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大船方向に向かう途中の「関谷インター」、一般道なのに「インター」と呼ばれているのはなぜ?

ココがキニナル!

国道一号線の「影取町」交差点から大船駅方面に向かう道の途中に「関谷インター」があるのですが、料金所が無く高速道路でもない一般道路なのになぜ「関谷インター」という名前なの?(かまっこさん)

はまれぽ調査結果!

「関谷インター」という場所は存在しない! 正式名称は「関谷陸橋」。インターチェンジと形が似ていて通称となった。バス停の名前にもなっている。

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ライター:すがた もえ子

周囲の方への聞き込み開始!



それでは関谷インターの近くにお住いの方だったらなにかご存じないだろうか。
 


しかしあいにくの雨・・・!


取材に訪れた日は雨が強まったり弱まったり、時折横殴りに強い風が吹き付けたりと、街頭でインタビューするにはかなり向かないお天気だった。当然ながら歩いている人がいない。

さて、どうしよう・・・。
雨の中しばしたたずんだ筆者は、ご近所のお店の方にお話を伺うことにした。しかしお昼をすぎたこの時間、食堂などはすでにのれんをしまってしまった後。

ほかに開いているお店は・・・とさまよっていると、外壁工事をしていた建物の1Fに営業中のお店を発見! お店の中に人がいたので、ここは迷わずお話を伺ってみる。
 


関谷インター側にある「アクセス サーフレージ」


関谷インターのお話を伺いたいとご挨拶すると「僕は茅ヶ崎出身なので、昔のこのへんのことは分からないんですよ」と、店長さん(顔出しNG)。それでは関谷インターが実は正式名称ではなく「関谷陸橋」が正式名称だということはご存じかと聞いてみた。

すると驚かれた様子で「タクシーでもなんでも“関谷インターまで”って言えば通じるし、知らなかった」というお答えが。
 


おしゃれなサーフショップだった


「古くから住んでる人だったら知ってるんじゃないかな」と、いくつかのお店を教えていただいた。特にお酒屋さんのおじいさんなら詳しく知っているはずだという。
 


教えていただいた「萬屋(よろずや)酒店」


関谷インターの歴史について教えてくださいとお願いすると、快く応じてくださった。

萬屋酒店は1934(昭和9)年からずっとこの場所で営業しているといい、昭和30年ごろは100世帯ほどで90パーセントが農家だった。関谷インターができる前はこの辺りは畑や田んぼばかりで、低い位置にある土地はほぼ田んぼだったという。
関谷インターができてからは住む人も増えて、現在では1000世帯ほどに増加したのだそうだ。
 


この辺りは田んぼだったのか!?


1年ほど前にお店をリニューアルしたそうで「写真をどこかにしまってしまったんだけど、関谷インターを建設する時にジャッキで家を持ち上げて移築した写真とかあったよ」という。しかもそのお宅はまだ健在なのだとか!
お写真を探してくださったのだが見つからなかったため、お礼をいってお店を出た。
 


強い風で工事中のサーフショップのシートがなびいている


あいかわらず外を歩いている人はいない。ひとまず移築したというお宅を見てみることにした。教えていただいた付近へ到着すると、それらしいお宅を発見。
アポなしの上このお宅で合っているかも分からなかったが、とりあえずお話を伺えないかとお庭をのぞくと人の姿が見えた。

ご挨拶をして関谷インターの歴史を調べているとお伝えすると「移築した家? ここですよ」という答えが! しかし詳しく知るご主人が外出したばかりという。後ほど電話でお話を伺えるということで、お約束をして失礼した。



移築したというお家とは



関谷インターの工事に伴い、ご自宅を移築したという落合さんのお話をお電話で伺うことができた。「関谷インターの橋桁(はしげた)の工事でね、家を新築したばかりだったのに建設予定地にひっかかっちゃって」と当時のことを語ってくださった。
 


曳家(ひきや)工事のイメージ(写真Hikiyaokamoto:Wikimedia Commons)


「今だったら解体して立て直すんでしょうけど、当時は家を建てたばかりで。近くに自分の土地があったので、曳家(ひきや)さんを頼んで移築をしました」と落合さん。

今でこそ少なくなったが、昔は「曳家(ひきや)」という、建物を移築する専門の職業の方が多かったよう。関谷インターの工事に伴い移築したのは落合さんのお宅だけだったとのこと。1971(昭和46)年のことだった。

関谷インターが「関谷陸橋」というのはご存じで「あの形でしょうね。立体交差の場所なので、周りがインターと呼び出したんだと思いますよ」と教えてくださった。

やはりあの形から周囲の人が自然と「インター」と呼ぶようになったようだ。



取材を終えて



「関谷インター」というのになぜ高速でなく一般道なんだろう、ということからはじまった調査だったが、調べてみると正式名称は「関谷陸橋」で、よく使われている「関谷インター」が通称という驚きの結果となった。

これから関谷インターの側を通る際は、ぜひ「関谷陸橋」という名前も一緒に思い出してほしい。

―終わり―
 

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  • YAHOO地図では「関谷IC」と記載されていますよ。 https://yahoo.jp/y1wbFC  私は世田谷ですが、湘南方面のナビを計画中に見つけて「あれ?こんなところに高速が開通した?」って、ちょっと驚きました。

  • 通りすがりの者です。子供の頃近くに住んでました。関谷からJRの山崎跨線橋に向かう道路は県の都市計画では北鎌倉の山を抜けて由比ヶ浜に至る(!)由比ヶ浜関谷線という道路計画の一部です。浄化センターのT字路はさらに先に伸びることになってます。伸びた先の小袋谷周辺にも従来の道とつながる「インター」ができる予定でした。今もこの計画は正式には廃止されてません(今の状況で誰もできるとは思っていないでしょうけど)。一方、関谷周辺は早くから立体交差だけは建設が進み最初から「関谷インター」でした。古い道路とは違う都市計画の道路の入口として整備されたために幻のインターとともにそう呼ばれ今も残っているものと思います。大船の古い人はご存じと思いますよ。

  • 近所に住んでいます。まさかこんなHPに掲載されるとは...(笑)。ここは昔から「関谷インター」の名で知れてしまっているので、地元に住んでいても「関谷陸橋」と呼ぶ方はいませんよ。確かに初めて通る方から見れば「インター」と思われてもおかしくない立派な構造をしてます。萬屋酒店さんの前を走る県道312号(横浜藤沢線)は当初、横浜市港南区丸山台から港南区上永谷・戸塚区舞岡町・栄区飯島町・鎌倉市関谷・藤沢市片瀬を経て国道134号鵠沼海岸へ繋がる、立派な「主要幹線道路」となる予定なんです。工事は相当難航してるそうですが。この関谷インターは湘南海岸から国道1号線へと繋がる大事なポイントとして作られたのではないでしょうか。ちなみに関谷インター停留所の旧名は関谷停留所だったそうですが、現「関谷」停留所はひとつとなりのバス停留所になっています(大船39系統/大船駅〜田谷経由〜清泉女学院)。

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