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横浜の古道を歩く 稲毛道その3 ―川崎市越境編―

横浜の古道を歩く 稲毛道その3 ―川崎市越境編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさん)

はまれぽ調査結果!

「かまくら道下道」に別れを告げた稲毛道は、ついに市境を越え川崎市へと入る。その間の古道は消失ルートが多く、ジグザグ道や迂回路にしばしば翻弄される。

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ライター:結城靖博




まずはジグザグ歩きから旅は始まる





なかなかのインパクトだった来迎寺(らいこうじ)で終わった第2回


稲毛道(いなげみち)はこの寺院と、日吉方面へ続くかまくら道下道(しもつみち)を右手に見て


目の前の道路をまっすぐに進む



すると3分ほどでT字路に突き当たる


この先は宅地開発で区画整備が進み、旧道のあとを正確にたどることはできない区間がしばらく続く。ざっくり見れば県道106号子母口(しぼくち)綱島線のルートに沿っているのだが、少しでも古道に近づくべく住宅地の中をジグザグと歩いていく。

というわけで、このT字路を左折する。


そして左折するや否や最初の道をすぐ右折。右角の駐車場の手前の道だ



右折する道の向かいにスーパー「いなげや」があった


「いなげや」と「稲毛道」? 何か関係があるのかと後で調べたら、創業者の出生地が現在の川崎市多摩区と東京都稲城市の境付近で、鎌倉時代に出生地一帯を統治していた豪族・稲毛重成(いなげ・しげなり)にあやかったものとか。地理的に見て全く無関係とも言えない。


それはともかく、右折した道を入ると



またすぐに最初の道を左折。緑色の家の前の道だ



左折するとすぐT字路にぶつかるので、ここを右折



そしてまた、ここを左へ



するとふたたびT字路。ここを左折


まさに文字通りのジグザグ歩きだ。


その果てに見えてきた少し大きな道は・・・



前回、来迎寺に至る極細道のところで逸れた県道106号子母口綱島線


つまり、あそこで極細道に入らずまっすぐ県道を歩いてきても、ここにたどり着いたわけだ。だが、そうしていたらあの来迎寺やかまくら道下道との追分には出合えなかったことになる。


県道を右に折れて150メートルほど行ったところで左の脇道へ入る


今回の県道歩きは1分で終わってしまった。


脇道に入ると50メートルほど先に川の土手が見える



左側は行き止まりなので土手沿いを右へ



せっかくだから土手の上にあがって、川を眺めてみよう


川の名前は早渕川(はやぶちがわ)。ここから1kmちょっと南の下流で鶴見川に合流する。


階段付近からその下流方向を臨んだところ


土手は格好の散歩道のようだが、残念ながら古道歩きはここで川から離れる。


そして川沿いから斜めに延びるこの遊歩道へ入る



閑静な住宅地の中をまっすぐ続く、中央に植え込みのある遊歩道



途中には左手に可愛らしい公園(高田公園)もあったりして



遊歩道はその先もさらに続く


この道をまっすぐ行くと横浜市営地下鉄グリーンラインの高田(たかた)駅に至る。おそらくこの遊歩道は、地下鉄の駅建設に伴う周辺の宅地開発にあわせて作られたものなのだろう。


遊歩道はまだ続くが、古道歩きは二度目に車道と交差するこの地点で右に曲がる



右角の居酒屋が目印だ



曲がるとすぐに少し太い道路が現れる


実はこの道は、さっき1分ほど歩いた県道106号子母口綱島線だ。つまり川沿いから延びる遊歩道のコースをとらずとも、ここまで来れるわけだ。

古道歩きはここを渡り、上の写真の左側にある白い家と茶色い家の間の細い道へ入る。


脇道へ入るとこんな感じ


住宅地にはさまれた路地歩きが、なおも続く。


と思ったら、1分足らずで交通量の多い大きな道が見えてきた


目の前の道は県道102号荏田(えだ)綱島線。国道246号線と綱島街道をつなぐ横浜北部の幹線道路だ。

来迎寺からここまでは1.2kmちょっと。徒歩15分ほどの距離だ。下のマップの赤いラインが歩いてきた道だが、まさに「ジグザグ街道一人旅」という感じだ。


© OpenStreetMap contributors)




ジグザグ歩きの次は長い坂が待っていた




荏田綱島線に突き当たると、県道のすぐ左手にある信号を渡る。


交差点名は「高田東小学校入口」


だが信号を渡った後、目の前の細い道を直進はせず


左折して数十メートルほど県道に沿って歩き



うなぎ料理店「しま村」の手前の道を右折する



その先は、またしても住宅地の中の旅


だが、今までよりも道幅は広く、しかもほぼ、まっすぐな道だ。ここを60メートルほど進むと、左手にようやく久しぶりに古道らしい景色が現れた。


祠(ほこら)だ!



しかもかなりの時が流れているように見える



なにしろ祠の中の石塔はこのような状態だ


右の石塔は、かろうじて「庚申」という文字が読み取れるので、庚申塔なのだろう。同塔左下の三文字は「高田村」と書いてあるようだ。
いっぽう、左の石塔はもはや原形をとどめていない。が、正面の石の隆起の様相から推測して、青面金剛像なのかもしれない・・・。

いずれにせよ、供えられた美しい花々が、風雪に耐えた石塔を住民たちが大切に祀っていることを示している。

祠をあとにすると、道は徐々に上り坂になってきた。


坂の途中で、新築の上棟式の準備をしている神主さんの姿を目にする



そこを過ぎた辺りから、いよいよ本格的な坂になってきた


前方の地面に「O(オー)リング」が施されていることからも、勾配のほどがわかるだろう。


しかも長い・・・



とは言っても祠の辺りから数分ほどでOリングは途切れ、坂の上が見えてきた



上りきった辺りから望んだ景色


おお、やっぱりだいぶ高いところまで上がってきたのだ。今回の稲毛道の古道歩きで初めての坂道汗かき体験だった。


その後は当分、おおむね平坦な道が続く



住宅の立ち並ぶ中にちょっと広い畑がポツンとあったりして


のどかな丘陵地歩きだ。


やがて右手の角地に異(い)なる空間を発見



住宅地の只中に唐突に現れた石塔群



祠の中で蓮華座に鎮座する石仏には



台座に「念佛供養佛」と刻まれている


また「明和六」の年記も読める。1769年の造立だ。


その右隣りにも古色を帯びた地藏立像が


こちらはさらに古く1719(享保4)年の造立。


祠の左側には庚申塔などが3基並ぶ


やはりいずれも古い。のちに調べた古道資料によれば、どれも江戸時代中期の作であるらしい。


石塔群と別れて1分ほど歩くと、稲毛道は左の脇道に折れる


黒い車の向こう側の道だ。


脇道は少し右にカーブしながら



すぐにやや太い道と交差。ここを左方向へ下っていく



勾配は徐々に急になり



下りきった先に車道が見えてきた



通りの向こうに広い畑が広がるこの道は…


おやおや、また県道106号子母口綱島線だ。まあ、よくこの道と出くわす旅である。

荏田綱島線の高田東小学校入口交差点付近から、ふたたび子母口綱島線に合流する地点までの距離は約1km。徒歩十数分だが、途中の坂道をどれぐらいの速さで上れるかによって時間は変わってくる。

だが、高田東小学校は坂を上りきった先にある。小学生たちはきっと、あの入口交差点から毎朝元気に坂を上っているのだろう。

久々の坂はきつかったものの、古道にふさわしい場所に2ヶ所も出合えて、この間のルートはなかなか良かった。


© OpenStreetMap contributors)




ついに市境へ至る





子母口綱島線との合流地点を右折する。


その後しばらく稲毛道は、この県道に沿った道中が続く



途中、「下田寿司」なる看板があったりする


坂を下ったこの辺りは下田町(しもだちょう)。石塔群があった高台の住宅地は高田町(たかたちょう)。わかりやすい地名だ。


などと感心しながら歩いていると、下田町の交差点に着いた



交差点の右手の先に郵便局が見える。下田郵便局


そんなことをチェックしたりしながら、稲毛道は交差点を越えてさらに直進する。

昔々、この辺りは橘樹(たちばな)郡日吉村だったそうな。昭和に入って横浜に編入され下田町になり、その後また一部が日吉町になり高田町になり、そしてまた下田町に戻ったりと、なんとも目まぐるしく町名変更を繰り返している一帯なのだった。


下田交差点を過ぎてしばらくすると、また道に勾配が付き始めた


とはいえ息が切れるほど急な上り坂ではない。


生垣に隠れて見えないが、途中左手に畑が広がっている場所もあった



だが基本的にはやっぱり住宅地。そしてこの辺りから、ほぼ平坦な尾根道になる



やがて右手に大石医院というクリニックが見え


ここを過ぎると、まもなく…


この道中における一つの大きなポイントが近づいてきた



そう、ついに川崎市との市境にたどり着いたのだ


だがしかし、稲毛道はまだまだ先へ続く。ここでバンザイをしているわけにはいかない。この先の古道歩きの変化を期待しつつ市境の標識をくぐり、川崎市へ足を踏み入れる。ここは高津区蟹ケ谷(かにがや)だ。


市境を越えるとすぐ右手に蟹ケ谷バス停がある



バスターミナルの奥は公園になっている


それらを右手に見て進行方向の県道に目をやると、


目の前に信号



ここでやや長かった子母口綱島線の旅は終わり、右手の団地に続く道へ入る


団地の名前は市営蟹ヶ谷槍ヶ崎(やりがさき)住宅。何棟も建ち並ぶ大きな団地だ。


古道は本来この二又に分かれる真ん中辺りを通っていたようだが


見ての通り団地の建物によって消滅してしまっている。そこで左側の道を、建物を巻くようにして迂回する。


ぐるっと巻いて右へカーブ



するとまたその先で、舗装道は右に折れている



ここを右に曲がってしまっては、団地の中へ逆戻りすることになる


そこで反対側、2つ前の写真の左手に目を向けると…


畑の右脇に細い道がある


稲毛道はこの中へ続くのだ。


左手は畑だが、茂みから右手を見ると見晴らしのきく高台だ


ところで、この細い道は「通園路」なのか?

子母口綱島線との合流点からここまでの道のりは、やはり約1kmちょっと。徒歩十数分の距離だ。


© OpenStreetMap contributors)




またしても消滅ルートを迂回してつなぐ





「通園路」であるらしい細い細い路地を下っていくと



100メートルほどで、このような場所に至る



直進方向は行き止まりかと思ったら、そうではなかった


さらに道幅が狭まりながらも、まだ先が続いている。なので分け入る。


ちなみに左下の赤い屋根の建物は幼稚園だった


「たちばな幼稚園」。なるほど、確かにここまでの細い道は、団地側からの通園路に違いない。ちょうど子供たちが外遊びの時間のようで、崖下から子供たちのにぎやかな声が地鳴りのように聞こえてくる。幼稚園児たちのエネルギーは、すさまじいほどだ。


しかし幼稚園を左手に見下ろす路地は、40メートルほど先で完全な行き止まりに



仕方なく4つ前の写真の場所に戻り、幼稚園を右手に巻くようにして迂回する



下りきった先は大通り


何度もデジャブのように繰り返してきたシーンのように思えるが、やれやれ、またしても子母口綱島線である。ここを右折する。


たちばな幼稚園の正門を右手に見て県道を進む



道路はなだらかに右にカーブして



1分ほど歩くと、右手にこんな脇道を見つける



そこを入っていくとすぐに突き当たり



突き当りの左手に道が続いていた


これで、先ほどの幼稚園の上の行きどまり地点から、ふたたび古道がつながったことになる。


左折した道はすぐに舗装道に出て



住宅地の中をまっすぐ進むと、大きな通りが見えてきた



また子母口綱島線である



県道を右に進むと左へ大きくカーブして



その先に橋があった



橋の下を流れる川は矢上川(やがみがわ)


第3回の初めのほうで目にした早渕川と同じく、やがて日吉あたりで本流に注ぎ込む鶴見川水系の支流だ。


橋の名前は「鷹の巣橋」


かっこいい名前だが、その由来は調べてみたがわからなかった。


いずれにせよ、稲毛道はこの橋を渡ってさらに北上する


だが稲毛道第3回は、この橋をキリの良いところと見て、終えることにしよう。

通園路の入り口からここまでの距離は、ほんのわずかだ。迂回路の道のりで600メートル足らず。7分ぐらいで着いてしまうだろう。

下のマップの赤いラインがこの間のルート。青いラインが行き止まりになるまでの道。オレンジのラインが消滅ルートである。


© OpenStreetMap contributors)


そして下のマップが稲毛道第3回の全行程。4km弱の長さ、50分程度でたどり着ける距離だ。


© OpenStreetMap contributors)





取材を終えて





高田町の坂の始まりと、上りきった高台で遭遇した2ヶ所の石塔スポット以外は、今回は史跡を見ることがなかった。

だが、市境を越えてから通った幼稚園への「通園路」とされる道、このわずかな距離の細道は古道としての空気を強烈に醸し出していた。

すっかり都市化されて、交通網も整備され、かつての古道の名残りを偲ばせる遺物も少なくなったエリアにも、丁寧に道をたどっていくと、たとえ束の間でも「時空を超えた場所」に出合うことができる。

そんなことを実感しながら、いよいよ次回は稲毛道の終着点へと向かう。乞うご期待を!


―終わり―


参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)

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  • 古道を歩くシリーズ大好きです。テレビでやっている歩き旅では、結局どのコースを通ったか示さないのが多い中、このシリーズでは、きちんと行程を示してくれるのでイメージわきやすいです。

  • よこはまうまれです。幼稚園横の細道。これですよ!この情景こそ自分が想い描いていた「まさかこんな崖っぷちの道が?」です!地元の住民の方でもこの道が昔の街道なんて知っている人は少ないのでは?浪漫たっぷりです!

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