京急金沢八景駅ホーム沿い、ありえない高さに出入り口がついている建物の正体は?
ココがキニナル!
金沢八景駅の上りホーム向かいに戦前建築のにおいがぷんぷんする白いコンクリート製の建物が建っています。出入り口があり得ないくらい高い所についていたり、何の建物なのかきになります(うなぎさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
戦前建築した京急の変電所だった。高い位置の出入口は大型機器搬出入口で、1946年、出入口は無用化。2000年に役割を終え今後は未定
ライター:永田 ミナミ
京急電鉄広報にきく
京急電鉄に問い合わせたところ、同社広報課の丸田さんにメールで回答をいただくことができた。
1929(昭和4)年に建てられてた白い建物は、「瀬戸変電所」として使用されてきた。
しかし、2000(平成12)年8月に現在の瀬戸変電所のある場所に移転したタイミングで、「旧金沢変電区」という名称になり、現在は施設としては使用されていない。建物の外に電力供給用の鉄塔が残されているのみである。今後の予定については未定だそうだ。
現瀬戸変電所は金沢八景駅よりやや北にある(地図上部青色部分)
ほかにも似たような趣きある変電所、または変電所跡は残っているかという質問には「残っていない」という回答。また、初期の施設に特定の建築家や設計士が関わっていたか?という事実の有無についても特定できていないという。
そして、投稿にあった肝心の「建物壁面にある、あり得ないくらい高い位置にあるドアやシャッター」は、大型機器の搬入出などに使用するものだということだった。
しかし、こんなふうに線路にふさがれてしまっていては、搬入も搬出もできないのではと考えていたとき、ふと「トマソン」が頭をよぎった。
「トマソン」からの展開
「高所ドア」に「無用ドア」。これは一種の「トマソン」ではないか?
「トマソン」とは、芸術作品のように存在は役にたたないが、見方によってはまるで展示するかのように美しく保存されている、不動産の一部やその遺構のことである。
赤瀬川原平『超芸術トマソン』(白夜書房)
実物を見るのは新宿の純粋階段以来だ。
新宿駅モザイク通りにある、単に上がって降りるだけの無用階段
しかもひとつの建築物に2種類とは。思いがけない超芸術との遭遇に興奮したが、落ち着いて考えると、トマソンは、かつては建築物の有用な「部分」だったものが、改築や取り壊しの過程で無用化した遺物である。つまり高所ドアも線路に隠れた無用ドアも、トマソンになる以前は何かの用途のために作られ、何かが出入りしていた、建築物の有用な一部分だったはずだ。
「無用ドア」(左)に「高所ドア」
金沢変電所にやや似た無用ドア
とはいえ、線路脇に建てられた変電所の出入口を線路が塞いでいるということはどういうことなのか。開通後、京急のコースが若干変わって近接したのだろうか。それを確認するべく京急の歴史を調べてみると、変電所が建設された1929(昭和4)年は、鉄道開通の1年前だったということがわかった。
1899(明治32)年2月に創立した京急の前身である大師電気鉄道は、翌年1月に六郷橋〜大師の区間で営業を開始。
同年4月に京浜電気鉄道に社名変更、1904(明治37)年5月に品川乗り入れ、翌年12月に川崎〜神奈川の区間が全通し、品川〜神奈川が直結した。さらに1929(昭和4)年6月に神奈川〜月見橋、翌年は月見橋〜横浜、そして1931(昭和6)年には横浜〜日ノ出町が開通する。
一方、同じく京急の前身である1925(大正14)年に創立した湘南電気鉄道は、1930(昭和5)年4月に、金沢八景〜湘南逗子(現新逗子付近)、黄金町〜浦賀で営業を開始。翌年に黄金町〜日ノ出町が開通し京浜電気鉄道との相互直通運転を開始する。そして1941(昭和16)年に京浜電気鉄道と合併する際に湘南電気鉄道は解散する。
この1年の時差から、旧金沢変電区が建設され、大型機器が搬入されて変電所としての準備が整った後、搬出入口をふさぐように線路が敷設されたのではないか、と考え、再度、京急広報の丸田さんに問い合わせてみたが、「変電所建設後に線路が敷設されたのかにつきましても確認をとることができませんでした」ということだった。
京急ウェブサイトの沿革図を参考に作成した沿革図※クリックして拡大
円窓がある左右には、搬出入ができるような大きなドアやシャッターはない
搬出入口をふさぐように線路が敷設されたという根拠を求めて、図書館で京急に関する資料を探してみたところ、1枚の決定的な写真を見つけることができた。
変電所と線路とが同じ高さになっている。1930(昭和5)年、開通当初の金沢八景駅と変電所
『京急の駅 今昔・昭和の面影』(佐藤良介著)によると、1942(昭和17)年の戦時統合による通称「大東急」時代(沿革図参照)に、金沢八景駅と周辺で、京急本線の線路築堤化、高架駅化が進められたという。そして戦後である1946(昭和21)年に工事が竣工した時、変電所の線路側に面していたドアは、ふさがれたり、出入りが困難な高所に残されたりして、トマソン化したのだ。その後、1948(昭和23)年に大東急は解体され、京浜急行電鉄が発足し、現在に至る。
取材を終えて
投稿にあった「戦前建築のにおいがぷんぷんする建物」は、まさしく戦前に建てられたものだった。
また、建築年と開通年の1年という時差から、開通当初の姿まで金沢八景駅の歴史をたどることもできた。
戦争も、そして戦後の復興と発展もすべてを眺めてきた旧金沢変電区は、13年前に変電所としての仕事を終え、いまは静かに余生を送っている。今後の予定は未定だが、これからも当分の間は、金沢八景駅のホームに立てばすぐ目の前にあるだろう。こういう建物が一つくらい残っているのは悪いことではない。
―終わり―
参考文献・参考資料
沿革図:京急ホームページより
佐藤良介『京急の駅 今昔・昭和の面影』(JTBキャンブックス)2006
広岡友紀『日本の私鉄 京浜急行電鉄』(毎日新聞社)2010
赤瀬川原平『超芸術トマソン』(白夜書房)1985
マイクハマーさん
2015年10月11日 08時33分
仮面ライダーゴースト2話にこの物件の内部と思われるシーンがありました。
素人さん
2015年02月23日 11時02分
いろいろ推理が浮かんで来て非常に面白いですねぇ、昭和5年の写真からすると、京急のパンタグラフ?とか電線の保守の目的とか、ドアの下に立つ事が出来る台?のような物が見えるしもしかしたら調べていくと何か出てくるような気もして、楽しいですねぇ!トマソンと言う主張も面白くていいですねぇ!
うなぎさん
2013年09月20日 11時09分
おおこれ自分の投稿したやつです!ずっと気になっていたので、ここまで詳細に調べて頂き嬉しいです!戦前の実際の写真が拝見出来るとは思っていませんでした。是非こういう歴史的建築物は後世に残して行って欲しいと感じました。有難うございました。