江戸時代から鶴見川に架かる「鶴見川橋」は歌川広重の浮世絵のモデルになったって本当?
ココがキニナル!
「鶴見川橋」の歴史は古く、江戸時代には「鶴見橋」と呼ばれ、安藤広重の浮世絵にも描かれているとか。現在の鶴見川橋がアーチ形なのは、当時の橋の形を意識したものなの?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「鶴見川橋」は江戸時代の「初代鶴見川橋」を意識したものではなく、川の中に柱を立てずに強度を保つためのデザイン。大正時代に鶴見橋から改名した
ライター:橘 アリー
江戸時代の橋を意識して造られたのだろうか?
横浜市道路局建設部橋梁課の馬郡弘幸(まごおり・ひろゆき)さんにお話を伺った。
快く対応してくださった馬郡さん
まずは、「二代目鶴見川橋」について
「二代目鶴見川橋」は、1953(昭和28)年に架けられたもので、それまでの木の橋ではなく、鉄の橋であった。
そして「二代目鶴見川橋」は「かながわ橋100選」に選定されたこともある
正面から見た「二代目鶴見川橋」の様子(橋梁課資料より)
横から見た「二代目鶴見川橋」。控えめな姿が親しまれていたそうだ(橋梁課資料より)
「二代目鶴見川橋」の長さは112メートルで、幅は8メートルである。
そして、河川の改修工事にあわせて架け替えることになったそうである。
「二代目鶴見川橋」になった後も、鶴見川の氾濫により、橋はたびたび、流失の危険にあったそうだ。
続いて、現在の「三代目鶴見川橋」について。
現在の「三代目鶴見川橋」は、1990(平成2)年度~1997(平成9)年度にかけて工事が行われた。
工事中の様子(橋梁課資料より)
橋の長さは119.6メートルで、幅は歩道と車道をあわせて12メートル。
種類は、一般的には「アーチ橋」と言われているが、正式には「アーチ橋」の種類の中の一つで「鋼床版ニールセンローゼ桁(バスケットハンドル型)」という名称だという。
1997(平成9)年の完成した当時の様子
最後に、このデザインにした理由について
馬郡さんによれば、現在の「鶴見川橋」がアーチ状の橋なのは江戸時代の木製の橋の形を意識したのではなく、橋脚で川の流れを分断しないように、川の中に柱を立てないで強度を保つことができるデザインであるからだそうだ。
アーチ状なのは意識してのことではないが、橋の歩道面は旧東海道のイメージを重視して、落ち着いて散策できるように自然石の風合いのある滑りにくい歩道材が使われているそうだ。
右側が歩道部分
取材を終えて
水害などによって、何度も架け替えられてきた「鶴見川橋」。
現在のデザインは江戸時代のアーチ状の橋を意識したものではなかったが、歩道は旧東海道のイメージを意識してつくられていた。
アーチ状のフォルムが美しい
橋の耐久性を考えた結果、江戸時代の橋の形に似てしまったというのも、なんだか味わい深い話である。
歩道の風合いで旧東海道の雰囲気を感じるのもよし、遠くから眺めて江戸時代に思いを馳せるのもよし。
何気なく佇む「鶴見川橋」、これまで以上に親しみが持てそうだ。
―終わり―
都筑のふくちゃんさん
2014年11月28日 18時02分
良くしらべていただきました。東海道の鶴見川橋は歴史的にも貴重な存在だと思いました。