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花月園競輪場の前身「花月園」が東洋一の遊園地だったって本当!?

ココがキニナル!

花月園、競輪場の前は遊園地で、しかも東洋一と謳われていたそうです。どんなすごい遊園地だったのでしょう? (河童丸さん、ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

花月園はホテルや著名人が集うダンスホールも併設し、大正末期から昭和初期に最盛期を誇った東洋一と謳われるすごい遊園地だった!

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ライター:吉田 忍

どんな施設があったのだろう(続き) 

 

「望遠塔」。ランドマークタワーのようなものだろうか(※鶴見花月園秘話より)
 

「スワン池」。白鳥型のボートもあるようだ。これは今でも変わらない(※鶴見花月園秘話より)
 

ケーブルカーが設置されていた(※鶴見花月園秘話より)
 

子ども用入園券(入苑と記されている)。これを胸などに付けて入場した(※鶴見花月園秘話より)


このほか、アイススケート場や象がいる動物園もあり、当時日本で初めてのものや珍しいものが数多くあった。今では大したことがなさそうに見えるが、当時の人にとってはワクワクする未知のものばかりがそろっていた。また、全国児童絵画展の発祥の地でもあり、海外の児童画を展示するなど国際展覧会も行っていたという。

そして、園内にはホテルやダンスホールもあった。娯楽といえば温泉ぐらいしかなかった当時、ホテルやクラブがあって、子どもも楽しめる、いわばディズニーランドのような画期的な施設だったのだ。
 


花月園名物、そして歌劇団とダンスホール



花月園名物は「鯛飯」と「饅頭」だったようだ。
 


花月園みやげ「鯛飯」のスタンプ(※鶴見花月園秘話より)
 

花月名物 「子育饅頭」天野屋本店の包装紙(※鶴見花月園秘話より)


この天野屋を経営していたのは天野芳太郎。
花月園や馬車道で饅頭屋を営み、その後パナマやペルーで事業に成功し、アンデス文明の研究でも知られ、吉川英治賞を受賞した人物である。

また、宝塚遊園地の宝塚歌劇団を真似て花月園少女歌劇団を結成。宝塚との交流もあり、「西の宝塚・東の花月園」と評されたという。
 


花月園少女歌劇団の集合写真。 少女歌劇団だが、少年団員もいた(※鶴見花月園秘話より)


そして、特筆すべきはダンスホールであろう。
花月園のダンスホールでは、毎週水曜・土曜・日曜に一流バンドを呼んで舞踏会が開かれ、百組もの紳士淑女がダンスを楽しんだという。当時、音楽とダンスは異国文化の象徴だった。
 


ダンスをする紳士淑女。和服の女性が多い(※鶴見花月園秘話より)


近代日本文学を代表する小説家の一人である谷崎潤一郎氏の『痴人の愛』は、この花月園ダンスホールから生まれた作品で、耽美主義文学を生んだ場所といえる。

谷崎は平岡静子夫人にダンスを習い、谷崎の奥さんの妹で女優だった葉山三千子とよく踊りに来た。三千子は『痴人の愛』のナオミのモデルである。

谷崎はまた、家族や横浜生まれで僧侶であり小説家でもあった、破天荒な言動で知られる今東光(こんとうこう)たちとも頻繁にここへ訪れたという。

鎌倉ペンクラブの初代会長をつとめた小説家、久米正雄氏の『私の社交ダンス』には、「この悪魔主義の作家が可愛い鮎子ちゃん(鮎子は谷崎の長女)の手を取って、室の隅っこの方で、鮎子ちゃんよりもたどたどしいステップを踏みながら、踊っているのを見るのも、決して悪い感じではなかった」とある。
 


取材を終えて



花月園はかつて7万坪ほどの広さを有し、ホテルやダンスホールもある「東洋一の遊園地」だった。
 


当時の華やかな雰囲気が伝わる「花月園長絵図」(※鶴見花月園秘話より)

  
この取材にあたり、齋藤美枝さんにこのようなお話を伺った。
齋藤さんは福島の生まれで、鶴見に来た最初のころはこの街が好きになれなかった。自分の故郷は福島だという気持ちが強かったという。

「でも、子どもが生まれて、ああ、この子たちにとっては鶴見が故郷なんだと思ったんです。私が福島で昔のことをいろいろ教えてもらって福島が好きになったように、私も鶴見のことをもっと知って、子どもたちに教えなければならないと思ったんです。そう思って調べはじめたら、自分も鶴見が好きになりました」

自分の故郷の昔を知ることで、もっとその場所を好きになり誇りを持てるようになる。

はまれぽの記事が横浜や川崎、湘南を故郷とする読者の方々に少しでも役に立てればうれしい。


―終わり―

 
お知らせ:齋藤さんが所属されている「鶴見歴史の会」では、2014年1月4日、5日、12日、13日に、『ガイド付き鶴見七福神めぐり』が行われます。
各日10時 熊野神社集合(京急鶴見市場駅下車徒歩2分)参加費600円 昼食持参 雨天中止

鶴見歴史の会 
 

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  • 昨日、さよなら花月園競輪場イベントに行って来ました。そこでも齋藤美枝さんの解説は原稿も見ず、お見事でした。閉園して5年も経つと、競輪場のバンクにはススキが蔓延り、そこかしこが廃墟の佇まいに。遊園地だった歴史も語り継ぎたいものです。

  • 最後に「はまれぽの記事が横浜や川崎、湘南を故郷とする読者の方々に少しでも役に立てればうれしい。」とありますが、はまれぽで知った事も多く、今まで以上に地元が好きになってきている私です。ただ、川崎市民にとって横浜はちょっとうらやましい・・・かも(笑)

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