茅ヶ崎市にあるバス停「兵金山(ひょうきんやま)」「テラス」の名前の由来は?
ココがキニナル!
茅ヶ崎市松浪付近に「兵金山」と「テラス」というバス停がありますが、なぜその名が付いたのでしょうか?由来がとても気になります。(うみかぜさん/うみスタさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「兵金山」は、その地域が昔“兵金山”という小字名で呼ばれていたから。「テラス」は近くに茅ヶ崎テラスという県営住宅があったのが由来のようだ。
ライター:橘 アリー
今も「兵金山」の名前が使われている!?
「兵金山」は、どうやら昔は地名だったようだが、その由来がまだ分からない。もう少し、詳しい情報を得るため近くのお店で聞いてみることに。
和菓子店の野中屋さん。ここで40年くらい営業しているそうだ
ご主人の野中さん
野中さんによると、地名では無かったが現在の浜竹という地域のことを、子どもの頃は“兵金山”と言っていたそうだ。
そして、「兵金山会館」や「兵金山公園」などに“兵金山”の名前が残っていると教えてくれた。
「兵金山会館」と書かれている(Googleマップより)
さっそく「兵金山会館」と「兵金山公園」を確認しに行ってみた。
途中、駐車場の名前にも「兵金山」が使われているのを発見。「兵金山」の名前は地域で親しまれているようだ。
「兵金山駐車場」の看板
会館の前には「兵金山会館」と彫られた石碑まである
会館の職員の方がご不在だったので、そのまま「兵金山公園」へ向かう。
地図を片手に入り組んだ路地を迷いながらも、何とか「兵金山公園」に到着。
「兵金山公園」の様子
地面は砂地で松の木が植えられていて、海辺の公園のような雰囲気の場所だ。
ちなみにこの公園は、土地の所有者が土地を期限つきで提供し、茅ヶ崎市が整備管理しているもの。地面が砂地なのは、わざわざ砂の地面にしたのではなくてこの辺り一帯が砂地になっているからだそうだ。
公園の近所のお宅で、“兵金山”の名前の由来について聞いてみた。
すると、地域の会員名簿に「兵金山の由来」と書かれているのを見せてくれた。
「兵金山の由来」が書かれているページ
「兵金山の由来」では、太平洋戦争当時、現在の浜竹4丁目一体は広い平地の中で唯一の小高い丘で、松林に覆われていたという。そして、海岸一帯は海軍の演習場になっており、海軍ではその小高い丘を「兵金山」と呼び突撃の目標にしていた、ということが書かれている。
太平洋戦争当時にもこの地域は“兵金山”と呼ばれていたのか。
しかし、肝心のどうしてそう呼ばれるようになったのかまでは分からない。そこで、さらに詳しく調べるために、茅ヶ崎市役所へ行ってみることに。
土地開発者の名前が地名になった!?
茅ヶ崎市役所の文化生涯学習課でお話を伺った。
文化生涯学習課がある茅ヶ崎市役所の建物
――“兵金山”というのは昔の地名でしょうか?
明治初期の地租改正にともなって付けられた小字の名前です。
当時、土地ごとに税金を課するために、測量が行われて小字名が付けられました。
地租改正の時の区画図(茅ヶ崎市役所提供)
――いつ頃に付けられた地名でしょうか?
資料が残っていないので正確な事はわかりませんが、明治初期の地租改正の時に小字名として付けられているので、たぶん江戸時代の頃だと思われます。
――その後“兵金山”の名前はいつまで使われていたのでしょうか?
1924(大正13)年の町村制に基づいて当時の茅ヶ崎町が行政区を30区画に制定した時には、正式な名前では無くなっています。
大正13年の区画図(茅ヶ崎市役所提供)
――“兵金山”の名前の由来は?
この地域では土地を開発した人の名前から地名が付けられることがあったようなので、たぶん、土地を開発した人の名前から来ているのではないかと推測されています。
土地の開発は親子二代で行うことが多かったので、例えば父親が兵左衛門、息子が金左衛門などという名前で、そこから“兵”と“金”の字をとり、山はこの辺り一帯は砂丘地帯で小さな山がたくさんあったのでそこから“山”をとって、「兵金山」と名付けたのではないかと推測されています。
まとめ
“兵金山”も“テラス”も今は無い名前だが、地元では親しまれているようだ。
一見意味不明な名前でも、愛着のある名前は良いものだと思う。
そして、“兵金山”が人の名前から付いたとするならば、“兵金さん親子”はどんな人たちだったのか、ちょっとキニナル。
― 終わり ―
XXXG-01Wさん
2012年09月22日 20時56分
近くを通る度、「ふざけている?」と思っていました。ごめんなさい。勉強になりました。
sakiさん
2012年09月22日 10時41分
『茅ヶ崎区役所』は『市役所』でしょう。複数箇所間違ってます。