はまれぽ市電跡捜索隊~蒔田駅前にある分離帯は駅の名残?
ココがキニナル!
今でも横浜市電の名残を見ることができる場所や物はありますか?(多々野親父さん/王道16文さん/Bayside Breezeさん)
はまれぽ調査結果!
市内にわずかに残された市電の面影を求めて元沿線を捜索! 今回は蒔田駅前の「電停跡?」を調査したが、残念ながら市電の関係物ではなかった・・・
ライター:はまれぽ編集部
地元の方に聞き込み
駅の位置としては間違いないが、電停の正確な位置は資料に残っていない。
ならば、知っている人に聞いてみるのが一番だ。
早速、駅からすぐの場所にあるお蕎麦屋さんでお話を聞いてみることに。
地域で愛される「そば処花月」さん
「あの中央分離帯って、駅の名残なんですか?」
わざわざ厨房から出て対応してくだった店主さんは、「あそこは違いますよ。宮本町三丁目駅の安全地帯(乗り場)は、上りと下りで違う場所にありましたから」と話す。
中央分離帯は電停の名残ではなかった!? しかし、上りと下りで乗り場が別とは?
「どちらも今のバス停の辺りです。下りの安全地帯はこちら側で、上りは反対側にありました。中央分離帯の位置とはちょっと違います」。
蒔田駅前バス停。この正面に市電乗り場があったそうだ
こちらは弘明寺方面行のバス停。ギリギリ中央分離帯と重ならない位置に、安全地帯があった
中央分離帯がある辺りを市電が走っていたのは確かだが、その乗り場である「安全地帯」は上下に分かれて微妙に違う位置にあった。現在のバス停は、上り・下りともに微妙に中央分離帯とずれた位置にあり、安全地帯と中央分離帯は関係がないことになる。
各種資料や証言を合わせると、このような形が浮かび上がってくる(イメージ図)
中央分離帯の位置は、電停があった位置と重ならない
となると、市電跡はやはり市営地下鉄工事の際に失われてしまったのだろうか。
「当時、工事でレールは全部埋めてしまったようです。今でも地面の下にはレールが残っているはずですよ」と花月の店主さん。
かつての市電跡をなぞるように運行している路線バス
実際に、道路工事などの際にアスファルトの下からレールが現れることもあるよう。
今回調査した中央分離帯は電停跡ではなかったが、その下には確かに今も、市電の痕跡が眠っているのだ。
取材を終えて
地面の下にはまだレールが残っている、と聞いて「どこかで露出しているんじゃないか」蒔田駅前から弘明寺まで鎌倉街道を歩いてみた。結果としては街道は非常に綺麗に舗装されており、通常の状態ではレールの面影はない。
当たり前と言えば当たり前
だが、見えなくなっていることと失われたことの間には大きな違いがある。まだ地面の下に眠っているのなら、それが顔を出すこともあるのではないかと希望を持てた。
弘明寺バス停付近。車線が多いところまでが、市電が走った道だ
かつて市電の終点だった弘明寺以降は、街道の車線の数が減る。これも市電の面影を残す道路の形といえるかも。
横浜市内にはまだまだ市電跡が残っている可能性はありそうだ。引き続き、捜索していく。「もしかしてこれが市電跡?」という情報があれば、ぜひキニナル投稿で教えていただきたい。
ー終わりー
新横浜市民さん
2018年12月17日 15時38分
鶴屋町三丁目電停辺りでは、トロリーバスと市電がクロスしていました。市電はトロリーバスよりも早く廃止され、 翌日にはレールは跡形もなくなり驚いたものです。レールや敷石を撤去せずにアスファルトで被せたのでしょう
よこはまのみつるダイヤさん
2018年12月09日 01時05分
下の方も言っていますが、前回の記事で気になっていたので自分も以前 地理院1947年9月8日撮影の米軍の物が寄り鮮明です、今回のレポと違うのは停車場が起動の内側ですね
R2さん
2018年12月05日 21時51分
リクエストです。
新山下の島忠ホームズが凄い事になっております。
家具売り場と、あのTSUTAYA BOOKSTORE、おまけにWIRED KITCHENが融合しておりました。
お洒落過ぎる!
ぜひ取材をお願いします。