中世の名残を求めて、鎌倉街道を踏破 ―中の道 1―
 ココがキニナル!
ココがキニナル!
鎌倉街道、大山街道などの街道を踏破して下さい。(jckさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「中の道」の鶴岡八幡宮から笠間交差点までの道程は、途中250メートル途切れるが道標や地蔵尊など旧道の名残をそこかしこに楽しむことができる
ライター:永田 ミナミ
	地蔵堂を過ぐ
	 
	
	
	旧鎌倉街道中の道の確かな跡を見つけて足取りも軽く歩きだす
	
	
	ここからしばらくは右手が高台になった住宅が続く
	
	
	このあたりはいわゆる「はなれ山」の山裾に沿って敷かれた街道のようだ
	
	
	240メートルほど歩いてデニーズ大船店付近で通りを渡り
	
	
	右に左にと緩やかな弧を描く道をさらに歩いていく
	
	
	台風一過と反射鏡と私
	
	
	などと言いながら350メートルほど歩くと
	
	
	大船中央病院付近に出る。さて、データが失われたのはここまでなので
	
	
	台風が来る前にタイムスリップ
	
	
	時代の壁
	 
	
	
	引き続き心地よく蛇行する鎌倉街道を歩いていくと
	
	
	少しずつ近づいてくる
	
	
	現代という時代の壁
	
	
	順調に歩いてきた旧鎌倉街道「中の道」がここで初めて途絶えるのだった
	
	
	地図で見てみると目の前の敷地内を鎌倉市と横浜市の市境が走っている
	
	旧街道は地域の境界線となり、そのまま現在の市境となっていることも多いので、この市境を表す点線を旧鎌倉街道の痕跡と考えることができそうだ。
	 
	
	
	鎌倉街道の延長線とも重なる、この250メートルほどの赤いラインがかつての鎌倉街道だったのだ
	
	
	と、『中世を歩く』とグーグルマップで謎が解決したところで迂回
	
	
	800年という時間を考えれば時代の壁が立ちはだかるのも至極当然である
	
	
	むしろここまで中世を歩いてくることができたことのほうが奇跡的である
	
	
	そしてこのあたりが再び中世との合流地点
	
	
	その先で青木神社入口交差点を渡り
	
	
	140メートルほど歩くと、交通量の多い道路脇に見えてくるのが
	
	
	江戸時代に建てられた庚申塔(こうしんとう)である
	
	
	このあたりが笠間村の入口だったとあり、過去に思いを馳せる
	
	
	その先で法安寺を過ぎるとまもなく街道右手に
	
	
	「今泉村不動尊」という1710(宝永7)年に建てられた道標がある
	
	
	そしてこの道標のところからのびる細い道
	
	この先を細く蛇行する道をたどっていくと、鎌倉の称名寺に今もある今泉不動に至ることができて何だか感動。
	 
	
	
	今泉不動尊への参道はこんな感じか
	
	
	しかし、進むべき道はこちらである
	
	
	と歩きだすとすぐに笠間十字路という名前よりさらに複雑な
	
	
	六叉路を渡る
	
	
	旧鎌倉街道「中の道」は県道203号線を戸塚駅方面に進むとみせかけて
	
	
	すぐにそれて再び細道をたどることになるのだがそれはまた次回。今回のこのへんで
	
	
	
	中の道の先は長い
	
	今回紹介したのは、中世の鎌倉街道の起点とされている、鶴岡八幡宮の流鏑馬道から笠間交差点までの約5kmと旧巨福呂坂350メートルである。
	 
	
	
	その行程はこういった具合
	この日はこのあと日が暮れた日限山(ひぎりやま)まで歩いた。さらに後日デジタルの罠により再撮影に出かけたときは、失われた部分を補ったあと、大船から戸塚に電車移動しバスで舞岡公園へ行き、日が暮れた日限山までの行程とそのあと柏尾まで歩いている。
	
	この間「旧街道」の対義語の感さえある「ニュータウン」を前に天を仰いだり、純然たる旧街道に興奮し思わず大地に身を投げ出したりと、時を超えた興奮と非興奮が錯綜する旅路となった。
	
	とはいえ「中の道」を踏破するとなると、岩手県まで歩かねばならない。さすがにそれは無茶というものであり、はまれぽの埒外(らちがい)である。というわけで「横浜・川崎市内を踏破」することにするが、それでも中山、荏田を経て二子新地あたりまでは歩くことになる。楽しみだが長旅である。
	
	
	―続く―
	
	
	*後編は9月末配信予定







 面白かった
面白かった 面白くなかった
面白くなかった コメントする
コメントする














神倭さん
2016年09月16日 20時59分
お疲れ様でした。かまくら道は面白いです。幾度か歩いていますが、いつも新しい発見があって興味が尽きません。今回歩かれた巨福呂坂はかまくら道(中の道)ではなく建長寺や今泉の白山神社へ抜ける道だと思います。中の道はうにゅーさんやシャケさんがご指摘された現巨福呂坂トンネルの西側を通る切通で現在、道はありません。現トンネル北側の円応寺辺りに出たのではないでしょうか。これから長い道のり楽しんでください。
シャケさん
2016年09月12日 17時51分
旧道は面白いですね、中ノ道は横浜に入るとけっこうアップダウンがあるので頑張ってください。ところで今回紹介された旧巨福呂坂は切通し方面とは逆のようですがここも旧巨福呂坂なんでしょうか?すみません本を読んでないもんで旧巨福呂坂切通しはもうちょっと鎌倉よりのうどん屋横を入っていきます。民家の先は崖で切れますがこれは21号線を開削して今のトンネルを造ったからです。
∵さん
2016年09月09日 13時03分
歴史・民俗系のネタはいつも大抵面白い。お疲れ様です。古い街道沿いの道は、舗装こそされていてもガードレールすら無い事も多く、そこにチャリや車が入り乱れて危ねーなあ…と思うこともしばしば。この先は、二子新地まで歩くつもりとか…くれぐれもお気をつけて。