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創業から84年の歴史に幕を閉じた馬車道の老舗レストラン「相生」について教えて!

ココがキニナル!

馬車道の老舗レストラン「相生」が2月末で閉店。最大の原因はみなとみらい地区の開発により商業施設が充実し、一時は多店舗化していた相生もこれで全店閉鎖。会社自体も閉めてしまうの?(よこはまいちばんさん)

はまれぽ調査結果!

1931年にオープンした「相生」は、2015年2月に、多くの方に惜しまれつつ閉店した。みなとみらい地区開発が閉店の直接原因ではないとのこと。

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ライター:山崎 島

そして後日


 


で!!


再び「相生」の前へ。閉店から約一週間しか経っていないため、外観は以前と変わらず。
 


オレンジのダウンコートがオシャレでした


お片付け中の井上さんがお出迎えくださった。先日お店でお会いした時と変わらない、あたたかい笑顔にほっとする。片付けが始まっている店内にて、お話を伺いました。

まずは「相生」の歴史から。
レストラン「相生」がオープンしたのは1931(昭和6)年。初代社長、小林さんが設立した。

井上さんが「相生」で働くようになったのは1968(昭和43)年のこと。
 


昭和40年代の馬車道(『横浜中区史』提供:横浜市中区役所)


横浜生まれ、横浜育ちの井上さんは大学を出た後、弁護士事務所で弁護士を目指しながらアルバイトをしていたそう。そこでの仕事を1年半ほど続けた後、もともと知り合いだった初代社長・小林さんに誘われて「相生」へ就職。

入社当初は仕入れの仕事をしていた。「朝4時に築地へ行って仕入れてきた材料を、当時全部で6ヶ所あった店舗に配るんです。仕入れの仕事は20年やりました。同時に調理場を10年経験し、その後ホールや経理をやっていましたね。現在は分業で行うところが多いですが、私の時はオールマイティにできないといけなかったんです」とご自分の道筋を振り返っていらっしゃった。

社長になったのは1989(平成元)年。以来27年あまり「相生」を引っ張ってきた。なるほど、こんなにも人に安心感を与える井上さんの魅力は、こうしてたくさんの仕事をしてきた過去も淡々と語る謙虚さと誠実さからにじみ出てくるんだなあ、と納得。
 


太陽の母子像だ!(『横浜中区史』提供:横浜市中区役所)
 

今はこんな感じ


井上さんが社長になる前の「相生」時代、昭和40年代後半には10店舗ほど支店があったそう。

馬車道や弁天通、常磐町、北仲通などの路面店だけではなく、横浜市役所や鎌倉市役所内にもお店を出し、最も多い時だと200人の従業員がいた。「当時は“お店を出せば売れる”という時代でしたしね」と井上さん。

しかし井上さんが社長になると「味の統一された質が高い料理を提供したい。だからできるだけ少ない店舗だけでやっていこう」と考えるように。そして馬車道本店と金沢八景店のみで運営することにした。

金沢八景店はビルの耐久性の問題もあり、今から5年ほど前に閉店。現在は馬車道本店のみになっている。

現在の本店が入っているビルは今から11年前に建てかえられ現在の形となった。
 


店内の壁の一部は井上さんが好きな京都のお茶屋さんの壁と同じ「べんがら色」


「ここでは緊張せずにいられるようなお店づくりを心掛けてきました。触ったらこわれてしまいそうなアンティーク品などは置かず、従業員にもお客さんが長い時間くつろげるように接しなさい、と言っていました」と井上さん。

多くの著名人も来店したそうだが「どの方も同じお客さまなので、特別気にしたりはしませんでしたね」とおっしゃっていた。「メリーさん」がよくいらしていたのも、品があるのに緊張しないレストランだったからではないだろうか。
 


今は五大路子さんの手元にあるというメリーさん愛用のティーカップ


お客さんのことを考え、たくさんの方から愛されてきた「相生」が閉店してしまう理由について、投稿にもあった「みなとみらい地区の開発が原因かどうか」について伺うと「そのような見方もありますし、周辺の商店街も開発を意識してはいます、が直接の理由ではありません。客足の問題でもなく、後継者の有無とか、いろいろな要素が絡んで2014(平成26)年11月に閉店を決意しました」とのこと。多くは語られなかったが、直接きちんとお話をお聞きできてよかった。

「相生」の名前をそのまま継ぎたい、と手を挙げた飲食店は3店舗あったそうだが、お互いの条件面が合わず、残念ながら「相生」の歴史に幕を閉じることが決まった。

「飲食店以外にもこの場所に入るお店を募ってはいるんですが、なかなか決まらないですね」とおっしゃっていた。この場所が引き続き人々に愛される場所になるような、良いお店が入るといいなあ。
 


一つひとつのお言葉が力強くお優しい


「いろいろな人に出会えた、悔いのない50年でした。ですがこのお店が私の全てではないと思っています。店の無い今後の人生をどう生きるか、とても楽しみです。この先も悔いのない人生を送りたいです」とこれからについて明るく語ってくださった井上さん。

お店は閉めても、今までと違った立ち位置で馬車道、横浜に関わっていかれるそう。本当に愛情深いお方でした。

歴史のある「良い」レストランの最後を少しだけのぞかせていただけて本当に良かったです。感じることが多い取材でした。



取材を終えて



レストランに、こんなに心を動かされるなんて、今までなかった。ご自分たちのことだけでなく、横浜のことも考えて愛情をもってらっしゃることにハッとした。心が動きました。あたたかく取材をお受けくださった方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。


―終わり―
 

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  • 知りませんでした…相生が閉店してしまったとは、全く知りませんでした。さみしいです。24年前に結婚したのですが、実家での結納の時、父母が相生からの仕出しを注文しました。夫の両親が地方から上京してくるにあたり、何処かのホテル等で気疲れしながら食事するより横浜の老舗の料理を仕出しで、と考えたからです。結納当日は素敵な食器で美味しいお料理をご用意して下さいました。あれから24年お店を訪れなかった事を今更ながら後悔しています。とてもさみしいです。

  • メリーさんが相生のティールームでお茶をして、他の客が一緒のカップは嫌だと言われて。専用カップで提供したのは、ヨコハマメリーで書かれてますよね。気遣いも去るとこながら。また、メリーさんの歴史を語る一つが無くなりましたね。一度実際に行ってみたかったんですが残念です。

  • メリーさんが通っていたとは。結構いいもの食べていたんだな。入店お断りしていた店もあったというけど、専用のカップまで保存してあるなんて、客を選ばない精神はすばらしい。御代はちゃんと払えていたんだろうか、それなりに安定収入があったのかな?

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