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港北区師岡熊野神社の失われた神事とは?

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師岡熊野神社といえば、筒粥神事以外にも様々な神事がありますが、火渡りの神事やしめよりの神事は行われていません。しめよりの神事は昭和31年に中止になっています。なぜでしょうか?(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

しめよりの神事が行われなくなったのは1960(昭和35)年ごろ。農耕社会から現代社会への移り変わりの中でなくなった。

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ライター:すがた もえ子

しめよりの神事



火渡りの神事は祖父の金四郎さんの代のみで行われていた神事だったが、しめよりの神事についてはどうだろう。

 

しめよりの神事は由緒書きにも書かれている伝統行事だ
 

由緒書きとは、その神社の成り立ちやご利益について、来歴などを記した文書のことだ。
師岡熊野神社の由緒書きは1364(貞治3)年に書かれたと伝わっている。しめよりの神事が由緒書きに書かれているということは、652年前には存在していたことになる。

 

赤線部分に「悪魔降伏・・・」とあり、魔除けの意味が書かれている
 

こちらが「しめより」(同)
 

しめよりとは、ワラで作られた蛇体のことを指す。村の外から災いが来ないように、村内の北西、東北、南西に蛇体をかかげた。ここで指す災いとは雷、雹(ひょう)、嵐、病など。天候が荒れると稲が育たなくなってしまうため、祈りをこめて掲げられた。

昔は村の境界線や辻(十字路)、橋などから災いがやってくると考えられていて、それらが村へ入って来るのを防ぐ魔除けの「境神(さかいがみ)」としての役割を果たしていた。しめよりの全長は10メートルもある巨大なものだった。

 

しめより制作風景(同)
 

1955(昭和30)年ごろまでは、師岡熊野神社の周辺はどこまでも広がる田園地帯だったという。田んぼに舞い降りる白鷺(しらさぎ)の群れが幻想的だったと石川宮司は語る。

 

稲刈り後の藁で作られた(同)
 

宮司さんによるとしめよりの神事がいつごろから行われているかについてはきちんとした記録が無く分からないものの、由緒書にはのっているので、1000年以上の歴史はあるんでしょうということだった。

 

全て村人による手作り(同)
 

1956(昭和31)年に撮影されたもの(同)
 

しめよりは木の上へかかげられた(同)
 

毎年1月の6日ごろに行われたお正月行事だった(同)
 

しめよりの神事は、昭和30年代の半ばには終了してしまったが、これは周辺が開発され、田んぼが姿を消し、農耕行事の需要がなくなってしまったことと、同時にしめよりを作るための大量のワラが手に入らなくなってしまったためだという。

 

毎年新年にしめよりをかけ替えていた(同)
 

現在も千葉県の「辻切り」や福島県の「お人形様」など、現代に受け継がれる境神の行事もあるが、農耕社会から現代社会へと移行していく中で、しめよりの神事は残念ながら姿を消してしまった。

 

資料館では1メートルのミニチュア版を見ることができる
 

口の中には舌までしっかりと作り込まれていた
 



無くなってしまった神事



それでは、ほかにも行われなくなってしまった神事はあるのだろうか? 石川宮司に伺ってみると、「しめよりの神事」や「火渡りの神事」以外にもなくなってしまった神事はほかにもあるとのこと。由緒書きにも記載されている神事としては「雨乞いの神事」がそのひとつだという。

 

雨乞いの神事に使われた龍頭(りゅうがしら)(同)
 

雨乞いの神事は由緒書きに記載されていることから、1000年以上昔から行われてきた神事だ。

12個ある龍頭に竹の棒をさして、弁天様をぐるっと取り囲むように「ち」の池にさしていく。それから村の若者がふんどし一丁で池に入り、龍頭に池の水を何度もかけたのだという。村人は池の周りで「六根清浄(ろっこんしょうじょう)、雨降りたまえ」と唱えた。すると、てきめんに雨が降ったと伝えられている。

 

1955(昭和30)年ころの「ち」の池(同)
 

現在の弁天様
 

現在のお社は2011年の震災により被害を受け、再建されたもの
 

雨乞いの神事も1955(昭和30)年前後を最後に行われなくなってしまった。こちらもしめよりの神事同様、農作をする人が減り、地域の要請がなくなったのが大きな要因だという。

 

資料館には実物の龍頭が展示されている
 

また、過去には6月ころに雹が降らないようにと「雹祭り」を行ったという記録があり、ほかにも「湯花神事」というお湯を使った神事が行われたことがある。これらも地域からの要請がなくなったために行われなくなってしまったという。
残念ながら「雹祭り」と「湯花神事」についての写真は残されていなかった。



新しく始まった神事もある

 

子どもたちを中心に、地域の人々が集まる
 

時代の流れによって行われなくなってしまった神事があれば、地域の人々の要請により新しく行われるようになった神事もある。それが2016(平成28)年で16年目を迎える「星祭」だ。毎年七夕に近い土日に行われる。

 

今年は7月2日、3日に行われた
 



取材を終えて



農耕社会から現代社会へと移行した昭和30年代を最後に、「しめよりの神事」や「雨乞いの神事」などいくつかの神事が行われなくなってしまったことを、今回の取材で知ることができた。もったいない、という気持ちもあるが、「時代の要請にもとづき神事は変わっていくんです」という石川宮司の言葉が印象的だった。

師岡熊野神社の資料館(事前予約制)には「しめより」や雨乞いの神事に用いられた龍頭を始め、貴重な資料が展示されているので、興味がある方は一度足を運んでみては、いかがでしょう。


―終わり―
 
 

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  • この国には何とまあ多くの神が存在していることか。日本文化のはじまりは「古事記」にあるように神からのはじまりでもある。神を崇める精神を受け継いでいくには時代の要請によらずに純粋に粛々と継承していくべきものだろうと個人的には思う。地域の人々の神事に対する思いというものは特別なものがあるのではないか。昨今行われなくなった神事の"復活"は有りであり、喜ばしいことだ。

  • 宮司さんご自身伝統ある神事を変えたり、やめなければいけないのは断腸の思いなんでしょうね。

  • 神事が、本当に願いを込めて行われており、単なる慣例行事ではないんだなと感心した。ただ、対象がなくなったのに、慣例行事として神事を行ってる神社もあるような気がします。

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