスプレス」として横浜市中区新港町の税関構内に創業。船客の送迎や手荷物運搬、貨物保管を行っていたそうだ。1930(昭和5)年に商号を「株式会社日本エキスプレス」に変更。本社ビルを大さん橋にほど近い、海岸通り沿いに竣工。1936(昭和11)年に分室としてJECを建てたという。
本社ビル(右上)とJEC(中央)
大さん橋に到着する旅客の手荷物運搬などをしていたため、本社ビルよりも大さん橋に近い場所に事務所を建てたということらしい。当時は自動車を収めることのできる車庫スペースもあったそうだ。この時点では「コンピューターセンター」という名称ではなかったという。
当時の資料より。看板には「NEW YOKOHAMA EXPRESS CO.」の文字
内部はこんな感じ。右上に自動車2台分の車庫が確認できる(※クリックして拡大)
それからしばらくして、業務効率化を目的に、情報処理を行う部署がJEC内に設置されたそうで、その時点から「コンピューターセンター」の名がついたらしい。
残っている資料によれば、1970(昭和45)年6月に、コンピューター導入委員会が発足しているらしいので、時期的にはそのあたりなのではないかと浅場さん。
当時は大掛かりな装置だったコンピューターも、時代とともに小型化が進み、特別な部署は必要なくなっていった。十数年間「コンピューターセンター」として使用されたJECは、いつしか倉庫として使われるようになった。
「実は、リフォームするまでの期間は、労働組合の事務所としても使っていたんですよ。『STRIPES』さんが入ることになったので、組合は本牧の事務所に集まるようにお願いしました」
好立地にあり、醸し出す雰囲気もいいJEC。これまでに借りたいという申し込みはなかったのだろうか。
「2002(平成14)年ごろから、年に4~5件ほど、飲食店として借りたいという申し出はありました。しかし、大さん橋から象の鼻パークあたりまでは、都市計画区域の臨港地区、商港区にあたりまして、建物の使用には用途制限というものがかかっています。どんな店舗でも入れるというわけではないんです」
JECのあるエリアは、国有港湾施設として、建設物やその他施設の新築、移転、撤去、模様替え、修理などの工事を行う場合、また、建物などを第三者に貸し付けるときは、あらかじめ横浜市港湾局から承認を受けなければいけないというルールがあるそうだ。
臨港地区の用途制限(『臨港地区のあらまし』〈横浜市港湾局〉より)
賃借の申し出を受ける度に港湾局に相談してきたが、その時点では大さん橋の改修工事が終わったばかりで、近隣地域の開発プランを作成している最中ということで認められない、という回答をもらってきたという。
しかし、2006(平成18)年には「象の鼻地区整備計画案」が立ち上がる。これは、かつての港の機能が本牧地域に移ったことに伴い、大さん橋~象の鼻パークのエリアを観光客をはじめとする一般の人を呼べる場所にしようという動きが出てきた。同計画が進んでいくにつれ、横浜市の考え方も変わってきたような感じがあったという。
現在の大さん橋
現社員やOBからも、慣れ親しんだJECを残していきたいという声があがるようになり、どのように保管していこうかと模索していた。老朽化がかなり進んでいたため、修繕するにも費用がかさんでしまう。そんな矢先、2011(平成23)年に「STRIPES」からの貸借希望があったという。
「テナントが入るなら、その賃料で修繕費もまかなえると思いまして。外観や内部をほとんど変えずに使用するという条件のもと、OKしたんです」
リフォーム前、傷んでいた箇所
利用制限に関しては「シャツ作りに使用するための海外から輸入した布を保管する機能をメインとしたもの」ということで港湾局からも許可を得ることができた。そして、同年ごろからリフォームを開始。修繕に使う素材も、壁面の風合いに合うもの探すのに苦労したそうで、業者からは「新しく建てたほうが安いですよ」とさえ言われるほど大変だったそうだ。
リフォームを進めて行く際には、新たな発見があったという。
真四角型の建物の端に一つだけ、柱が上部に飛び出ているような部分がある。
こちら。右側の面に丸い模様がある
煙突かとおもいきや、実はかつて、時計が付いていたということが分かったそうだ。
「両側は空き地で、周りにも高い建物がそんなになかったんでしょう。ランドマーク的な存在だったかもしれませんね」
当時の資料によると、JECの両隣は空地だったらしい
時計部分の資料
耐震性について検査したところ、今の基準でも問題ないということも分かった。
およそ3ヶ月かかったリフォームは2012(平成24)年に完了。
こうして、JECは当時の雰囲気を残したまま新しくなり、現在「STRIPES」がJECに入居できるようになった。
取材を終えて
モダンな雰囲気がカッコいいジャパンエキスプレスセンター。
廃墟同然のところを、ものづくりにこだわるシャツ店の申し出をきっかけに生まれ変わったというところがなんともドラマチックだなあと思った。
海岸通りにある「株式会社ジャパンエキスプレスセンター」本店の建物は、2011(平成23)年に横浜市より歴史的建造物として認められたそうだ。JECで行ったリフォーム方法を活用しながら、近々改修する予定もあるという。
古き良き時代の貴重な横浜の建物、もっと残していきたいですよね。
―終わり―
梅さんNO.1さん
2015年09月30日 00時08分
懐かしくはいけんいたしました。小生 昭和42年よりジャパンエキスプレスで輸出通関をしていました。この会社の本業は、輸出、輸入通関とその荷物の、運搬でした、今は、きれいになった赤レンガ倉庫は、輸入品の保税倉庫として使われていましたが、一部、廃墟のようになっており、それを利用して映画のロケも行われていました、懐かしいことありがとうございます
ushinさん
2014年11月24日 14時54分
「ジャパンエキスプレスコンピューターセンター」と切れ目なく読んでしまうと、なんかIT系の会社に見えてしまい「なんでこんなところにこんな小さいオフィスが?」となるが、ジャパンエキスプレス の コンピューターセンターだったんですね。エキスプレスと言えば急行だけでなく、通商関係の会社がよく名乗っている名前で、カードで有名なアメックスもそういった関係で為替決済をやってる会社なわけで。日本通運も英語名では「NIPPON EXPLESS」だったような。この会社の改名もそれと関係あるのでは?