日本初の公衆トイレが横浜にあったって本当?
ココがキニナル!
日本で最初の公衆トイレは横浜に作られたという話を聞いたことがあります。当時どんな様子だったのか、その場所に今も何か残されているのか気になります(イルカさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
設置は1871(明治4)年。当初、利用者は少なかったが徐々に認知された。現在はかつての設置場所を特定することは困難。
ライター:細野 誠治
日本初を探して
では日本で最初に作られたトイレ、路傍便所のあった場所は今どうなっているのか?
この問題を解決すべく、横浜開港資料館の学芸員の方に話を聞くが「わからない」という答えが返ってきた。
先の「横濱港小便所分配箇所」を見ればわかるが、所在を知らせる記述が“**町*町目*側”と、いたってアバウトなため、現在の住所に当てはめることが非常に困難であるということ。
一部の情報によれば「横浜・開港広場にある公衆トイレが日本初!」とあるのだが、場所の完全な特定にお墨付きを出せないという。
横浜開港資料館前の開港広場
開港広場にある公衆トイレ
関東大震災、空襲による市街の焦土化、都市開発によって行われる道路の拡張や配置転換、地中上下水道のライフラインの変更といった、さまざまな要因によって、かなりのズレが見込まれてしまうそうだ。
そんななか、唯一当時の様子がうかがい知れる写真を一点だけ見つけることができた。
左端下にある建物がトイレと思われる(「横浜の清掃事業120年のあゆみ」より)
写真は、手前に弁天橋、奥に旧横浜駅(現:桜木町駅)の古い建物が写っているもの。左端にある建物に屋根が見受けられることから、初期の路傍便所に改良が加えられたタイプだと思われる。
これは重要な手がかり! ぜひとも現在の同じところに行ってみよう!
もうすぐ日本初の場所に立てるか? 心躍らせ弁天橋へ。
現在の弁天橋
今ある建物の影響はあるものの、似た構図の場所に立ってみる。
これが現在の弁天橋際
比べてみると・・・
おぉっ!
では実際に何か残っているのか・・・
橋を背に通りを見たところ。無い・・・
奥に弁天橋を望む構図。無い。街路樹の辺りのはず
橋の上から問題の箇所を見るも・・・
残念ながら唯一写真に残っていた路傍便所は、統廃合されたのか失われてしまっていた・・・(ちなみに、対岸の桜木町側には関東大震災後に建てられたと思われる公衆トイレが存在する)。
取材を終えて
はるか昔、確かにそこにあったはずの場所に、抱きつけるほどの街路樹が立っている風景は、どうしようもなく時間の経過を感じさせられた。日本初の場所に、連綿と同じ場所に建つ公衆トイレは見つけることができなかった。唯一、当時の場所を特定できた箇所も、現在はトイレが設置されてはいなかった。
街は常に変化をしてゆく。昨日まであったものが消え、新しい何かが建つ。気が付くと以前の姿が思い出せなくなる。それの繰り返しだ。時間の流れが切ないというなら、そうなのだろう。
今回の取材、難航したものの不思議な充足感がある。公衆トイレの初めては「居留区からの苦情」がきっかけだったものの、作られたのは紛れもない善意(おもねりもあっただろうが)だ。
考えてみれば日本の公衆トイレは世界的に見て数も多く、きれいなほうだ。し尿が金になったとはいえ、創意と工夫がある。140年以上前の出来事ながら、汚れ仕事だが近代化へと突き進む日本人(横浜人)の挟持に触れた気がした。
この取材、受けて良かった。そんな気持ちがする。
先人に感謝。そしてトイレの神サマにも・・・感謝!
―終わり―
夏兒さん
2014年12月28日 17時49分
近代的な常設の施設としては初でしょうが、ここに用を足せますよ、と桶と目隠しがある程度の設備のものは江戸期からありますね。初期の三越がライバル店によってこれを近くに作られる嫌がらせ受けたなんて話もありますから。横浜のこのトイレ、元町中華街駅にも写真があったような。
野毛丸さん
2013年05月14日 21時19分
今の弁天橋にある便所は1988~89年に建て替えられたものですよ。それ以前はくみ取り式のかなり古めかしいものでした。場所も今より駅寄りだったような…。昭和初期からのものは弘明寺、一本橋、八幡橋、霞橋、鶴巻橋などに残ってます。
ushinさん
2013年05月05日 17時47分
「おおっ!」って、無いんかいw でもこういう近代産業遺跡みたいな系統の記事は好きなんで面白く読ませてもらいました。