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日本初、コーヒー牛乳を作った乳業メーカーのパイオニア「守山乳業」とは?

ココがキニナル!

平塚の守山乳業がコーヒー牛乳や無糖練乳を日本で初めて作ったとのこと。どんな歴史のある会社なんですか?開発当時の味は家でも作れるのかな?キニナル!(0084さん)

はまれぽ調査結果!

1918年創業、1923年に東海道線国府津駅で日本初のコーヒー牛乳を発売!開発当時の味はハワイのコナコーヒーと濃い目の牛乳を半々、砂糖多めで再現可能

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ライター:大和田 敏子

コーヒー牛乳は、銭湯には欠かせない飲み物だ。郷愁を感じる人は少なくないだろう。そのコーヒー牛乳を初めて作ったと言われている守山乳業は、なんと神奈川県にある企業だという。どんな会社なんだろう。これはキニナル!!



酪農業の振興を目指し、1918年に創業!


 
向かったのは、守山乳業がある平塚市。JR平塚駅から5分ほど歩くと・・・

 

 「冨士生クリーム」の下に守山乳業の文字が見える。ここかな!?
 

 守山乳業株式会社とある。ここだ!
 

 正門を抜けて、本社へ


取材に対応してくれたのは、守山乳業株式会社の監査役、小玉豊(こだま・ゆたか)さん、マーケティング部課長兼チーフデザイナーの児玉邦夫(こだま・くにお)さん、同部係長の長谷川友子(はせがわ・ともこ)さん、お客様相談室の松﨑亜香里(まつざき・あかり)さん。

  

 会社の歴史を詳しく話してくれた小玉さん
 

 (左から)長谷川さん、松﨑さん、児玉さん
 

 資料や商品を準備してくださった


守山乳業は1918(大正7)年、神奈川県中郡高部屋村日向(なかぐんたかべやむらひなた、現在の伊勢原市)で創業。代々続く農家に生まれた、創業者の守山謙(もりやま・けん)さんは、第1次世界大戦後、戦禍により疲弊した農家に新たな収入の道を開きたいと考えた。

その当時、日本国内では乳製品の製造が進んでいなかったため、酪農は事業として新規開拓の余地があり、今後需要が高まると考えて酪農事業を志したようだ。

 

 同社敷地内にある、守山謙氏の銅像(左)と父で初代社長の守山甲子太郎(もりやま・かしたろう)氏の銅像


当初は、手回しのセパレーター(遠心分離機)によるバターを製造していたよう。付近の牧場から牛乳を買って製造していたが、自社で一貫した製造ができるよう、1937(昭和12)年には、馬入橋(相模川)の茅ヶ崎寄りに守山牧場(敷地6000坪<ハマスタ換算で4分の3個>、飼育乳牛100頭ほど)を設立。岩手・小岩井牧場から優秀種を購入して品種改良に着手し、一般農家に優秀種の普及の道を開いたという。

 

 守山牧場(提供:守山乳業)


写真の年代は不明だが、1945(昭和20)年に守山牧場は空襲で被災したという記録が残っているため、設立から被災までの間の時期と思われる。
余談だが、かつて神奈川県は酪農が盛んだった。1951(昭和26)年には、全国1位(北海道は除く)の酪農県だったそうだ。


 

コーヒー牛乳誕生秘話


 
いよいよキニナル、日本初のコーヒー牛乳が生まれた経緯を教えていただいた。
きっかけは、謙さんと住田商会(現エム・シー・フーズ株式会社)の住田多次郎(すみた・たじろう)さんとの出会い。創業後苦難続きの中、脱脂乳から作るカゼイン(乳のタンパク)などの開発に成功し、なんとか事業が軌道に乗り始めたころのことだった。

ハワイ在住の住田さんは、コーヒーの売り込みのため来日しており、東京の商店にバターの納品にきていた謙さんと偶然出会った。その時サンプルとしてコーヒー豆を貰ったのをきっかけに、謙さんはコーヒーを広めるための相談を受けたという。

 

 当時、コーヒーは都心の一部のカフェにしかない高級嗜好品 ※画像はフリー素材より


謙さんは、初めて飲むコーヒーの苦さに驚きながら、アメリカではコーヒーにクリームを入れて飲むと聞き、クリームの代わりに牛乳を混ぜたらどうかと考えた。奥さまと一緒にコーヒーと牛乳の量を調節して試行錯誤し、1対1にすると両者の風味や味が混ざり合ってちょうど良いと判断。さらに、奥さまのアイデアで砂糖をたくさん入れたそうだ。こうして、コーヒーと牛乳を1対1にし、砂糖を加えた、おいしいコーヒー牛乳が完成!

 

 住田さんはハワイ在住だったため、使用したコーヒー豆はハワイのもの ※画像はフリー素材より


けれども、当時の牛乳は1日しか日持ちしなかったため、商品化は難航。そこで、謙さんは医師だった弟から「注射器と同じように煮沸消毒したらどうか」とアドバイスを貰った。試してみると、1週間も日持ちするようになったため商品化に成功。

 

 昭和初期の殺菌設備(提供:守山乳業)


こうして守山乳業は1923(大正12)年4月20日、東海道線国府津駅の弁当店・東華軒(とうかけん)にて、日本初のコーヒー牛乳となる、その名も「珈琲牛乳」の販売を開始!
ちなみに、この事実が認められ、2015(平成27)年には、4月20日が「珈琲牛乳の日」(日本記念日協会認定)となっている。

 

 国府津駅の構内販売許可証。決済日が大正12年4月20日(提供:東華軒)


発売当時は、王冠以外すべてを自社で作っていたそう。瓶まで作っていたとは驚きだ!

 

 「珈琲牛乳」と「グリコ牛乳」(提供:守山乳業)


右は「グリコーゲン」から取って名付けられた「グリコ牛乳」。名付けの語源は同じだが、江崎グリコ製ではなく、守山乳業製の牛乳で、「珈琲牛乳」と同時期の発売だった。

 

当時の瓶。「絶対無菌」と書いてあるのが分かる


国府津駅の構内で販売を開始した当初、並弁当が35銭(現在の換算で約500円)だったが、「珈琲牛乳」は20銭(約290円)とかなり高額だったにもかかわらず、飛ぶように売れたそうだ。

その後さらに研究を重ね、3~4ヶ月の保存が可能に。これが、現在も守山乳業のアイデンティティーともいえる、長期期間の保存が可能なロングライフ商品の大きなきっかけとなったという。1927(昭和2)年には鉄道省指定を受け、全国の駅で販売されるようになった。

 

 当時のポスター(中央)


さらに、1943(昭和18)年には、コーヒーが眠気覚ましになるということで、「珈琲牛乳」は軍需品として指定されたそうだ。
戦争によって、工場は大変な被害を受けたが、戦後復興し、「珈琲牛乳」は作り続けられた。以降、王冠による密封が紙製のフタに、ビンの形も広口へと変化。1963(昭和38)年には、紙パックに変更し生産を続けたが、販売終了した時期は不明だという。

2007(平成19)年には、当時の「珈琲牛乳」のレシピをもとに、チルドカップで「元祖珈琲オレ」を約6年間販売した。

 

 懐かしい味だと、かなり評判になったそう


ちなみに、2003(平成15)年以降は、生乳100%のものしか商品名に「牛乳」と表記してはならないことになった。そのためコーヒー牛乳は正確には「コーヒー入り乳飲料」となってしまうため、「牛乳」の表記を外来語である「オレ」に変え、商品名を「元祖珈琲オレ」にリニューアル。

 

 「元祖珈琲オレ」はパッケージを変更しながら販売された


最近では2015(平成27)年9月に再販された。この時は写真共有サービスのInstagram(インスタグラム)などにもアップされ、話題になったという。今後、「元祖珈琲オレ」の販売は未定だが、また、何らかのタイミングで販売する可能性はあるようだ。

取材当日、開発時の情報をもとに、コーヒー牛乳を用意していただいた。・・・感激!
今回は、コーヒー豆はモカ、牛乳は乳脂肪分の割合が高くやや濃厚なもの、砂糖はかなり多め。松﨑さんによると当時はハワイのコーヒー豆でおそらくコナを使用し、牛乳は搾りたての生乳を使っていたと思われるので、今回はできるだけ味わいの近いものを選んだそう。

 

 甘みがあって懐かしい味。おいしかった!


「当時はコーヒーに馴染みがなく、苦みが受け入れられなかったため、かなり甘かったのではないか」と、松﨑さんは話してくれた。