第10代「横浜市長」の記念碑が「川崎市中原区」にあるのはなぜ?
ココがキニナル!
第10代横浜市長として関東大震災からの復興事業や区制施行で横浜の礎を築いた有吉忠一の記念碑が川崎にできたとか。なぜ川崎なの?(てんぱれさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
有吉忠一が神奈川県知事時代に築いた代用堤防「有吉堤(てい)」100周年を記念して、川崎市中原区の中丸子公園に記念碑が建立された
ライター:岡田 幸子
地域の思いが街の歴史をつなぐ力に
そして現在。武蔵小杉駅一帯を中心に、再開発が著しい川崎市中原区・幸区エリア。国が主導したその後の本格的な治水事業により、多摩川は穏やかな流れへと姿を変えた。
国の直轄工事で立派な堤防もできましたし
先人の勇気と知恵によって生み出された「有吉堤」は、今では住宅街のなかの道路沿いにわずかにその面影を残すのみとなっている。
かさ上げされた郡道の名残が見つかるところも
「ここ、玉川(ぎょくせん)地区は、近年急激に住む人が増えていますが、『有吉堤』や『アミガサ事件』について知る人は少なくなってきました。先人の苦労と成し遂げた偉業が忘れ去られることがないよう、寄付を募って記念碑を建てることを決めたのです」とは、先の関崎氏。
昔ながらの街並みの向こうにビル群が・・・これが今の玉川地区
そんな思いを共有する地域の方々が集まって、2016(平成28)年5月に「有吉堤竣工百年の会」を発足。わずか5ヶ月で217人から約500万円の寄付を集め、今回の記念碑建立に至ったのだ。
現地を訪れると、かさ上げされた道路脇に小さな緑道が走っていることに気づく。
道路から一段下がった位置に細い緑道が
「中丸子緑道」というらしい
これは暗渠(あんきょ)となった多摩川の支流ともいえる二ヶ領用水系の農業用水路跡で、現在は住民の手によって管理され、地域に憩いの場を提供している。
花壇や遊具が設えてあったり
トイレ、水道、ベンチなども
マンホールから聞こえる流水音が、足元に「川」を感じさせる
お散歩にぴったりの静かな小道です
既存の常識に捉われることのないしなやかな発想力と、それを実現する実行力、さらに住民本位の姿勢を決して崩すことのなかった誠実さ。これこそが、有吉忠一が「不世出」の横浜市長と言われる所以だ。その偉業を今に伝える土木遺構「有吉堤」、ぜひ訪れてみてほしい。
取材を終えて
「いま、私たちがこうして安心して暮らせるのも、先人たちの努力の結実」
そんな、当たり前の事実を再認識させられる取材だった。
こうした先人の偉業を知ることが、地域への愛着や郷土愛につながり、よりよい街づくりへのモチベーションにもなるのだろう。
特に、「生まれ育った街」を離れ、別の地域で暮らすことを選択した人にとって、現在住む地域を知ることは「地元愛」を持つために欠かせないことだ。
「生まれ育った街」ではなくても、「地元愛」は育てることができる。ふと訪れた公園で何気なく目にするひとつの石碑が、そのきっかけとなるかもしれない。
―終わり―
取材協力
有吉堤竣工百年の会
横浜開港資料館
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/
参考資料
『川崎市史 通史編3』1968 川崎市
『市民生活白書 昭和五十四年 横浜市 横浜 きのう、今日、あした』1979 横浜市
『アミガサ事件百年の会 会報 第8号』2016 アミガサ事件百年の会
『横浜開港資料館館報 開港のひろば 第97号』2007 横浜開港資料館
伊 謄さん
2016年12月27日 14時23分
有吉忠一は千葉県知事でも活躍したので名前は知っていますが、当時の知事の多くが上から目線の支配だったのに対し、有吉知事は住民と同じ目線で行政をしていたという印象があります。千葉県でも悪い話は聞かないですねぇ。
柴犬さんさん
2016年12月26日 03時00分
武蔵小杉ブログhttp://musashikosugi.blog.shinobi.jp/Entry/3683/では、アミガサ事件の記念碑も紹介してるよ。もっと知りたい人は読んでみるといいと思う。他のサイト載っけて、ライターさんゴメンね。
柴犬さんさん
2016年12月26日 02時45分
有吉堤とかアミガサ事件の話は最近他で知ったけど、あそこの道が有吉堤だったんだね!走ってて、面白い道だなぁ〜と思ってたけど、そんな歴史があったなんて知らなかったな。読み方も、「ありよしつつみ」だと思ってたし。東京側の二子玉近くには陸閘(りっこう?)跡が今でも残ってて、多摩川の治水の苦労の歴史は知ってたけど、川崎側にもあったんだねぇ。多摩川治水の史跡で博物館とかがまとめて欲しいな。