開港前の横浜、旧海岸線を探し歩く旅! 鶴見区~神奈川区編
ココがキニナル!
横浜港が埋め立てられる以前の、旧海岸線を探す旅をお願いします。金沢、磯子、中、西、神奈川、鶴見の各区の何か海岸線の名残の様な物を見つけて欲しいです。(タッカーさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
鶴見区、神奈川区の旧海岸線を踏破。塩田跡地や過去の鶴見川のかたちを発見し、海沿いの古刹や神奈川砲台跡地を巡った。
ライター:細野 誠治
神奈川区 第一京浜と神奈川砲台、そして横浜駅
神奈川区に突入。旧海岸線は、国道15号線と横羽線(入江川)の中間にある。
神奈川区は比較的に旧海岸線を把握しやすい
鶴見区に比べて分かりやすい印象が。そして下町風情を感じる
神奈川区に伝わる浦島伝説。海の名残りと言えるかな?
そして神奈川区といえば何と言っても神奈川台場跡だろう。
神奈川警察署手前の道を左折して右へ。入江川に沿って進むと台場公園が現れる。
台場公園。ここに旧海岸線の名残りが地中に埋まっている
位置はこの辺り。今の横浜駅から北東に約1.3キロ地点
『神奈川お台場の歴史と今』発行:神奈川お台場保存協議会より
東京湾に侵攻する船舶に対して作られた施設で1860(万延元)年に竣工。
迅速測図が作成される20年前の出来事だ。
幕末期、勝海舟によって設計された神奈川台場(砲台)。詳しくはこちらから!
155年前に作られた砲台。今は地中に眠っており、見ることは叶わない。
2015年の景色。海はまったく見えない。ここから500メートル先だ
しばらく公園のベンチに座って思う。ここまで、手付かずの海岸線は見当たらない。
今いる台場公園から横浜駅に向かう途中にあるポートサイド地区は丸々、海の上だ。
横浜駅周辺の様子。今とは全然違う姿
旧海岸線を探す旅は、海のまったく見えない旅だ。
少し、じれったい。横浜の海は、どんどん遠くなってきたという歴史を思い知る。
海も跡も、土のなか
休憩を終えて再び西を目指す。台場公園から南西に向かい綿花橋を越える。道なりに進み、横羽線を跨ぐ。
神奈川公園から1本南側の道が境界。この道が旧海岸線と推察される
栄町信号機付近で陸地が大きく西へ抉れてゆく
国道1号線を横断し、JR・各私鉄線路を目指す。ラーメン屋の道が境界
線路にぶつかったら左へ道なり。線路は旧海岸線の陸地側だ
横浜駅の東側は、すべて海
200メートルほど行くと横浜駅(きた東口)に到着。
きた東口の「月見橋」。迅速測図でも確認できる
ついに横浜駅に着いた。そして残念ながらページが尽きた。
取材を終えて
難航した旧海岸線探し。
それでも実際に歩いてみると、当時の姿を知らないにも関わらずに、郷愁のようなものに包まれる旅でした。同時に「これがハマっ子のDNAか?」と感じる、湧き上がる好奇心にワクワクする体験でもありました。
(これだけでも港街・横浜の昔の海岸線のカタチを探ることに意味があった・・・はず)
皆さまは、どのような感想を持たれたでしょうか?
残る海岸線は西区・中区・磯子区・金沢区!
次回、旧海岸線を探す旅『西区~中区編』でお会いしましょう!
ヨコハマ海岸探偵局、細野誠治でした。
今回歩いた場所※クリックして拡大
―終わり―
※今回の取材において、国立研究開発法人農業環境技術研究所の
「歴史的農業環境閲覧システム」を使用させていただきました。
http://habs.dc.affrc.go.jp/index.html
参考文献
『日本の古地図7 港町』(発行:株式会社講談社)
『鶴見区史』(発行:鶴見区史刊行委員会)
『なまむぎ 今は昔』(発行:横浜230クラブ新聞社)
『神奈川区史』(発行:神奈川区史編さん刊行実行委員会)
『神奈川お台場の歴史と今』(発行:神奈川お台場保存協議会)
●正泉寺
住所/横浜市鶴見区生麦4-31-4
電話/045-511-1855
ushinさん
2015年09月10日 21時49分
漁師たちは「竜宮城の使いだ!」として海亀に酒を飲ませたが死んでしまい(ひょっとしてお酒を飲ませちゃったのが原因なのでは・・・)どう見ても「急性アルコール中毒」を発症させた傷害致死罪だな。ところで、この類の記事についてひとこと言わせてもらうならば「良記事!」
たーたんさん
2015年09月09日 09時48分
全ての地図が拡大できるか、もっと大きく載せてくれるか検討してほしい、記事はとても面白いです。
寿さん
2015年09月08日 19時04分
本当に続編が楽しみです。JR根岸駅前に、漁業者が埋め立て、開発のために海をあきらめた経緯を記した碑があります。海に生きた人たち(名前あり)の悲哀を感じます。ぜひ取材してくださいね。