かつて金沢八景にタカナシ乳業の牧場があったって本当?
ココがキニナル!
八景に高梨乳業の牧場があったと聞がいつ頃?そしてかわいそうな牛と京急が事故った時に、近所の住人が殺到してあっという間に牛の肉を持ち去ったという笑い話を聞くのですが、この噂はホント?(inagさん)
はまれぽ調査結果!
八景には1936(昭和11)年頃から1991(平成3)年まで、タカナシ乳業創業者の親戚にあたる方の牧場があった。牛と京急の事故は噂だった模様。
ライター:ムラクシサヨコ
金沢八景の高梨牧場
1991(平成3)年まで、金沢区(六浦・大道)と平塚で牧場を経営していた高梨俊郎(たかなしとしろう)さん。
温和なお人柄で牧場の思い出をいろいろと語ってくださった
高梨俊郎さんは、タカナシ乳業の創業者、高梨芳郎(たかなしよしろう)氏の甥にあたり、金沢八景で「高梨牧場」を経営していた方だ。
「高梨の一族はもともと千葉の鴨川に住んでいたのですが、東京湾を渡って三浦半島に移住したようです。今でも三浦半島には高梨の名前が多いんですよ。父の家では、横須賀市大津で、牧場を経営していました。父は三男で、1930(昭和11)年ごろ、大津の牧場から独立して金沢区の大道で自分の牧場を始めました。」
大道の牧場。写真に写っている木材は牛舎を建てるために用意したもの(時期不明)
広い! 牛がたくさんいる
その後、1956(昭和31)年には六浦(金沢区)、1960(昭和35)年に平塚と拡大。1946(昭和21)年生まれの俊郎さんは、子どものころ牧場で牛の乳搾りの手伝いなどをしていたという。
できたばかりのころの六浦の牧場
結構な数の牛がいる
「昔は機械がなかったですから、手で乳搾りです。昭和30年代まで、手作業でしたね。家には乳搾りをする担当の人が10人くらいいました。1年365日休まず、朝と昼の1日2回搾るんです」
1965(昭和40)年くらいまでタカナシ乳業に牛乳を卸していたそうだ。
六浦の次につくられた平塚の牧場
広大な敷地に建てられた牛舎
「1975(昭和50)年くらいに、家業を継ぐことになり、父と一緒に牧場の仕事をすることになりました。そのころから、乳牛をやめて、肉牛に換えていきました。乳牛のエサの高騰、子どもの牛乳離れによる値下がりなどが理由です。1982(昭和57)年に父が亡くなってからは、一人で牧場の仕事を続けました。一番多かった時で700頭いたんですよ」
俊郎さんは、牧場の仕事を続けたかったが、1991(平成3)年に牧場をやめた。宅地化が進み、ニオイ問題などがあって、続けられなくなってしまったのだという。
「昔は、大道も六浦も、何もない場所だったんですよ。ところが、牧場の周りにどんどん住宅が出来て、ニオイやハエの苦情が来てしまって・・・」
牛と人の共存は難しく、牧場は閉鎖。残念だが、時代の波の中ではしかたがないことだったのか・・・。
牛と京急の事故の真相
ところで、キニナルに投稿された牛の事故については、「足が悪くなった牛は牛舎の外に出して、健康のために土の上を歩かせるんですが、ある日、その牛が逃げてしまった。昭和60年ごろのことです。牧場は京急の線路と同じ高さにあったので、線路に入ってしまい、電車を立ち往生させてしまった。運が悪いことに、その日の最終列車で、最終接続の列車も遅れることになってしまい、170万円の賠償金を払いました。当時の170万というと、いまの500万円くらいでしょうか」。
牛は轢かれたわけではなかったそうだ。
現在、俊郎さんは、生ゴミ再生のリサイクル業の会社を経営している。社名は「高梨牧場」。愛着ある牧場の名前を残した。
業種は変わっても、名刺に「高梨牧場」の名を残している
「牧場をやっていたころから、食品会社から出る生ゴミを発酵飼料として使っていました。その経験を活かして、今、生ゴミのリサイクルを行っています。大手コンビニや食品メーカーの工場から、1日何百トンという量の食品が廃棄されています。それを飼料や肥料として再生させるだけでなく、最近はその肥料で育てた野菜を食品工場で使用する循環型リサイクルも行っているんですよ」
牧場はなくなってしまったが、牧場の名と、そこで培われた経験が、意外なところで生きていた。
取材を終えて
電話の問い合わせから、いろいろと調べてくださり、取材の段取りまでつけてくださったタカナシ乳業の広報の方には本当に感謝。おかげで牧場の貴重な話をたくさん伺うことができました。お忙しい中快く取材を引き受けてくださった高梨俊郎さんにも、感謝申し上げます。かつての「周りに何もなかった」というのどかな牧場の様子、見てみたかったです。
―終わり―
ぎんぞうさん
2016年09月04日 23時21分
私の小学生時代に確かにありましたね。現在の六浦南の八景霊園の横のマンションの下あたりに!風向き次第でニオイがすることも…懐かしい思い出ですね。
Ahrensさん
2016年05月29日 10時11分
六つ浦小学校時代、給食に高梨牛乳がいつも支給されていました。上級生が高梨牧場の取材をして、何かに掲載された記憶があります。六浦から逗子に車で行くとき、どこにあるのだろうと子供心にいつも思っていたのですが、看板も見つけられず、私には一体どこにあったのかわかりませんでした。恐らく、六浦駅から逗子に向かう最初のトンネルの手前のどこかだったと思いますが。今はある広大な農業のさかんな国に住んでいます。生まれ育った町の牧場見てみたかったです。
inagさん
2016年04月02日 15時17分
京急とタカナシ牛乳のたわいもない噂を取り上げていただき、取材までしていただいてありがとうございました。根も葉もない噂ではなく半分はほんとうだったんですね。でも事故った牛を金沢区民が寄ってたかってあっというまに肉にして持ち去ったという部分がデマでよかったです。そんなことがほんとだったら、もうどこかの国に頻発する報道ネタをゲラゲラ笑えませんものね。