綱島街道沿い、歩道にある「なくても支障ない」謎の三角形の正体は?
ココがキニナル!
綱島駅近く「綱島街道」と県道106号線の交差点付近の歩道に謎の三角植え込みが昔からある。なくても支障はなくスッキリとすると思うが、なぜずっと三角植え込みは存在しているの?(リョー☆サンさん)
はまれぽ調査結果!
昭和初期の道路の拡幅工事の際、新道の綱島街道が旧道の上に重ならず、ずれて作られたため、歩道上に三角形の広いスペースが生まれた。
ライター:小方 サダオ
地元住民に話を伺う(つづき)
ところで相鉄・東急直通線の新綱島駅の建設に合わせてこの付近が変わろうとしているという。
建設中の相鉄・東急直通線の新綱島駅
新綱島駅の計画図
新綱島駅の周辺には、商業施設や居住施設が出来るとともに、綱島の区間のみではあるが、綱島街道の拡幅工事も予定されているという。
綱島街道の拡幅整備が予定されている新綱島駅付近
温泉施設も作られる予定だという
昔の綱島街道と拡幅工事の話に関して伺うと「以前は交通量が少ない道路で、橋が一本でした。間が空いていて隣に歩道がありました。その後空いた場所を道路にし、上下2車線にしました」
以前の綱島街道。道路(白矢印)と歩道(赤矢印)の間が空いていた
「まだ坪数や保証金についてなどの話は聞いていませんが、綱島街道沿いに建つ私の店にも、市のほうから拡幅工事に伴う土地の提供について言ってきています。例の三角形の空間も拡幅工事の際には役に立つかもしれませんね」と答えてくれた。
拡幅工事予定の赤線。投稿の植込みの場所(青矢印)も拡幅工事に利用されるかもしれない
さまざまな綱島の歴史に関するお話を聞かせてくれたKさんに感謝し、お別れをした。
綱島温泉とは?
ここで、綱島の歴史に大きく関わった温泉について調べてみる。『わがまち港北 平井誠二著』によると「ラジウム鉱泉が樽と綱島に発見され、1926(大正15)年に東京横浜電鉄神奈川線(現:東横線)が開通して、綱島温泉駅が開業したことで、温泉客でにぎわうようになった」
昭和初期の綱島温泉
綱島温泉の芸者衆
1932(昭和7)年の綱島温泉の一郭
「大綱橋から現・綱島街道沿いはにぎやかな温泉街であった。東京に近いことと交通の便が良いことから箱根に次ぐ人気となり『横浜の箱根』と呼ばれた。
戦時中温泉旅館は軍関係の寮にもなった。1945(昭和20)年には旅館は64軒芸者は100人以上、最盛期の昭和30年代には温泉旅館70〜80軒、芸者300人と言われた。しかし1971(昭和46)年を境に急激に衰退していった」とある。
昭和30年代後半の旅館街の一角
温泉施設と温泉旅館は、綱島の歴史に切り離せないものとなっているようだ。
旧道と関係が? 港北土木事務所に話を伺う
港北区大倉山にある、港北土木事務所
港北土木事務所を訪れ、担当者に話を伺った。
植込みの花壇に関しては「歩道上に広いスペースがあると駐車される可能性などがあるため、車止めの代わりに植込みを作ったものと思われます。2014(平成26)年の初めまでは低木を植えていましたが、毛虫が出るなどの苦情がありました。また『よこはま花と緑の推進リーダー会』のほうから花壇を作りたいとの要望がありましたので、低木を伐採し、お貸しして花を植えることを許可しております」と答えてくれた。
そして例の三角形のスペースに関しては、地図を用意してくれて、分かりやすく回答してくれた。
「旧公図を見ますと、以前の旧道は隣の道と同じ角度で曲がっているのが分かります。しかし綱島街道を整備する際に、旧道と重なる形ではなく、少し右側にそれてまっすぐ道を通したため、重ならなかった旧道の一部が、三角地として残ってしまったのではないでしょうか? 三角のスペースは以前の道だった場所だと思われます」と答えてくれた。
調べると綱島街道が整備されたのは、昭和初期だ。投稿の植込みのある三角形のスペースは、それ以前の旧道の道の形の名残りがある場所であったのだ。
旧公図
旧道の道は曲がっていた(参考のためのイメージイラスト)
旧公図と現在の綱島街道の地図を重ねたもの
旧道(青)と新道(オレンジ)を重ねた図
旧道(青)と新道(オレンジ)が重ならなかった部分が、三角地帯を生んだ
また綱島街道の4車線への拡幅工事に関して伺うと「相鉄・東急直通線(羽沢と日吉を結ぶ新しい鉄道路線)の新綱島駅の整備に伴って、将来的に綱島から日吉までの区間を拡幅し、4車線にする計画があります」と答えてくれた。
4車線の拡幅に伴い、この付近の様子も姿を変えてしまいそうだ。
取材を終えて
新綱島駅の整備に伴って、昔ながらの温泉施設が閉鎖されているように、綱島の旧道の名残りのあるこの場所も、綱島街道の拡幅工事などで消えてしまうのかもしれない。
旧道の曲がり角の名残りを残す、植込みの内側の歩道
―終わり―
uechanさん
2017年09月21日 13時29分
昭和50年代によく綱島駅から鶴見川の河川敷に向かってよく歩いていました。すると道の両側に閑散として営業はしていませんでしたが、立派な門を設えた温泉旅館が軒を連ねていました。今はほとんど残っていませんが、痕跡だけでもとどめていると聞き、子どもの頃の記憶が蘇ってきました。
白マントさん
2015年09月14日 04時03分
東京園は閉店ではなく、一時休業では?確か、入浴施設だけでも近々にリニューアルオープンって?綱島は温泉だけでなく、桃も有数の産地、現在の石和温泉みたいな感じでしょうか?
mapponさん
2015年09月11日 10時31分
これを作ったのは、自転車の違法駐輪がすごく多かったので、その啓蒙活動と、近所に駐輪場を作っての利権の確保、との両立でしょ。写真では無くなっているように見えるけど、時計か温度計だかが壊れていたと思った。