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名字のルーツは?神奈川に多い鴨志田さん&土志田さんを追え!

名字のルーツは?神奈川に多い鴨志田さん&土志田さんを追え!

ココがキニナル!

神奈川県を代表する名字の鴨志田さんと土志田さんは下二文字が一緒。また、横浜市青葉区には鴨志田という地名も。鴨志田さんと土志田さんの名字のルーツについて知りたいです(ポスポスさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「鴨志田」は青葉区鴨志田が発祥の地である可能性が高い。鎌倉時代には「鴨志田十郎」という武士がいた。「土志田」は、他の土地から移動してきた可能性が高い。

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ライター:ハヤタミチヨ

土志田さんが多い地域は?
 
鴨志田氏に続き、土志田さんについてキニナルことを調べてみた。
まず、鴨志田氏の記事でも利用した「名字由来net」で、土志田という名字の分布を見てみる。おおお!これはすごい・・・神奈川がダントツで多いではないか!
 


神奈川県が圧倒的に多い!(画像:「名字由来net」

 
さらに、図書館で神奈川県内の電話帳を確かめたところ、横浜市青葉区・緑区といった北部に集中していることがわかった。
 
 
 
土志田さんはどこから来たのか?
 
しかし鴨志田の場合にあったように土志田という地名があるかというと、横浜市内には存在しない。調べた限りで土志田に似ている地名があるのは、東京都練馬区「土支田(どしだ)」のみだ。
 


© OpenStreetMap contributors(https://www.openstreetmap.org/copyright)

 
この地名が記されている最も古い史料は、戦国時代の1559(永禄2)年に小田原の北条氏が作らせた『
小田原衆所領役帳』。帳面に、当時の家臣の名前とそれぞれが支配する地域が書かれている。
 


小田原北条家所領役帳』(国会図書館デジタルコレクションより)

 
この中に、「六貫五百文 江戸 土志田 源七郎分」と記されている。源七郎という人物が、江戸の土志田を支配しているということだ。
「源七郎」は江戸にいた太田康資(おおた・やすすけ)の家臣。主人の太田康資は、横浜にも関係した太田道灌(おおた・どうかん)のひ孫だ。源七郎は他に「小机 潮田」とあるので、横浜市内の土地も支配している。
だが、人名の「土志田」はみつからない。これについても鴨志田さんの件でお世話になった盛本昌広さんに話を伺ったが、現時点で中世(鎌倉~戦国時代)に土志田という人物が登場する史料は見ていないとのこと。鴨志田氏とはルーツは別ではないかと思う、といわれた。

確かに、名字の発祥と思われる土地が離れているし、「志田」の部分が同じとはいえ、土志田氏と鴨志田氏とルーツを関連付けるのは難しそうだ。
 
 
 
土志田さんはいつから横浜に?
 
発祥は横浜ではなくても、横浜に土志田さんは多い。それならば、土志田さんはいつから横浜にいるのだろう。

青葉区の山内図書館で調べることにした。
 


青葉区山内図書館

 
横浜市の文化財で最も古い「土志田」の名前が登場するのは、江戸時代の1703(元禄16)年の古文書のようだ。その所蔵者も土志田という名字で、青葉区の田奈に住んでいるらしい。さらに、田奈では現在も土志田という名字が非常に多いこともわかった。

そうと知れば、土志田さんが多い現地へ行ってみるしかない!
 
 
 
田奈で出会った、横浜最初?の土志田さん子孫
 


東急電鉄田名駅へ!

 
田奈駅周辺を歩いてみると、看板や表札には土志田さんという名字がいくつもある。何を手掛かりにすればいいか・・・。歩いていると、土志田という表札のお宅で木のせん定作業をされている男性がいたので、話しかけてみた。

図書館でコピーした横浜市の文化財目録を手に、そこに書かれている江戸時代の古文書を所蔵されている土志田さんを御存じないかと伺うと・・・。

「ああ、うちですよ」

「!!!」

なんですと!?いきなり探し求めていた土志田さんに出会ってしまったではないか!
 


田奈駅近くの通りは土志田さんだらけ

 
顔出しはNGとのことで、その場でお話を伺った。まとめると・・・
 
・男性は現在の当主で、14代目にあたる。
・伝わっている話では、時代はわからないが近江(滋賀県)から3人で移ってきた。その時に一緒に来たという一人の子孫が小机にいる。
・過去帳などは近くの寺にあったが、焼けたりして抜けたものがあるようだ。位牌は江戸時代からある。
 
話に出てきたお寺は、土志田さんのお宅近くの萬福寺だ。
 


萬福寺も田奈駅すぐ近く

 
萬福寺は高野山真言宗で、開創は1369(応安2)年という古い由緒のあるお寺。現在の住職である丹野政昴(たんの・せいこう)さんで、25代目とのこと。寺の長い歴史の途中には住職がいない時期もあったという。
では、14代目という土志田さんの初代は、いつの人だろうか。

目安として、江戸時代の徳川将軍家が15代で約300年続いたので、同じくらいの300年前と考える。すると、西暦1700年頃。江戸時代前期の元禄年間で、忠臣蔵で知られる赤穂浪士の討ち入りがあったころだ。土志田氏の一番古い古文書が元禄16年だから、年代もだいたい合う。土志田氏の初代は、江戸時代の元禄のころ、田奈へ移ってきたのかもしれない。
 
 
 
歴史がわかる土志田家代々の墓
 
土志田家のお墓は
過去帳があった萬福寺ではない別の場所にあるという。お墓の撮影許可はいただけたので、向かってみることに。
 


この奥に土志田家の墓

 
教えてもらった場所に着いてみると、いくつかの階段があり、上った先に墓地がある。進行方向の一番奥が、土志田家の墓地だ。
 


階段を上ったところには、一般的な墓のイメージよりも広い敷地に・・・ 

 


数多くの墓石が並んでいた

 
昔の墓石は家ごとではなく個人単位で建てられるので、財力のあった家ではこのように墓石がいくつも集まる墓地になる。土志田家の墓地も、古くは地域の有力者として長い歴史を持つ家だということがわかる墓地だった。
 
 
 
「土志田」さんの名字について、まとめ
 
今回の調査の結果、横浜の土志田氏は、違う土地から移住してきた可能性が高い。それは地名のある東京か、言い伝えのある滋賀県からか、はっきりしない。少なくとも現在のところ、史料に登場する「土志田」さんの一番古い人達は、江戸時代前期に田奈に移住したと考えられる。
 
 
 
取材を終えて
 
長い歴史の間で人々が移動するため、名字のルーツはわかりにくい。さらに、現代は人が簡単に移住できる時代であり、ますます地域の歴史とそこに住んだ人々の繋がりやルーツもわかりにくくなっている。土地の開発が進み、新しく住む人も多い横浜も同様だ。だが、今回の調査により古くから横浜に住んでいた人たちの歴史を知り、現代でもその足跡が残っていることを確認でき、脈々と受け継がれる名字というものの大切さを再確認できた。
 
 
ー終わりー
 
 
参考資料
『横浜緑区史』資料編1・資料編2・通史編(1985・1986・1993)
『田奈の郷土誌』(1964)
『小田原衆所領役帳 戦国遺文後北条氏編別冊』東京堂出版(1998)
『横浜の文化財 横浜市文化財綜合調査概報 1』(1977)
名字由来net
横浜市青葉区 ウオーキングコースの紹介

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  • 取り上げてくださってありがとうございます。まず、二つとも横浜以外から来た苗字ということに大変驚きでした。とても面白い記事で興味深く読ませていただきました。

  • 私の友達に鴨志田さんがいて緑区に住んでいます!?ピンポイントに名字が取り上げられていて、なんか嬉しいですね

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