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湘南モノレールとドリームランド線はどこまで延伸する計画だった? 湘南モノレール編

ココがキニナル!

湘南モノレールは江の島本島までをつなぐ計画で、さらに大船駅から延長するはずだったらしい。真相を調査してください(狐猫さん)

はまれぽ調査結果!

湘南モノレールは鎌倉山や江の島本島に駅を作る計画などがあったが周辺住民の反対により実現しなかった

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ライター:小方 サダオ

本来の終着点は江の島本島だった?(つづき)


 
続いて終点になるはずだった江の島に向かった。
 


多くの観光客が江の島へと向かう

 
江島神社へと続く仲見世通りでは、平日の昼間にもかかわらず多くの観光客でにぎわい、それに混じってテレビカメラなどを構えたマスコミ関係者の姿も見える。江の島名物を紹介するタレントのリアクションが、販促に一役買っているようで、そんな店には観光客が列を作っていた。
 


仲見世通り
 

江島神社の入口

 
そこで行列のできている人気店の初老の女性に伺うと
「駅の建設についてはすばな通り商店街が反対したと聞きました。私たちとしてはお客さんを直接運んでくれて便利なので、通って欲しかったです」という。

仲見世の入口の店の若い男性店員からは
「乗客がすばな通りを通って本島に来てくれるのならば、どちらの場所も経済的に潤わせてくれることになり、江の島全体の発展につながるので、本島にモノレールの駅が出来なくて良かったのかもしれません」とのこと。
 


海岸沿いに延びる国道134号線をくぐる地下道

 
やはり仲見世通りの人たちからは、すばな通り商店街の話が多く出た。

そこで仲見世通りからひっそりとした裏路地に入った、あるお店の店主に伺うと意外な話が聞けた。
「モノレールの駅は山の上に出来る予定だった。晴れた日には富士山を見ながら江の島に乗り入れることが出来て、素晴らしい景観だったと思うよ」

「しかし江の島の仲見世通りの店から反対の声があったんだ。山の上に駅が出来ると、参道を通らないで直接山の上にある駅から帰ってしまうから客の流れに影響するということだったらしいよ」
 


裏路地には住宅が多く並ぶ

 
「またここは正月やゴールデンウィークは混雑で参道は動けなくなり、大変な状態になる。そこで数年前から警察官が裏の道を使って山を下りるように誘導をして、普段は人通りの少ないこの裏通りも混雑するようになるんだけど、仲見世の人たちは少しでも多くの人に通ってもらいたいから『それは営業妨害だ』というんだよ。

江の島の人たちは島根性で自分たちの世界を持っているから、勝手なことをいう人が多いんだよ」という。
 


混雑時に観光客が誘導される裏道
 

混雑時は仲見世が危険な状態になるため観光客を裏道に誘導するという
 

裏路地の店にも客の姿は見られ、人気店もあるようだ

 
続いて路地の奥にある店の店主に伺うと
「仲見世の人たちの中には力を持った観光協会の会員がいたりして、そんな人たちは変化を嫌うんだよ。エスカーが出来た時も、観光客が山道を歩いていたときは参道の途中にあった店も繁盛したけれど、エスカーで通過する客が増えたため、つぶれる店があったりして問題になったよ」
 


エスカーは山道にあった店の客を少なくさせてしまったという

 
「江の島は漁師町で、昔はみんなで漁に出て魚を捕る生活で団結した感じだったけど、漁師から飲食店などの商売人になってからどれだけ客を取れるか、という競争になって闘争心むき出しの嫌な雰囲気になってしまった」

「仲見世では流行りものの"しらす"や"たこせんべい"とかに力を入れているようだけど、漁師町なら旬の魚を売りにするべきだよ」とのことだった。
 


駅の建設は本島やその周辺の人たちに関わってくる大きな問題だ

 
すばな通り商店街だけでなく、本島からも反対意見が出たようだ。観光客の流れを考えると、鉄道の駅舎を作ることは多方面からの利害の一致が必要で難しい計画といえるようだ。
 
 
 

複雑な経緯を経て開通した湘南モノレール


 
湘南モノレールにはどのような歴史があるのだろう。またモノレールが上を通るようになった前出の「自動車専用道路」とは何なのかもキニナッた。
その歴史は、湘南の海沿いを走り親しまれている江ノ電の歴史からはじまる。
 


昔から大船駅と江ノ島方面を結ぶ計画があった

 
『江ノ電百年物語』によると
「藤沢~片瀬間に江ノ電が開通したのは1902年(明治35年)9月1日。1910年(明治43年)11月4日に藤沢~小町間が全面開通した。

しかし1911年(明治44年)10月3日、電力会社の横浜電気株式会社に買収され、横浜電気株式会社片瀬出張所(江之島電気鉄道部)となり、江の島電気鉄道株式会社は一旦消滅する。

1926年(大正15年)7月10日、 江ノ電の母体となる東海土地電気株式会社により、江ノ島電気鉄道株式会社が再び設立された。経営体制が積極的で、『新江ノ電』計画として大正15年9月30日、大船~江ノ島(片瀬)~茅ヶ崎間の構想を出した」
 


「新江ノ電」の計画した大船~片瀬間の路線

 
「測量・用地買収が進んでいたが、経済環境の悪化で鉄道開設は実現しなかった。湘南モノレールがたどる車道こそ、かつて江ノ島電気鉄道が計画した大船~片瀬間の軌道ルートである。
1930(昭和5)年5月12日、この路線の敷設権は、『日本自動車道株式会社』に譲渡。そのため江ノ電は現在の藤沢~鎌倉間に専念することとなる」

「しかしいったんあきらめたものの、1948(昭和23)年5月25日、江の島~腰越、津~深沢~大船ルートを申請。新線が計画された。当時の国鉄大船駅に乗り入れ、東京~江ノ島間の直行運転を狙ったものだが、横浜駅と大船駅を結び競合する形となる国鉄根岸線の新設などがあり中止となった」とある。
 


1948(昭和23)年に申請された大船線の路線図(青矢印)

 
藤沢駅と鎌倉駅を弧を描いて走っている江ノ電が、大船駅までの鉄道敷設を考えていたのだ。
その路線は、のちに現在の湘南モノレールがたどる道路、「自動車専用道路」となる。
 


藤沢駅と鎌倉駅間を結ぶ江ノ電(青矢印)と大船駅(緑矢印、Googlemapより)

 
次に、この路線が譲渡された日本自動車道株式会社について、『江ノ電の100年』によると
「江ノ島電気鉄道の経営に関わっていた菅原通済(すがわら・つうさい)は江ノ島電気鉄道の出資で日本自動車道を設立。大正末期、江ノ島電気鉄道の大船線(前出の路線)と競合する大船・片瀬間に自動車専用道路を計画し、1930(昭和5)年8月24日に開通した。1931(昭和6)年7月4日に大船~片瀬間の乗合自動車(路線バス)事業を開業した」
 


日本自動車道を走る路線バス

 
「日本自動車道はその後、湘南半島自動車という会社を経て、現在の京浜急行電鉄に吸収合併され京浜急行電鉄として同社バス路線となっていたが、現在は鎌倉・藤沢両市に譲渡され、一般道となった」という。

江ノ電の関連会社により、同路線を自動車専用道路とし路線バスの路線に変えたが、その後一般道となったのだ。

続いて、湘南モノレールの歴史に関して『江ノ電懐かしの電車名鑑』によると
 「昭和40年前後はモノレール開発競争が盛んだった。軌道をまたぐ跨座(こざ)式と軌道にぶら下がる懸垂(けんすい)式がある。三菱グループはアメリカの日本エアウェイと技術提携しサフェージュ式(レールから吊り下げるタイプ)を開発。このデモンストレーション場所として日本自動車専用道路上のモノレール建設が最適とされた」
 


湘南モノレール(青矢印)と江ノ島電鉄(緑矢印)

 

湘南江の島駅の先に片瀬駅(青矢印)を計画していた

 
「1970年(昭和45)年3月、大船~西鎌倉間開通。1971年(昭和46)年7月、西鎌倉~湘南江の島間が開通したが、その先の片瀬までの延長は、一地権者が法外な買収値段を要求したのであきらめ、湘南江ノ島駅を終点とした。また湘南海岸を経由して茅ヶ崎まで延長する計画があった」という。

『江ノ電懐かしの電車名鑑』では、本島への延伸に関しては一地権者の要求が原因だとあるが、前出のようなさまざまな理由で駅の建設は中止になったのかもしれない。また計画図には駅は本島の手前に位置していて、前出の「本島の駅」について記述はないが、いくつもの案が上がったのではないだろうか?
 


大船駅の手前を走る湘南モノレール

 
現在湘南モノレールの走る路線は、大正時代からの江ノ電による鉄道敷設にはじまったもので、最初は鉄道が通る予定であったが自動車道となり、その後道路上をモノレールが通ることとなったのだ。
 
 
 

取材を終えて



モノレールは道路上や住宅地のそばを走ることもあり、周辺住民や施設との距離が近く、その存在が影響を与えやすいといえる。地域に密着した交通機関のため、周辺住民に愛される存在になり得るが、駅建設などの場合には周辺住民の反応が敏感になりやすいといえよう。
 


モノレールは渋滞知らずの身近な交通機関といえる

 
 

―終わり―
 

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  • 近年出た『湘南モノレール50年の軌跡』では、鎌倉山付近のルートについては「桜並木が切られることに対する風致上の反対」も書いてあるが、それ以上に「勾配とカーブの問題」とされている。「トンネルの中に駅を造る計画に変更」という話は出ないし、技術的にも明らかに難しい。終点については、地権者との交渉難航などで計画が何度も変わっているが、計画の最初から一貫して終点は片瀬で予定されており、江ノ島まで伸ばす話は全く出てこない(海上の強風に対する安全性などを考えても計画されていたとは思えない)。「モノレールの駅は山の上に出来る予定だった」という話は限りなく信憑性が薄く、地元の人だからといって企業の内幕についてまで詳しいとは限らないという話だと思う。

  • 戦前に江ノ島頂上と陸地をロープウェイでつなぐ計画があったそうですが、強風などの影響で中止になったと文献で読んだ事があります。江ノ島頂上までモノレールが通ったら、自然への対策も大変だったかもしれません。

  • 昔話です。できて間もない片瀬江の島駅に、海の上行くモノレールの想像図が飾ってありました(一方、大船駅(ルミネ建設で消えた階段)には、都市計画が実現した未来の大船の街とモノレールの絵。いまだに未来の大船は実現してませんが)子供の私はなぜここで止まってるのか親に聞いたら、地元の人が反対したからと聞いて納得してました。当時は割と有名な話だったと思います。こんなのもhttp://www.enopo.jp/saijiki/2044-2009-09-20-15-08-27.html

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