かつて横浜市内に130社以上も存在した「捺染(なっせん)会社」の今を教えて!
ココがキニナル!
昔、帷子川あたりは捺染工場ばかりで、川で布を洗っていました。上星川駅前の温浴施設が入居するビルも捺染会社所有だったのでは。捺染業の昔と今を取材願います(katsuya30jpさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
捺染は横浜開港以来の歴史を持ち、最盛期には市内に130の捺染会社があったが、現在は15~6社。多くは地方に工場を移している。
ライター:大和田 敏子
横浜捺染の現在
平成に入る直前のピーク時、横浜には捺染会社が130ほどあったが、今は15~6社に減り、どこも小規模に残っているのみ。捺染には水が大量に必要なため、水道料金が高額な横浜を離れ、山形・秋田・福島など、地下水を安く使える場所に工場を移転したところも多いそうだ。
キニナルにあった「上星川駅前の温浴施設が入居するビル」は、株式会社モリヤマという捺染会社の所有だが、1991(平成3)年に秋田に工場を移し、その工場も、今は業界大手の川辺株式会社の子会社レインボーワールド株式会社に貸しているという。
また、1916(大正5)年創業の老舗で、金沢工業団地に工場を持っていた大木捺染株式会社も、福島に工場を移し、現在は社名を変えて株式会社オオキテキスタイルプリントが事業を継続している。
オートスクリーン捺染機
現在、横浜にある捺染工場を見せていただきたいとお願いしたが、
「10年ほど前までは、児童生徒や市民の工場見学なども積極的に行っていたが、現在は受け入れられる状況にない」と北澤さんは言う。製品注文の減少、捺染工場の衰退、職人の高齢化など、横浜の捺染は大きな問題を抱えていて、 最盛期のような活気とともに紹介することが難しいからだ。
捺染工場見学の様子
"世界を魅了した横浜職人の技"をテーマした講座。市民のアトリエにて
そうした状況の中にあってギルダ横浜は、新たに持ち込まれた企画やデザインを、横浜で培われた高い捺染技術を生かして製品化・販売につなげるなど、横浜捺染の火を絶やさないようにと努力を続けている。その中から、「濱文様」という独自ブランド(株式会社ケイス)で、全国に販売を拡大しているものも出てきている。
ちなみに「横浜スカーフ」は、中区山下町にある「シルクミュージアム」内にあるショップなどで購入できる。
取材を終えて
この取材を通じて、地場産業である横浜捺染、横浜スカーフについて、初めて知った。あらためて、筆者自身、横浜について未知のことが多いことを思い知らされる。
世界に誇る横浜スカーフを支えてきた横浜捺染が厳しい状況にあることを知り、残念に思う。伝統を守るだけでなく、新たなものを生み出すことで発展を目指す、ギルダ横浜を応援したい気持ちになった。横浜スカーフの新たなステージを期待したい!
―終わり―
〈参考文献〉
『横浜捺染―120年の歩み』(日本輸出スカーフ捺染工業組合)
みなと広告さん
2016年02月20日 12時50分
自分の子供時代は捺染工場が遊び場で上大岡にはたくさんの捺染工場がありました。版木小屋でかくれんぼしたり、よく職人さんに叱られてましたね。懐かしく思うとともに、いまや高額品を買わなくなってしまった。馬車道商店街では「信濃屋(洋品店)」がいつ廃業するかの話題まで囁かれる始末、世も末ですね。
gogoganさん
2014年09月08日 22時29分
子どもの頃の記憶ですが、国道16号線の鶴ヶ峰辺りから下方を流れる川で、大きく長い布を洗っている光景をよく見たことを思い出します。親からは染物を洗っている工場だと聞いた記憶です。今も鶴ヶ峰稲荷大神前とバスターミナル間の川底には人工物が見えますが、この共同水洗工場が使っていた跡でしょうか。懐かしく、また横浜の歴史を知る記事です。
角さん
2014年09月08日 20時00分
我が家に近くにも捺染工場が幾つもありましたが、今では一カ所しかありません。小学校の時は社会科見学で捺染工場に行ったほどだったのに・・・・。廉価販売も考えないと、結局は自分の首を絞める事になるんですけどね。