【探訪】令和に生きる横浜の銭湯Vol.3 ―西区中央・朝日湯―
ココがキニナル!
横浜市西区内で今なお経営する昔ながらの銭湯はわずか4、5軒になってしまった。それでもどっこい生き抜く貴重な現場。横浜銭湯シリーズ第3弾は果たしてどんなところか?!(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
2本の国道が交わり交通量の多い西区中央。だが路地裏に入ると、下町情趣あふれる老舗銭湯「朝日湯」がある。時としてそこから和太鼓の音が響く。店主は無形民俗文化財・杉豊太鼓の代表でもあった。
ライター:結城靖博
西区中央沿いの大通りは、国道1号線と16号線が交わる、終日車の往来が激しい場所だ。
けれども、ちょっと裏通りに足を踏み入れると、そこは意外な表情を見せる。古い寺社や小学校、公園、そして今も元気な昔ながらの商店街。
今回探訪する「朝日湯」は、そんな一角の中に戦後間もなくから続く老舗銭湯だ。
朝日湯の場所。国道の裏は住宅地だ
まずは銭湯周辺の様子から見ていこう
朝日湯の最寄り駅は、横浜から一つ目の京浜急行線戸部(とべ)駅。
この駅から徒歩10分程度
戸部駅前の大通りは、国道1号線と16号線が部分的に重複する区間だ。
それゆえ、とりわけ車の行き来が絶えない横浜の主要幹線道路のひとつ
だが通りをしばらく左に進んで、中央一丁目の交差点を左折すると
大通りの一筋裏には民家が並ぶ
その先左手には戸部公園のグラウンドが広がり
公園の少し先を左折すると、やはり民家にはさまれた曲がりくねった道
その道を進むと左角に小学校の建物を発見
横浜市立西前(にしまえ)小学校だ。その交差点を右折すると・・・
やがて右手にいかにも銭湯らしき屋根が
ジャ~ン! 朝日湯に到着
左側にはコインランドリーとささやかな喫煙スペースも
店構えは実に風情がある。ただこの店もやはり、これまで取材してきた銭湯と同じく、周囲は大きなマンションに囲まれている印象だ。
取材の約束時間までまだ時間があったので、少し店の周辺を探索してみることにした。
角に西前小学校がある曲がりくねった道に戻り、さらにその先を行く。
すると、商店街と思しきものが見えてくる
藤棚商店街だ。突き当たりの商店街通りを右に進んでいくと、「藤棚一番街」のアーケードが長く続いていた。
藤棚一番街は現役バリバリの商店街だ
商店街の脇道を入ると、すぐそばに古刹・願成寺(がんじょうじ)がある
戸部公園に戻ると、敷地の向こうにやはり古風な建物を発見
こちらも由緒ある杉山神社。ただし社殿は現在大改修中だった
杉山神社と逆側の戸部公園向かいには西前小の正門があり
西前小正門の斜向かいには西区役所がある
西区中央という市街地中心部にありながら、近隣は豊かな歴史と生活感を漂わせていた。そんな朝日湯へあらためて足を運ぶ。
いよいよ朝日湯の建屋の中へ!
玄関の可愛らしいが年季の入ったのれんを潜ると
建屋内の入り口はこんな感じ
入り口脇の下足箱はもちろん木札錠
ガラス戸を開けて、まずは男湯脱衣所に潜入。
中央にデンと据えられた木製ロッカーに風格が漂う
こちらは女湯。鏡台側に飾られた人形が目を引く
そして格式ある銭湯に欠かせない格天井(ごうてんじょう)
受付もやはり昔ながらの番台形式
だがよく見ると、番台が椅子側に引き寄せられ、座れないようになっていた。
近づいてみると番台の中央がアクリル板で仕切られている
これは、新型コロナウイルスの感染防止対策だった。今は臨時に、アクリル板越しに料金の受け渡しをしている。
番台のそばには除菌スプレーと体温計も置かれていた
「なんとしても感染者を出してはダメだから。一ヶ所でも出れば地域の銭湯全部に迷惑をかけることになるので」
そう力強い口調でおっしゃるのは、横浜市浴場協同組合の西支部長でもある朝日湯二代目店主、菓子田卓也(かしだ・たくや)さんだ。
朝日湯を切り盛りする菓子田ご夫妻
卓也さんは今年76歳、妻のマリ子さんは71歳。1951(昭和26)年に伯父さんが開業した朝日湯に、卓也さんが石川県から丁稚奉公に来たのは1959(昭和34)年、わずか16歳の時だった。
「小僧から始めて三助(さんすけ)・番頭と修業を積んで、10年後に朝日湯を伯父から引き継いだんです」
卓也さんが修業に入った頃の銭湯の様子は「そりゃもう、芋洗いみたいでしたよ」という。
昔から近隣は戸建ての民家やアパートが多かったが、アパートに風呂がないのは当然だったし、戸建ての家でさえ風呂を持たない家庭が少なくなかった。
脱衣所には定番の体重計が。かつて多くの人がここに足を載せたのだろう
だがやがて周辺の下水道整備が進み、水洗トイレとともに家風呂も設置する民家が増え、さらにマンションが次々に建つようになって、すっかり環境が変わったという。今から30年ぐらい前、元号が平成に変わった頃からのことだ。
「かつては藤棚商店街のほかにも近所にたくさん商店があって、活気のある下町でしたよ」とご夫妻は懐かしむ。
朝日湯の煙突と、その横にそびえるマンション
卓也さん曰く、「昔は風呂屋の煙突が地域のランドマークだったけど、今ではそれがマンションにかわっちゃった」。
最盛期、一日に200~300人を数えた利用客は、現在半分以下。三桁になることはなかなかないそうだ。
「一日に50人を切ったら終わりだな」とも言う。
高く積まれた昔ながらの竹かごから盛期のにぎわいを連想する
西区全体でも、かつて36軒ほどあった銭湯が、卓也さんが最初に浴場協同組合の西支部長になった2004(平成16)年には12軒に、それが今では朝日湯を入れて5軒に減ってしまった(卓也さんは現在2度目の支部長を務める)。
しかもそのうちの1軒「松島館」は、取材当日の7月時点では営業していたが、この月いっぱいで店を閉めるという。
残る4軒のひとつ「記念湯」は、戸部駅ホームから見える位置に建つ
そんな朝日湯の現在の客層は、やはり高齢者が多いという。若い女性客がめっきり減ったが、男湯には若い人もちょくちょく来る。
「でも、何も持たずにふらっと来て、ロクに体も洗わずに入るので、お年寄りの常連客はいい顔をしない」そうだ。
また、「お年寄りが若い人に根掘り葉掘り尋ねるのも、若い人には鬱陶しいみたいで」とも。それが昔は銭湯の情緒だったと思うが、なるほど当世はなかなか難しい。
浴室入り口に昔から掲げている「お風呂の入り方」
今後について尋ねると、妻のマリ子さんが「お客さん次第ね」と案外さばさばした表情で答えた。「でも、『つぶれる』という言葉は使いたくない」という。
「跡取りがいないから自然に閉める。それだけのこと」。お二人にご子息はいるが、サラリーマンで跡を継ぐつもりはないし、自分たちも大変さがわかるだけに継がせようとも思わないという。
ついに肝心かなめの浴室へ突入!
脱衣所でひとしきりご夫婦から朝日湯の歴史と現状のお話を伺ったのち、いよいよ浴室に入らせていただいた。
向かって左が男湯
右が女湯。どちらにも立派な銭湯絵が
男湯は富士山、女湯には卓也さんの故郷、石川県を代表する見附島(みつけじま)が描かれている。
丸山清人(まるやま・きよと)画伯の作。今、日本を代表する銭湯絵師の一人だ。
ペンキが剥がれてくるので5、6年に一度描き直す。現在の絵は2014(平成26)年に描いたので、そろそろ替え時だという。
高い天井には自然光の明かり採りがうまく設えられている
念入りに磨かれたタイル。そしてもちろん、ケロリンの桶
浴槽は透明な湯と薬湯の2種類
朝日湯の風呂の特徴は「熱いこと」だという。熱くしている理由は雑菌を繁殖させないためだ。
浴槽に浸かればすぐにあふれるぐらい湯をたっぷり入れるのも、絶えず湯を循環させて菌を溜めないための工夫だという。この銭湯ならではの熱くてたっぷりの湯がいいんだという常連客も少なくない。
透明な湯は44~45度、薬湯はそれより少しぬるめの41~42度
「どれどれ」と、さっそく筆者みずから入って実体験。浴槽へ向かう筆者に、背後で卓也さんが「ダイジョブかなぁ、熱いぞぉ。入れるかなぁ」と、ちょっといじわるっぽく言うのを聞きながら。
確かに入ってみると、首まですっぽり浸かる深めの透明な湯はかなり熱い。だが、耐えられないというほどではない。むしろ、やや浅めで身体を伸ばしてゆったり浸かれる薬湯との温度差が絶妙で、交互に入ると長湯ができそうな感じだった。
浴槽近くに貼られた薬湯の効能
恒例の「バックヤード拝見!」
銭湯シリーズ恒例の舞台裏見学もお許しいただいた。
銭湯絵横の扉からバックヤードへ
生活空間と混然一体化したおなじみの舞台裏に潜入すると、その左手奥にボイラーと濾過機の設置された空間があった。
左がボイラー、右の丸い筒が濾過機
ボイラーからは「パチッ!パチッ!」と音がした
今まで取材した銭湯で聞いたことのない音だ。
ボイラーの背後に積まれた木材を見て謎が解けた
ほとんどの銭湯がガスになる中、朝日湯ではいまだに薪で湯を沸かしていたのだ。あの湯の「柔らかい熱さ」は、このためなのかもしれない。
バックヤードを抜けた家の裏手の駐車場には、1台のトラックが止まっていた。市から特別な許可を得たこの産業廃棄物収集運搬車で、卓也さんは定期的に燃料の薪となる廃材や重油を入手しに行くのだという。
銭湯を継続していくうえで欠かせない相棒と並ぶ卓也さん
この愛車を走らせる日は朝6~7時頃起きるが、それ以外の日は9時頃起床。そして、薪を伐りボイラーに火をかけ湯の仕込みだ。
11時頃作業を終え、店が開くまではしばらく時間が空く。その間に昼食をとったり昼寝をしたり。そして3時から開店となるが、実際はその1時間前から常連客が店の前で待っていることもある。そんな時は早めに開ける。
閉店は午後11時。閉店後1時間ほどかけて「仕舞い掃除」をする。寝るのはいつも午前1時頃になるという。
こうした生活が毎日続く。朝日湯は不定休だが、つまりはほとんど休みがない、ということ。
現に今も、1ヶ月ぐらい休んでいないという。「休むのは何か用事がある日だけ。今の若い人にはとても続かないよ」とご夫婦が口を揃えて言った。
結婚したのは卓也さんが銭湯を継いだ年。それから半世紀以上の歳月が流れた
卓也さんのもう一つの顔
バックヤードの取材を終え浴室に通じる扉を開けると、すでにお年寄りが一人湯船に入っていた。まだ開店前の午後2時過ぎである。卓也さんの言う通りだった。それにしても、開けた扉が男湯のほうでよかった。
脱衣所に戻ると、入店してからずっと気になって仕方がなかったものについて、卓也さんに尋ねてみた。
それは、これ!
レトロな「お釜ドライヤー」もさることながら、その向こうに並ぶ太鼓とお面だ。
脱衣所の壁のいたるところに和太鼓の写真やポスターも貼られている
聞けば、実は卓也さんは和太鼓奏者でもあった。しかも本格的な。
前述の通り卓也さんは石川県出身。石川県と言えば、能登の伝統芸能・御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)が有名だ。卓也さんはそれを地元で子どもの頃に教わった。
その和太鼓をここ横浜市西区の銭湯「朝日湯」で叩き始めたのは、今から約30年前、1991(平成3)年頃のことだ。
太鼓を叩く卓也さんの写真。決まっている!
この地で再び和太鼓を始めたきっかけは、家風呂が増え昔は社交場を兼ねていた銭湯から少しずつ客足が遠のいていったことと関係していた。太鼓を打ち鳴らすことで、銭湯と地域とのつながりをよみがえらせたいとの思いがあったのだ。
初めは「なぜ銭湯で太鼓? しかもほかの土地の芸能なのに」と首を傾げられた活動も、徐々に町内会の理解を得て、2年後には「杉豊太鼓(すぎほうだいこ)同好会」が結成され、卓也さんはその代表を務める。
名前はこの地の鎮守社・杉山神社の「杉」と豊年太鼓の「豊」から取った。
地域の子どもたちに太鼓を指導する卓也さん
会員は現在子どもからお年寄りまで約20人。毎週日曜日には朝日湯の脱衣所で稽古が行われる。御陣乗太鼓から生まれた杉豊太鼓は、研鑽の末、今では横浜の郷土芸能として認められ、市から無形民俗文化財保護団体として奨励証を授与されるまでにいたった。
脱衣所に掲げられた「奨励証」の額
そして市内各所で演奏を披露している
杉山神社の祭礼、西区民まつり、その他さまざまな地域コミュニティなどで年間13回ぐらいのイベントに参加している。ただし今年はコロナ禍のため、11月に実施予定の区民まつりまではすべて中止になってしまった。
いっぽう、もともと勇壮な御陣乗太鼓には面が付き物だ
戦国時代に能登に攻めてきた上杉勢を撃退するために生まれたという御陣乗太鼓。敵を脅し味方の士気を高めるために、敢えて怪奇な面を付けて激しい所作とともに演奏したのだそうだ。
この太鼓のための面を自分で打つ(=作る)ために、卓也さんはわざわざ伝統的な古面(こめん)の会に入会し「面打ち」を修業する。
卓也さんは、その自作の面を脱衣所のロッカーのあちこちから次々と取り出して、ずらりと並べて見せてくれた。
「テレビの取材でも見せてないんだがなぁ~」と言いつつ嬉しそう
面を並べると、続いて一つひとつについて詳しいレクチャーが始まった。それを聞いていると、いつの間にか脱衣所には何人ものお客さんの姿が。そのうちの一人が、興味深そうにお面を見ながら卓也さんにいろいろ尋ね始めた。
卓也さんのレクチャーに聞き入るお客さん
この方、実は入店するや否や、マリ子さんにミカンを差し入れしていた人だ。
いただいたミカンを抱えて笑顔のマリ子さん
面に関心を寄せる60代後半のお客さんに話を伺うと、この店に通い始めて20年になるという。家風呂はあるが、早い時間だったり遅い時間だったり、ほぼ毎日来ているそうだ。
「でも、演奏会は何度か見に行ったけど、お面を見せてもらうのは初めてだよ」
その方にはまれぽステッカーを渡していると、「俺もそれ欲しいな」と背後から声をかけられた。「いいですよ、その代わり・・・」ということで、やはり取材させていただく。
現在73歳の男性は、もともと久保町の太平館(たいへいかん)を利用していたが、4年前に閉店してからここに通い始めたという。やはり家風呂はあるが、週に一度は来る。
「ここの風呂は熱いからいいんだよ。それに店の人もお客もいい人が多い。なんてったって、銭湯に入るとストレスが解消されるのさ」
そう言って卓也さんとにこやかにツーショット
時間はまだ本来の開店時間の午後3時前後。それなのにすでに男湯だけでも5、6人は客が入っていた。女湯のほうも何人か店を出入りする音が聞こえた。
開店前に早くも10人ほど。これから午後11時までと考えると、たぶん卓也さんが言っていた「50人」というデッドラインは軽々クリアしそうだ。
そんなことを思いながら、そろそろ営業のお邪魔にならないように朝日湯を後にした。
取材を終えて
「でも、今はボランティアの気持ちもあるのよ。銭湯がなくなると、本当に困るお年寄りもいるんだから」――取材中のマリ子さんのこの言葉が忘れられない。
確かにそうだろう。お二人には銭湯を通して地域貢献を続けているという深い思いがある。それが、卓也さんの郷土芸能の保存・育成に対する熱意にもつながっているのだろう。
約70年の歴史がいたるところに散りばめられたこの古風な朝日湯の建物と、お二人の姿を見ていると、杉豊太鼓だけではなく朝日湯とお二人をまとめて文化財に指定したいという衝動に駆られる。
今年11月8日、西区民まつりに、ぜひ和太鼓の勇ましい演舞を見に行きたいと思った。
―終わり―
取材協力
朝日湯
住所/横浜市西区中央2-44-6
電話/045-321-5472
営業時間/15:00~23:00
定休日/不定休
料金/大人(中学生以上)470円 中人(小学生)200円 小人(幼児)100円
※料金は2020年7月現在
https://k-o-i.jp/koten/asahiyu-3/
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KEN_WestYKHMさん
2020年08月02日 01時30分
お風呂の入り方の伏せ字が気になって思わず調べてしまった。差別用語かもしれないので明言は避けるが、昭和62年の公衆浴場法改正で削除された言葉が書かれてたように見える。
ジョーさんさん
2020年07月21日 19時11分
良い記事をありがとうございました。ただ、小学校の名前は「宮前」ではなく「西前小学校」ですね。
Yang Jinさん
2020年07月21日 16時22分
またまた伝統文化と芸能の話題をありがとうございました