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中世の名残を求めて、鎌倉街道を踏破―中の道2―

ココがキニナル!

鎌倉街道、大山街道などの街道を踏破して下さい。(jckさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

旧巨福呂坂を歩き直し、笠間交差点から舞岡公園まで歩いた道程は、宅地開発による消失区間もあるものの道標など旧街道の面影をたどることができる

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ライター:永田 ミナミ

笠間交差点を渡って

 

というわけで笠間交差点を渡ると


まもなく、いたち川に架かる新橋(にいはし)が見えてくる


橋を渡ると道は戸塚方面へまっすぐにのびていくのだが


橋を渡ってすぐ右に入るこのやや細い道が旧鎌倉街道である


分岐点には道標があり「従是(これより)とつか道」とある

 
もう一面には「従是ぐみやうじ道」とあるので、直進すると戸塚、上の右に入る道を進むと弘明寺方面ということになる。『中世を歩く』には「直進の道は江戸時代以後にできた東海道戸塚宿への道」とあり、この道標にも「元禄四年」とある。

 

道標の脇には延命地蔵尊もあり合掌


といったことを踏まえて「ぐみやうじ道」へと踏み入る

 
ただし『中世を歩く』の「中の道」の行程では、弘明寺は通らないことになっている。となると中世にはなかったここから弘明寺に至る道が、江戸時代には通っていたのだろうか。

 

そんなことを踏まえつつ心地よいカーブを楽しみながら歩いていくと


途中で道幅が広くなり中央線が現れるが


西本郷小学校を過ぎたあたりで


道幅はまたぐっと細くなり、旧街道らしさを漂わせる


そして旧街道らしい雰囲気がさらに高まったあたりで


お地蔵様登場である。お地蔵様の右には庚申塔が2つ。左は馬頭観音


それを過ぎると100メートルほど先に根岸線の高架が見えてくる


高架をくぐって220メートルほど歩くとまたも道が分岐する


雰囲気からいうと道なりに右に進みそうだが、旧鎌倉街道は左のこの細道


細道に入る左手には道標が立っていて


「従是ぐみやうじ(弘明寺)道」とある

 
右面には「庚申供養同行六人」、裏面には「正徳五(1715)己未(つちのとひつじ)天十一月吉日」と刻まれているようだ。

前回、水堰橋(すいせきばし)の道標に「右とつか(道)」「左藤さわ(道)」とあったように「中の道」の道標は「鎌倉から出発してどこに向かうか」が記されている。

『中世を歩く』において鎌倉街道「中の道」とされている細道はJR横浜線の中山駅方面にのびていくので、弘明寺とは方向が異なる。地図で見ると、どちらかというと右側の道のほうが弘明寺方面に向かっている。

 

そうだとすると道標の本来の位置は2つの道の分岐点だったのではないか


しかし残り1面に何も刻まれていないのは示すべきが「弘明寺道」のみだからか

 
とこのときはいろいろ考えてみたが、この謎はこの先の道中でまだ展開するので、そこでまた。



嗚呼、ニュータウン


 

道標を過ぎると、道沿いに見事な長屋門を構える旧家があったりして興奮


やがてまた山裾に沿うようなに街道は進み


途中、ブロックで塞がれていたのは防空壕跡か


中世の趣を残す道は、JR本郷台駅前からのバス通りと交差しつつのびていく


しかし、このバス通りを渡った先で、旧街道歩き的には悲しい現実が立ちふさがる


素敵なカーブを描いた先に見えてきたのは


旧鎌倉街道の上につくられた住宅地であった


地図で見ると整然と区画整理された住宅地であることが分かる


旧街道らしい道が再開するのは少し先のここである

 
栄区のウェブサイトには次のような記述がある。

「栄区の歴史は、古くは飛鳥・平安時代までさかのぼることができるが、特に、鎌倉時代には幕府との結びつきが深く、東方に対する軍事的に重要な役割を果していたと推定され、鎌倉道や数多くの史跡が残されている」

「明治・大正時代までは、平地部のほとんどが田畑で、山裾や谷戸に集落がある程度でしたが、横須賀に軍港があった関係で明治22年に横須賀線が開通し、分岐点として大船駅が開設されました」

「戦後、第一海軍燃料廠(だいいちかいぐんねんりょうしょう)等の施設は、大部分がアメリカ軍に接収され大船PX(倉庫地区)となりました。接収地は本郷地区の中心であったため、地域の発展の大きな障害となっていましたが、昭和40年から接収解除・払い下げが実現し、公共施設、学校、中高層住宅などの集積地に生まれかわるとともに、昭和48年の根岸線全線開通に伴って本郷台が開設され、地域の拠点となりました」

「また、昭和30年代後半から50年代前半にかけては、丘陵部において大規模な宅地開発が行われ、谷戸が連なる里山は戸建てを中心とした住宅街に大きく変貌しました」

 

というわけでここからしばらくはこういった風景のなかを歩くことになるが


日本家屋もあり、真新しい住宅街よりは趣ある風景がそこかしこに見える


今回歩いた行程はこんな感じである
 



続きはまた近いうちに



今回は、舞岡公園に入る手前まで進みたいと思っていたが、書いてみたら旧巨福呂坂を歩き直したこともあって紙面がつきたので、この続きはまた次回、近いうちに。

 

この先に待ち受けるこんな旧鎌倉街道を早く紹介したい気持ちでいっぱいである

 

―終わり―
 

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  • 鎌倉八幡宮から、巨福呂坂の中間あたりの右路地を入った50メ-トル程先の右側に、二十五坊跡地が残っている。鶴岡八幡宮寺に仕えていた僧侶の住坊が営まれていた所で、1190年代八幡宮の境内の一部だった。
    更に、道を進むと住宅が途切れた先に車一台が通れる素掘りのトンネルが(関係者以外通行止め)長さは50m位で、中は真っ暗。
    住所は、手前が雪ノ下で、先が西御門。
    西御門一丁目奥から山道に入ると、すぐに十字路が。直進すると回春院・右は覚園寺道標へ通じる道。左は先に述べたトンネルの上あたりだが、道は途絶えています。

  • 巨福呂坂にあらためて行かれたのですね。それはお疲れさまでした。今後の記事を期待しております。蛇足ですが、朱垂木に行かれたことがあるのでしたら、あそこの降りて行く路をまっすぐ行って、西御門に下りないでさらに無理矢理山道をまっすぐ行くと、例の二十五坊に降りて行くことができます。数年前通ってかなりヤバい道だったので、今でも歩けるのかどうか。。。

  • 補足を追記させていただきます。 ②笠間の新橋(弘明寺道道標があった所)についてですが、ここも前述の泰時の新道工事の際、新たに架けられた橋であることからの命名です。この工事でここを右折しない柏尾川沿いの道が新たに造られたものと思われます。ここ新橋には宿場があり、西行も歌を残しています。吾妻鏡にこの地が陰陽道での七瀬の祓の場所と記されています。他の六か所が六浦・杜戸(葉山)・由比ヶ浜・片瀬・江の島などであり、重要な地でした。旅人はここで長旅の身支度をして出発したことから 出立(いでたつ)川と呼んだのが訛って今 いたち川と呼んでいるとも伝えられています。なお本郷台団地内の道は明治15年測量の迅速地図に明確に残されています。長くなって申し訳ありません。

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