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まぼろし商店街 ~中村橋商店街~

まぼろし商店街 ~中村橋商店街~

ココがキニナル!

「昔は確かにここにあった!」という商店街を記憶や資料を頼りに再現すると、懐かしい情景がよみがえり、新たなキニナルも生まれる予感が(ねこぼくさん)――第4弾は南区睦町の「中村橋商店街」を調査!

はまれぽ調査結果!

中村橋商店街の歴史は市電の盛衰と運命を共にしていた。すでにそこにはアーケードも商店会もないが、昔ながらの商店はまだ点在し、「まぼろし」とは言いがたい。そして老舗商店街ならではの下町人情も健在だった。

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ライター:結城靖博



「ハムエッグ」さんから次のようなキニナル投稿があった。

「中村橋商店街はアーケードが取り払われ、商店もだいぶ減ってしまったようです。中村橋は市電の系統が集まる要所でしたが、廃止とともに商店街の盛り上がりも変わってしまったのではないかと察します」

これを受けてさっそく調査に乗り出した。だが、その端緒として商店組合の組織を探してみたものの、なかなか見つからない。
しかし横浜市ホームページの「平成14年商業統計調査」には、「南区中村橋商店街」として店舗数やその規模のデータとともに、地域区分図も掲載されていた。

それによると、商店街は下の地図の赤いラインで示したエリアに当たる。


© OpenStreetMap contributors)


距離はざっと300メートルほど。掘割川(ほりわりがわ)を隔てた東側には根岸の米軍住宅地の丘陵地があり、川沿いの国道16号線(横須賀街道)は車の往来が絶えない幹線道路。けれども、中村橋交差点から蒔田(まいた)へ至る西側は、下町風情色濃い古くからの住宅地だ。
中村橋商店街はそんな西側一帯の中に位置している。



南区資料から重要な情報を入手




市のホームページにも商店街として記載されているのだから、区役所に訊いてみれば何かわかるだろうと、南区地域振興課に問い合わせてみた。すると、商店会の名称が「中村橋商店街勉強会」であることが判明。

だが同会は、2008(平成20)年に南区商店街連合会から脱退しており、このとき会も解散したらしい。区役所に残る平成元年度の同連合会名簿に勉強会会長の店名が載っているが、すでにその店舗はなく、現在の問い合わせ先は不明だという。

さて、困った。困ったときは図書館だ。


というわけで横浜市中央図書館に足を運ぶ


ここで、貴重な資料を発見。1994(平成6)年に発行された南区制50周年記念誌『南・ひと・街・こころ』の中に、中村橋商店街の商店主へのインタビューが記載されていたのだ。記事からはどのような商店かは不明だが、証言者は勉強会会長も以前務めていた「小宮昭雄」さんという方だった。

同書によれば、掘割川沿いの国道16号線には昭和の初めに磯子区杉田までの市電が開通し、商店街の入り口に中村橋停留所ができたという。


現在の商店街入り口付近の国道16号線


この道をかつて市電が通っていたのだが、その数がものすごい。
下は横浜の市電最盛期、1960(昭和35)年当時の運転系統図だ。赤い矢印(筆者による加筆)の先に「中村橋」の停留所名があるが、そこを通過する路線の多さは市内でも群を抜いていることがわかるだろう。


(横浜市交通局発行『ちんちん電車 ハマッ子の足70年』より転載)


この道は、まさに市内有数の「市電通り」だったのだ。


ちなみに中村橋交差点の片隅にこんな古い停留所の標識を見つける


商店街入り口と国道をはさんだ向かいの印章店の前。一瞬、市電の標識かと思ってドキリとするが、よく見ると「113 磯子」とある。市電にそんな大きな系統番号はないので、昔のバス停の標識だろう。それにしても今となってはこれも貴重な遺跡だ。

話がそれたが、市電通りの始まりである昭和初頭は、いっぽうで関東大震災からの復興期でもあった。幸い中村橋商店街のある睦町(むつみちょう)2丁目界隈は地盤が固く震災による建物の倒壊からまぬがれ、そこに生鮮食品を扱う店が自然に集まったという。

中村橋付近の地盤が固い理由は、この土地の成り立ちからも合点がいく。


中村橋交差点付近から掘割川(左)と国道16号線(右)を望む


開港期に作られた人工河川である掘割川は、付近の丘陵地を切り通して開削された。つまり中村橋付近は、すぐそばの吉田新田(よしだしんでん)のような地盤の緩い埋め立て地ではなかったのだ。

かつてそこが丘陵地であったことは、本稿冒頭の地図からもわかる。上の写真で言えば左手に根岸の米軍住宅地、右手に弘誓院(ぐぜいいん)や宝生寺(ほうしょうじ) がある高台がある。

下は中村橋商店街の裏手にある公園から弘誓院の高台を見たところだが、いかにも切り通しの断面という様子だ。


西ノ谷(にしのたに)公園の擁壁


つまり、中村橋商店街は、交通の便と地盤の利、その二つの要因によって昭和初期ごろから自然発生的に形成された商店街だったのだ。

前掲書中には、小宮氏が小学生だった1935(昭和10)年ごろにすでに辺りは住宅が密集し、商店が軒を連ね、日野や笹下(ささげ)から農民が野菜をリヤカーに積み、根岸の海岸から漁師のおかみさんがビクに魚を入れて売りに来たと書かれている。そんな商店街の活気は、戦後も昭和40年ごろまで続いたという。

だが、そのにぎわいも1972(昭和47)年の市電の廃止とともに、次第に衰えていった。


市電廃止直前、1972年の関内駅前(写真提供:横浜市交通局)


今でも国道16号線にはひんぱんにバスが通り、商店街のそばにある中村橋バス停には多くの路線バスが止まる。


横浜駅、桜木町駅、みなとみらい方面と系統も本数も多い


けれども、「渋滞などで時間どおりに運行がむずかしいバスでは、なかなかお客さんは集まりません」と小宮氏は同書で証言している。



現在の中村橋商店街の中へ



では、現在の中村橋商店街はどんな様子だろう。


国道から中村橋商店街の入り口を望む


商店街の中にもバスが通り、信号が赤になると交差点には車の列がすぐにできる。それだけ、今も商店街の中の交通量は多いことがわかる。

右角に薬局がある。「鶴岡仁成堂(じんせいどう)薬局」。店構えも店名も、いかにも昔ながらの印象だ。


商店街に入ると、すぐ左手に3軒店が並ぶ


右の酒店はシャッターが降りていたが、左の「小野商店」には、店名の看板に「灯油・園芸・氷」とあり、さらにクリーニング・チェーン店の看板も見える。多角化経営で現在も頑張って営業を続けているようだ。

中央の蕎麦屋「伊勢福本店」は建物こそ新しいが、あとで調べてみると、国道に市電が通って間もない1935(昭和10)年創業の老舗だった。


石臼の自家製粉が売りであるそうだ


この3軒の向かいには、ちょっと浮いた佇まいの「まいばすけっと」がある。


建物の形がユニークで気になるが、とりあえず先へ進もう


「まいばすけっと」と脇道を隔てた角に花屋があり、その斜め向かいにも、酒屋と並んで花屋が見えた。


左が花屋さん、右が酒屋さん


なぜか花屋が多い。その疑問を解くべく酒屋の左隣りの店を訪ねてみた。

店名は「フラワーショップ花平(はなへい)」。店の中には中年の男女が立ち働いていた。
お二人は瓦(かわら)さんご夫妻。訪ねた趣旨を伝えると「(はまれぽ)たまに見てますよ」とご主人の健治(けんじ)さんが笑顔で応えてくれた。


美しい花々に囲まれたうらやましい職場環境でのツーショット


健治(けんじ)さんは現在52歳。お父さんの代からここで花屋を始めて、もう60年ぐらいになるという。

通りに花屋が多いわけは、近くに弘誓院や宝生寺などいくつもお寺があるからだそうだ。


弘誓院(左)と宝生寺(右)


斜め向かいの「まいばすけっと」の建物の謎も明かしてくれた。元々そこは「のなか屋」というスーパーで、あるとき改装した際、某有名デザイナーの設計であのような形になったのだという。その後スーパーはドラッグストア、生鮮食品店を経て2年前に「まいばすけっと」になったが、その間建物だけはあのユニークな形状が継承されたわけだ。

にこやかに仕事をされている様子だったが、年々商店街への人出が少なくなる中で、今年はコロナの影響でさらに厳しいという。

近くの小中学校の卒入学式その他公共関係のイベント需要の減少はもちろんのこと、普段はここで花束を買って関内辺りの繁華街へ出かけるようなお客さんもいるが、そんな人たちも飲食店の休業でめっきり減ったそうだ。この地域ならではの話だ。

商店街の中の店舗が減っている一番の原因は、やはりどの地域にも共通する「後継者不足」。ここもまた古くからの商店が次々にマンションや戸建て住宅に建て替えられているという。


通り沿いに並ぶ真新しいマンションや戸建て住宅


かく言う瓦さん夫婦にも娘たちがいるが、店を継がせるかどうかは微妙なようだ。

アーケードについて尋ねると、「詳しいことはこの先のお茶の店で訊いてみて。ご主人が勉強会最後の会長だったから」と教えてくれた。



勉強会最後の会長から貴重な写真を拝見





瓦さんが教えてくれたお茶の店は、通りの同じ並びにあった。そこへ向かう途中で、何軒かの年季の入った店舗が目にとまる。


花平さんの二つ隣りに、弁当屋さんと「横浜ロック」という名の錠前屋さんがあった


弁当屋さんに近づいてみるとこんな感じ。コロッケが40円。安い!



さらにその先に「LIVING SHOP GOMI」と「ムツミ硝子」が並び



「ムツミ硝子」の右隣りに目指すお茶の店があった


店内に入ると、突然の訪問にもかかわらず、ここでも店の方が親切に迎えてくれた。店名は「おかだ園」。応じてくださった方は岡田英昭(おかだ・ひであき)さん。同店三代目のご主人だ。


御年68歳の英昭さんは、とても温厚な方だった


「おかだ園」は大正の終わりごろの創業。もう100年になる老舗だ。「横浜大空襲のあと、店先から京急の線路が見えるほど一面焼け野原になったそうです」と、英昭さんは先代から聞いた75年前の様子を語ってくれた。

取材中、貴重な写真も拝見できた。そのうち最も古いものが下の写真だ。おそらく1950(昭和25)年ごろだろうと英昭さんは言う。


「抽籤大売出し」の宣伝カーが戦後間もない商店街の活気を伝える(写真提供:岡田英昭氏)


アーケードが取り壊され「中村橋商店街勉強会」が解散したのは、今から15年以上前のことだという。英昭さんが会長だったころ、商店街を盛り返すためにさまざまなイベントを企画しても、すでに参加する店は少なく、イベントは盛り上がらなかったそうだ。店舗の減少により会費もなかなか集まらず、老朽化したアーケードの修復もままならない状況に至った。


この写真の日付は不明。昭和の後半ごろか(写真提供:岡田英昭氏)


「かつてこの通り沿いに100店舗以上あったんじゃないでしょうか。それが今はもう20軒ぐらい。最盛期には、なにかイベントをやると人があふれ返って、交通整理のためにガードマンを雇って通りの車を止めるほどでした」と英昭さんは言う。

ちなみに横浜市の前掲資料「平成14年商業統計調査」では、小売店舗数は55、うち飲食店が23軒となっている。

「30年ぐらい前には月に一度『朝市』をやっていて、その頃は朝のたった2時間で数十万円売り上げるほどにぎわったものです」と英昭さんは振り返る。


これは1960(昭和35)年頃の写真(写真提供:岡田英昭氏)


写っているのは英昭さんのお母さんと妹だ。写真は店の前で撮影したものだという。英昭さんのお母さんの柔和な笑顔に、当時の商店街の明るさを感じる。


写真の背景は今こんな光景に


岩田薬局と酒屋さんらしきお店は、会社の社屋と駐車場に変わっている。


でも、60年前の写真のモデルさんは今もお元気だ


御年90歳の英昭さんの母・美代子(みよこ)さんが、店の奥から登場してくださった。お二人、そっくりですね!

地下鉄吉野町の駅までは歩いてすぐだし、中村橋バス停からはほとんどの市街地中心部に通じるバスが出ている。交通の便は申し分ない。「ただ、商店街は素通りされてしまうんです」という。

英昭さんにも娘さんたちがいるが、店を継がせるつもりはないそうだ。「私の代で、終わりですね」と穏やかな口調で言った。


吉野町3丁目交差点にあるブルーライン・吉野町駅までは徒歩10分とかからない




「おかだ園」からさらに商店街の先へ





英昭さんに、この商店街でほかにお話が聞ける人はいないか尋ねると、商店街の端にある酒屋さんを紹介してくれた。そこまでの道中、英昭さんから伺った情報なども参考にしつつ、点在する店舗の様子を見ていくことにした。

まずは、おかだ園から道を隔てた斜め向かいに並ぶ数軒の店について。


なかでも「丸彰保温」の右隣りにある小さな店がとても気になった



店先にはタバコが売られているが、看板には「糸・ボタン・バック・袋物」とある


店内の撮影は断られたので省略するが、店の中を覗くと奥の壁には一面ボタンが並んでいた。お店の方と常連客らしき数人の高齢女性が店内で話に花を咲かせていたので、しばらく待ってから店に残った女性に声をかける。

聞けば、戦後間もなくからこうした品揃えで店を続けているという。だが、すでにご主人が亡くなったため、今はボタンの仕入れはせず残された在庫を売っているそうだ。


その店の2軒左隣りに「弥太郎最中」ののれんが見えた


実はこの和菓子店は、今回の取材でぜひ訪ねたいと思っていた店だった。それというのも、この店の「弥太郎最中」は、以前はまれぽでも紹介された銘菓だからだ。その詳細は過去記事に拠ってもらいたいが、いずれにせよこの日はシャッターが閉まっていた。

英昭さんによれば、今は80歳ぐらいの奥さんが一人でやっていて、最近は開けたり閉めたりの状態だという。


「弥太郎最中本舗」の左には、さらに3軒の店舗が並ぶ


比較的新しそうな造りの韓国料理店と「ダンスとカラオケ」の店に続いて、老舗風の店構えのふとん店があった。


中を覗くと昔ながらの風情。なぜか壁にはマリリン・モンローの写真が


声をかけたが、どなたも現れない。英昭さんによれば「店の奥で作業をしているのではないか」とのこと。仕事の邪魔をしないように店をあとにする。


ふとん店の先はシャッターを閉じた店が目立った


「五味金物店」とある。実はここはおかだ園の数軒左にあった「LIVING SHOP GOMI」の兄弟店だった。「五味金物店」が兄の営む建築関係、先にあったのが弟の営む家庭用金物の店だそうだが、英昭さんによれば、お兄さんのほうは今年になって店を閉めたという。


五味金物店の向かいの黄緑色の建物は「愛の郷」という名のデイサービス



「愛の郷」の右側はこんな感じ


駐車場と民家をはさんで、シャッターを下ろした牛乳販売店と中華料理店、そして営業中の飲食店「じゃんぼ」が並ぶ。

この辺りを最後に、通りはわずかに右へカーブする。


カーブ地点で、来た道を振り返ってみる



そして同地点から、逆に進行方向の蒔田方面を望む


ここまでで、入り口から歩いて商店街全体の3分の2ほど進んだことになる。距離にして200メートルあまり。


カーブ地点の進行方向右手に、改装中のマンションと眼鏡店があり



眼鏡店の左には白いマンションをはさんで郵便局があった


この郵便局の前はさすがに車が混み合っている。道の向かいに「かながわ信用金庫」があるので、なおさらか。


歯医者さんと信用金庫が並んでいる



信用金庫がある側は、建物を一つ置いてまた店舗が数軒続く


そこで、横浜市のホームページに示されていた行政区分上の中村橋商店街は終わりとなる。


一番左にあるふとん屋さん。ここがまた、良いたたずまいだ


なぜ商店街の中の寝具店は、どこも皆風情があるのだろう。さっそく店の中に入ってみた。だが、奥からかなり高齢の女性が現れ、「若い者が出払っているのでなんにも分かりません」と取材を断られてしまう。


右隣りはお弁当と惣菜の店


しばらく眺めていると、ちょうど昼時でもあったせいか、客足がけっこう絶えない。地元の人たちに親しまれる昔ながらのお店なのだろう。


そしてお惣菜屋さんの右、商店街の終わりの角にスーパー「中央マート」がある



「中央マート」店内の光景


中に入ってみると、精肉店・鮮魚店・青果店・パン屋と、基本の食料品店が揃っていた。もちろん、値段も安い。「近所にこんなところがあったらいいのにな」と、ふと思う。


ただ「中央マート」の向かいにある豆腐店はシャッターが下りていた



シャッターにはこんな貼り紙が


おかだ園の英昭さんによれば、もう何ヶ月も店は開けていないそうだ。


また岩田豆腐店の数軒右隣りの米穀店もシャッターが閉まっていて



やはりこんな貼り紙が付されていた


商店街のお終いまで来て、さて英昭さんに紹介していただいたお店はどこかと辺りを見回すと、そこは中央マートのある交差点の蒔田寄りにあった。


看板には「住吉屋商店」と「みよし」と両方書かれている


「どっちなんだ」と思いつつ店内に足を踏み入れる。するとカウンターの中にいた女性が、ここでも気さくに応じてくれた。店名は「住吉屋みよし商店」とつなげて読むらしい。

女性の名は三好節子(みよし・せつこ)さん、73歳。80歳になるご主人と50年ほど前からこの店を営んでいるという。


満面の笑みをたたえて筆者を迎えてくれた節子さん


節子さんご夫妻が経営する前も、ここは同じような酒店だったそうだ。
「すっかりシャッター街になっちゃったでしょう?」とは言いながらも、この辺りは今も住宅が多く、自治会もしっかり機能していて、住人たちの絆もあるという。

でも、「うちの子たちもサラリーマンだし、後を継いでもらうつもりはないわ」と、さばけた口調でおっしゃる。

実はこのお店、上の写真の節子さんの背後に見える横長の木枠の向こうは、ちょいと一杯やれる立ち飲みスペース、いわゆる「角打ち(かくうち)」になっている。


店の右脇の灰色ののれんを潜ると、そこが「角打ち」ワールド


すでにこの日も常連の年配男性が一人ご機嫌な様子でいらしたので、中の撮影は遠慮したが、節子さんによれば、以前の店からずっとこの形態を続けているそうだ。

この国の伝統的「小粋な隠れショットバー」、そんな言葉で形容したくなるような場所が、まだ残されていることに嬉しくなった。



商店街の周辺を取材する



「住吉屋みよし商店」から先、蒔田方面に続く通りにも、蕎麦屋や昔ながらの小さなスーパーなど、商店街的風情は点々と続くのだが、そこを追っていくと「中村橋商店街」からどんどん逸脱していくので、今回の取材はここで止める。


住吉屋みよし商店の右隣りのカレー店は少々気になったが・・・


このあと、中村橋商店街の路地裏にも足を運んでみることにした。


商店街のちょっと裏筋に入ると、新しい家と古い建物が混在する


その中の一軒の真新しい家の前で、子どもの三輪車を洗っている若い女性に遭遇し、声をかけてみた。
結婚して7年前にこの町に引っ越してきたという彼女は、「昔からの住人が多い土地は新参者に冷たいかと思っていたら、この町のお年寄りはとても面倒見が良くて暮らしやすい」と話してくれた。

むしろ、市への苦情を聞かされる。「ブルーラインの吉野町駅前が何もないので不便。わざわざ自転車で京急の南太田まで買い物に行っている」という。「吉野町駅前をなんとかしてください」とのこと。

その後もう少し路地裏をうろついていると、こんな光景に出くわす。


裏通りのラーメン店の店先でラーメンをすするお爺さん


「ザ・下町!」と唸りたくなるような光景だ。しみじみするなぁ~。


こちらは中央マートの裏手の「睦町さくら公園」での一コマ


スーパーで買い物をしてきて一休みという風情のご老人が、ベンチで缶ビールをゆっくり飲みながらくつろいでいる。その向こうのすべり台のそばで、若いママ友と子どもたちらしき数人が、楽しそうに遊んでいる。

中村橋商店街――この界隈は、少なくとも今はまだ時代の新旧がバランスを保っている貴重な空間だ。そんな印象を持った。


今回の取材の主だった店(© OpenStreetMap contributors)





取材を終えて





見ての通りアーケードも商店会もなくなったとはいえ、中村橋商店街には今も昔ながらの店が点々と存在している。その意味では、「まぼろし」と呼んでは失礼なところだ。

ただ、ここでも後継者問題は確実にあり、もしかしたら数十年後、この通りはほとんど住宅ばかりのバス通りになっているかもしれない。
でもそれは、自然発生的に生まれそして消えていく、地域の事情に根差した商店街のごく自然な運命とも言えるだろうか。だからこそ、ぜひ今このとき、なおも残る貴重な下町人情商店街に足を運んでほしい――そう感じる町だった。


―終わり―


取材協力

フラワーショップ花平
住所:横浜市南区睦町2-179-13
電話:045-731-0908

おかだ園
住所:横浜市南区睦町2-179-8
電話:045-731-2330

住吉屋みよし商店
住所:横浜市南区堀ノ内町1-1-1
電話:045-731-2634

横浜市交通局プロジェクト推進課
住所:横浜市中区本町6-50-10
電話:045-671-3671


参考資料

『南区制50周年記念誌「南・ひと・街・こころ」』南区制50周年記念誌編集委員会編、同刊行委員会発行(1994年6月刊)

『ちんちん電車―ハマッ子の足70年』横浜市交通局発行(1972年1月刊)

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  • 35年程前、子供の時に近くに住んでいました。
    日光模型店ってのがあって、ガンプラを買うために並んだ想い出がよみがえりました。

  • 懐かしい気持ちになりました。マイバスケットの前はスーパーのセリザワと呼んでいました。確かに建物にNONAKAYAとありますね。現在の駐車場の場所にあった建物から入ってストリートビューで見えるシャッターまでが野菜売り場だったと思います。運営主体がそこで分かれていたんでしたっけ?一方通行で反時計回りに野菜・惣菜・肉・その他食品の順で並んでいましたね。野菜売り場から出るには隠しレバーを引くと自動ドアが開く仕組みになっていました。CDの発売日には岩田レコードに買いに行ったのが懐かしいです。市村時計店は何十年前!?レベルの埃被った時計が陳列されていましたね。今ではあまり見ない化粧品店もありましたね。シャルロットキミツヤのアンパンマンの形をしたチョコパンが好きでした。中村橋商店街の先ですがカメレオンクラブもよく利用しました。懐かしい。アーケードはありませんでしたよ。"横浜"橋商店街はアーケードですが。

  • お豆腐屋さん今日見たら「閉店しました。長い間ありがとうございました。」の張り紙がありました。子供の頃、日曜日の朝よく油揚げを買いに連れて行かれ、その時の豆腐の香りが頭に焼き付いて、今でもどこか全く別の場所でも豆腐の香りを嗅ぐとその時の岩田豆腐店のことを思い出す。そんな店でした。今日この記事を見付けたのは全くの偶然で、それもまた何か特別なものを感じます。

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