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日本最古の小学校が青葉区にあるって本当?

ココがキニナル!

横浜市立奈良小学校は、明治元年にできた寺子屋が起源の日本でいちばん古い小学校だと聞いたことがあります。本当? また、横浜で最も古い建物が残っている小学校はどこなのかも知りたいです(bausackさん)

はまれぽ調査結果!

奈良小学校は日本最古ではないが、学制発布とともに開校した最初期の小学校のひとつである。また、市内で最も古い校舎が残るのは南区中村小である

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ライター:永田 ミナミ

松岳院にズームイン



Wikipediaの記述にあった、寺子屋が開設されたという瑞円寺を調べてみると、松岳院のサイトに末寺として「瑞円寺(奈良村・廃寺)」と載っているのを発見。残念ながらすでに廃寺になっていた。しかし、松岳院は、寺子屋開設から4年後の1872年、瑞円寺から移転した寺院である。翌1873年、その寺子屋をそのまま利用して小学奈良学舎が設置されたとある。

そこで、松岳院に問い合わせてみると「昭和初期の火災により資料等は残念ながら一切残っていない」ということだった。



1572年開山の古刹、曹洞宗大峰山松岳院


土地区画整理で山を削るなど大きく姿を変えたが山門は火災を免れ今日に至る


当時の住職はいまからおそらく5~6代前になるので寺子屋の話は伝わっておらず、現住職もこの情報は初めて聞いたという。瑞円寺は松岳院の末寺であり、年代は定かではないが廃寺になっているという点で辻褄は合うものの、事実確認できる証拠は焼失してしまっていた。

ただ、瑞円寺に奉ってあった「剣先地蔵」は現在、松岳院の本堂に奉られているということで見せていただいた。


左がその剣先地蔵。右は地蔵が納められていた厨子で元治元(1864)年とある


奈良小学校との繋がりは不明だが、かつて松岳院で寺子屋の先生をされていた人物の墓が松岳院にあるとのことで、寺子屋を開設していたのは間違いないようだ。「院」となっている寺院では寺子屋を開設していることが多かったという話も聞くことができた。


「明治十二年」とある「大信學道居士」の墓石


山門の横には「飯田先生」と書かれた大きな石碑もあった


奈良小学校は田奈小学校の分校だったという話も聞いたことがあると教えてくださった松岳院の住職から「資料が入手できたら拝見させていただけるとありがたいです」と言われ、何とか手がかりをつかみたいと調査を続行。

その後、再び奈良小学校に連絡をとると「インターネットに載っているらしく、同様の問い合わせが多いのですが、資料が残っていないため確認できないんです。もし事実であるなら誇らしいことなのですが」とのことだった。そして学校からも「何か資料が見つかったら見せていただけると」と言われ、一人で使命感に燃え、再び横浜市中央図書館に向かった。



わたしたちの町なら



前回は「日本最古の小学校なら大きく扱われているはず」と近代日本教育史に関する資料を探したが、見つけることができなかった。その後、奈良小学校からも松岳院からも最古説を支える情報は得られなかったことから、載っているとすれば全国資料よりも地域資料ではないか、と考えて書架へ。

事前に見当をつけていた『神奈川県教育史』や『横浜市教育史』などを引っ張り出していると『神奈川県の寺子屋地図』という資料が目に入ったので、それらを抱えて閲覧席についた。

残念ながら『神奈川県教育史』『横浜市教育史』に奈良小学校や松岳院についての記述はみられなかったが、続けて『神奈川県の寺子屋地図』を開くと、寺子屋一覧の緑区のところに以下の表を見つけた。


『神奈川県の寺子屋地図』に載っていたのは表1
*クリックで拡大


『日本教育史資料』は『神奈川県教育史』『横浜市教育史』でも頻繁にあがっていた資料だったので調べてみると8巻に掲載されていたのが表2である。比較してみると『日本教育史資料』にはない廃業年が『神奈川県の寺子屋地図』には記載がある。備考にはWikipediaに繋がる記述もある。

表1の「日本教育史資料ほか」の「ほか」にあたる資料はいったいどこに、と資料をもとの場所に押し込みながら途方に暮れかけていると、少し離れた書架に「小学校誌」の文字が見えた。急いでその棚に向かうと、区ごとの小中学校誌が並んでいて、青葉区のところに「創立25周年記念誌 奈良小学校」と書かれた『わたしたちの町 なら』があった。そしてこのなかにすべてが書かれていた。


発行は1979(昭和54)年3月10日であった


ようやくたどり着いた奈良小学校の資料は奈良小学校によってつくられたものだった。校長による冒頭の「刊行にあたって」では概史とともに記念誌作成について以下のような思いが述べられていた。


「学校の歴史や地域の生活の変遷を永く後世に伝えたい」という当時の思いがつづられている
*クリックで拡大


この思いは、教師の世代交代が進んだ学校や火災に見舞われた松岳院では途絶えかけていたが、横浜市中央図書館にしっかりと保管されていた。

記念誌には歴史についての解説や過去の教員や卒業生の回想録、年表などで構成されており、第三田奈小学校から分教場を経て1953(昭和28)年に独立するまでの奈良小学校の足跡が詳細に記されていた。


この墓石は26歳の若さで世を去った岩崎元一郎先生の墓だと分かり合掌


もうひとつの石碑は写真が記念誌にも載っていて、明治35年から昭和6年まで30年間、第三田奈小時代の教壇に立っていた飯田万吉先生のものであることも分かった。


背面には先生の功績を讃える言葉と「昭和六年 謝恩會」の文字が彫られていた


松岳院のあと、奈良村(のちに奈良町)に移転するまで小学校は北が谷戸に学校があったことも分かった(章末の年表参照)ので『土地宝典都筑郡田奈村地番反別目入図』をもとにその場所を探してみた。


北が谷戸845番と思われる場所はこどもの国の入口付近の丘右手あたりか


北が谷戸834番はこのあたり(奈良町864付近)だと思われる


バス停はこういったときに土地の歴史を残してくれる貴重な資料となり頼もしい


丁寧に書かれた詳細な資料のすべてを紹介することはできないが、奈良小学校の歴史を年表にまとめると以下のようになる。


小学校令改正や戦争など、学校制度は何度もかたちを変えて現在に至る
*クリックで拡大


校地と学校名の変遷を時間軸に沿って表すとこんな感じ*クリックで拡大




結論を出すとするなら


度重なる歴史の変化のなかで名前や場所が変わっているが、横浜市立奈良小学校は1868(慶応4/明治元)年に開設された寺子屋を起源に持ち、学制発布翌年の最初期に開校した小学校であることが確認できた。

ちなみにもうひとつ投稿にあった「横浜で最も古い建物が残っている小学校」は、横浜市教育委員会施設部に問い合わせたところ、南区中村小学校の校舎の一部だということが分かった。

「『横浜のチベット』と言われた長い時代を経て、今日では、東京、横浜郊外の静かな住宅街に変わりました」とは、記念誌に寄せられたPTA代表委員長の文章のなかの言葉である。この言葉に象徴されるように、奈良小学校周辺は戦後、大きく姿を変えた。

そしてその変化のなかで、記憶や記録は失われていき、記念誌以外ではほぼ見つけられない状況になっていた。それを思うと、記念誌に寄せた校長の思いと危惧はそのとおりであったし、PTA代表委員長の言葉を借りると「明治の時代からの変遷の歴史を、父母と教師の協力の中であとづけたささやかな試み」は非常に意義あるものだったといえるだろう。



日本で最初のということはできないが、奈良小の歴史は1868年の寺子屋にさかのぼる


資料が見つかったことを奈良小学校と松岳院に伝えると喜んでいただけた。いい報告をすることができてよかった。

最後に、奈良小を除いた藩校が起源ではない「現存最古の小学校」としては、前述の小千谷小、芦城小以外に明治元年に構想を公表し明治2年に開校した京都の番組小学校(制度)の上京(かみきょう)第二七番小学校、静岡県沼津市立沼津第一小学校がいくつかの資料であげられていた。

なかでも沼津第一小学校は、沼津に移住した旧幕臣が明治元年12月24日に徳川家兵学校に付属小学校を開設したということで、最も早い「公立小学校」といえるようだ。


―終わり―

参考文献
『小学校の歴史I──学制期小学校政策の発足過程』倉沢剛著/日本放送出版協会/1963(1989復刊)
『日本教育史事典─トピックス1868-2010』日外アソシエーツ編集部編/日外アソシエーツ/2011
『日本史小百科〈学校〉』海原徹著/東京堂出版/1979(1996新版初版)
『学校ことはじめ事典』佐藤秀夫著/小学館/1987
『改訂近現代日本教育小史』国民教育研究所編/草土文化/1973
「講座 日本教育史(第2巻)近世I/近世II・近代I』「講座 日本教育史」編集委員会編/第一法規出版/1984
『日本教育制度史』森秀夫著/学芸図書/1984
『日本教育史ー教育の「今」を歴史から考えるー」山本正身著/慶應義塾大学出版/2014
『日本の教育文化史を学ぶー時代・生活・学校ー』山田恵吾著/ミネルヴァ書房/2014
『近世藩校の綜合的研究』笠井助治著/吉川弘文館/1960
『藩校ー人を育てる伝統と風土ー』村山吉廣著/明治書院/2011
『近代教育の源流/藩校』教育問題編纂会/二十一世紀研究会
『神奈川県の寺子屋地図』高田稔著/神奈川新聞社/1993
『神奈川県教育史 通史編上巻』神奈川県立教育センター/1978
『神奈川の近代教育史の研究』永野勝康著/社会評論社/1999
『横浜市教育史』横浜市教育委員会編/発行/1976
『日本教育史資料(8)雑纂 私塾寺子屋表 上』/文部省編/発行/1890-1892
『わたしたちの町 なら 奈良小学校創立25周年記念誌(わたしたちの奈良)』「わたしたちの奈良」編集委員会編/発行/1979
『土地宝典』都筑郡田奈村地番反別地目入図/神奈川県立公文書館デジタルアーカイブ

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  • 「わたしたちの町 なら」はよく覚えています。うちのばあさんの家の柿の木が話題になっていたはず。大変に貴重な記事に、感謝いたします。

  • 近所に昔から代々住んでいる者です。北ケ谷の校舎はここの写真にあるバス停の反対車線側のバス停より右に20mのところに草がぼうぼうで見えなくなっておりますが、階段があり、その上にあったと聞きます。校舎と狭いながらも校庭があり二段になっていたようです。写真にあるこどもの国付近ではありません。その後こどもの国線の線路沿い(北ケ谷バス停から近いこどもの国駐車場のあたり)に移転しました。

  • 自分が昔住んでいた、緑区中山の大蔵寺も古く、昔は寺子屋であり、一時尋常小学校だったか、尋常高等小学校だったと聞きます。

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