検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

  • 36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!
  • 神奈川県内の横浜家系ラーメン店がどこにあるか地図からすぐわかる!横浜の観光情報「よこはまっぷ」
  • イベント開催、店舗オープン、新商品発売などリリース情報を配信したい方へ
  • はまれぽ.comにあなたのお店・会社を無料で掲載しませんか?

横浜駅近くにあった米軍のパン工場「横浜QMベーカリー」とは?

ココがキニナル!

金港町一帯に1977年まであった米軍のパン工場。匂いの記憶はあるものの、風景の記憶が失われています。ミルクプラントの写真などは残されているのですが横浜QMベーカリーの写真を探して頂きたい(のぼさん)

はまれぽ調査結果!

1977年まで米軍の接収地だった場所に「横浜ベーカリー」があった。1日4万枚の食パンを製造し、日本人従業員が働いている写真を発見!

  • LINE
  • はてな

ライター:橘 アリー

「横浜ベーカリー」とは



接収地にあった「横浜ベーカリー」は、1977(昭和52)年に接収地の返還が完了しており、年月も経っているため、ほとんど資料が残っていないという。

パンの製造工場である「横浜ベーカリー」があった場所は、現在の神奈川区金港町になり、横浜駅の「きた東口」から200メートルほどの場所だったそう。

 

赤四角が「横浜ベーカリー」があったという場所
 

「神奈川ミルク・プラント」同様、「横浜ベーカリー」も運営していた正確な時期は分からなかったが、「横浜ベーカリー」があった場所の接収が始まったのは、1946(昭和21)年4月25日。それ以前は、そこがどのような場所だったのかは不明とのこと。また、接収地の土地面積は6174平方メートル(市有地1654平方メートル、民有地4520平方メートル)だったという。

「神奈川ミルク・プラント」は沖縄以外の全国に乳製品を供給していたが、「横浜ベーカリー」は横浜市内及び神奈川県下の米軍部隊とその家族に食パンなどを供給するためのものだったそう。

当時の写真については、基地対策課には無いとのことだったが、横浜市史資料室の資料から写真を発見することができた。

 

1949(昭和24)年当時の「横浜ベーカリー」。米国国立公文書館資料(提供:横浜市史資料室)
 

上記の写真は、日本人従業員が食パンをスライスして包装している写真だ。「横浜ベーカリー」では、1日に4万枚のパンの生産が可能だったとのこと。

「横浜ベーカリー」の接収地は、横浜駅に近い立地ということもあり、横浜駅周辺の再開発計画に必要とされる可能性もあった。そのため、民有地も多く含まれていたことから、民間からの強い返還要望があり、接収を解除する要因のひとつになったという。

1949年(昭和24)年1月11日から、「横浜ベーカリー」があった接収地の接収解除が段階的に始まり、完了したのは1977(昭和52)年9月9日のこと。その間に、横浜市は防衛庁へ返還の要望を、1976(昭和51)年5月と1977(昭和52)年2月に2回行っているという。そして、接収解除完了とともに「横浜ベーカリー」の姿が消えることになった。

基地対策課では、これ以上の内容は分からないとのことだった。
では、現在の様子を確認することに。

 

国道1号線側から見ると、赤丸の辺りが「横浜ベーカリー」があった場所
 

現在は、背の高いビルが建ち並んでいて、「横浜ベーカリー」があった名残は無い。

 

線路側から見ると左側のマンションのあたりに「横浜ベーカリー」があった
 

こちら側にも、「横浜ベーカリー」があった名残は何も無かった。
しかし、古い明細地図を調べると・・・

 

1964(昭和39)年の明細地図※クリックして拡大

 

赤丸が「横浜ベーカリー」で、青丸が「かしわぎ」という製菓問屋さん。
「横浜ベーカリー」があった当時からある「かしわぎ」という会社は、現在も同じ場所にある。

 

「かしわぎ」の全景。「横浜ベーカリー」はすぐ後ろにあった
 

「かしわぎ」で「横浜ベーカリー」があった当時について伺ったが、残念ながら、当時の様子を知っている人はもう居ないとのことだった。そして、現在は地域の自治会も解散していて、この周辺には古いことが分かる人はいなかった。

最後に、再び「横浜ベーカリー」の写真を資料から探してみた。

 

1965(昭和40)年ごろの空から見た横浜駅周辺(提供:横浜市史資料室)
 

写真の左端の赤丸が、「横浜ベーカリー」の建物だった。



取材を終えて



残念ながら、「横浜ベーカリー」の多くの写真を見つけられなかったが、4万枚の食パンを1日に製造できる規模のパン工場だったということが分かった。
キニナル投稿にあるよう“パンを焼く匂いが充満していた”という様子が浮かんでくる。当時の人は、こんがり焼けたパンの匂いをいつも嗅いでいたのだろうか。

もし当時の様子を知っている方がいたら、ぜひコメント欄にエピソードや思い出などを投稿していただけたら嬉しいです。


―終わり―
 
 

この記事どうだった?

  • LINE
  • はてな
コメントする
  • こちらに「神奈川ミルクプラント」と思われる当時の動画があったので貼っておきます。https://www.youtube.com/watch?v=xEr3B6SfxiQ&index=6&list=FLAB_WqVirsjMKqGrPfMzVNQ&t=1128s動画タイトル「Code of Conduct, Blood, Yokohama Dairy, Atomic Reactors ~ 1957 US Army; The Big Picture TV-376」当時はアメリカ本国からミルクパウダーを持ち込んで、日本の工場で加工して牛乳にしていたようですね。

  • すみません、前期「旧横浜駅」の記述は、「旧神奈川駅」の誤りでした。まぎらわしいのです(のぼ)

  • その後、米軍ベーカリーの写真を数点見つけることができました。『横浜市の昭和』(いき出版)の156ページには、高島台(本覚寺の裏辺り)から横浜港を見下ろしたS30年代の写真がありますが、画面左外が青木橋。画面右外が横浜駅。ほぼ中央にかつての丸十百貨店。中央手前の東海道線線路脇は旧横浜駅の跡地ですが、右端の白く写る建造物群は、まごうこと無くベーカリーであります(のぼ)

もっと見る

おすすめ記事

返還が決まった「上瀬谷通信施設」の今後はどうなる?

横浜駅から20分の場所で非日常を満喫。家族旅行やみなとみらいの観光にオススメな、横浜唯一の料理旅館

  • PR

パン発祥の地・元町近辺にある個性的なパン屋さんはどこ?

横浜を愛し、横浜を作り、横浜を育む、横浜型地域貢献企業認定の建築事務所「有限会社安田建築事務所」

  • PR

逗子の米軍住宅地区が一部開放、「池子の森自然公園」とは?

子どもの放課後をもっと楽しく、もっと有意義に!保土ケ谷区の民間学童保育「マックス・キッズ・プラザ」

  • PR

クリスマス激シブ暴走デート・横浜「生麦駅前通り商友会」編

ステッカーの制作現場に潜入! ノベルティや看板の制作なら井土ヶ谷の「株式会社グランド」

  • PR

こんな記事も読まれてます

2016年GW初日の横浜の様子をレポート!

アド街でも取り上げられた「横浜駅」周辺の記事をピックアップ!【編集部厳選】

横浜市民が東京にあこがれない理由は?

【編集部厳選】「陸の孤島」なんて言わせない! 古き良き街・本牧特集!

有隣堂 週間BOOKランキング 11月23日(日)〜11月29日(土)

【GW直前特集】GWに横浜をもっと楽しみたい!

グランプリ開催中! ビーチで発見!キニナル水着女子2015【江の島海岸編 第2弾】

クリスマス激シブ暴走デート・横浜「生麦駅前通り商友会」編

新着記事