開業わずか12年で廃駅になった鶴見臨港鉄道「本山駅」について教えて!
ココがキニナル!
JR鶴見線の、鶴見駅と国道駅のあいだに、駅らしき遺構がありますが、あれは何でしょうか?気になります(おにぎりさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1930~1942年、わずか12年営業した鶴見臨港鉄道「本山(ほんざん)駅」の遺構。總持寺参詣のための駅だったが、戦時下の国有化で廃止に
ライター:ほしば あずみ
営業期間12年の駅
(つづき)
営業当時の沿線案内(横浜市立中央図書館所蔵)
各駅周辺や、扇島海水浴場、釣り場などの案内が並ぶ(クリックして拡大)
内容を現代仮名遣いに直して一部紹介してみる。
「鶴見臨港電車は主として省線(国電の旧称)鶴見駅および京浜電鉄總持寺駅より潮出方面と鶴見工業港(東京湾埋立会社経営地、横浜港第四区)の各地点に、便利で早く安く連絡する皆様の電車であります。鶴見工業港は浅野翁晩年の偉業であり近代日本工業の代表的創作であります。
(中略)
日々集められる多量の原料をたちまちにして生活必需の製品に化し、鉄道に、船に、これを需要地に集散する日々の活動のありさまは、近代工業のパノラマであり、工場のスカイラインと機械のジャズとは、近代人をもって任ずる人々の見逃してはならぬ場所であります」
浅野翁とはもちろん浅野財閥を一代で築いた浅野総一郎の事だ。この京浜工業地帯の形成に寄与し、鶴見臨港鉄道を設立した実業家である。
「近代工業のパノラマ、工場のスカイラインと機械のジャズを見逃してはならない」(クリックで拡大)
案内は続く。
「弊社線は右のごとく工業地の交通を主眼としておりますが、四時遊覧の場所も必ずしも乏しくはありませぬ。すなわち鉄道線の起点たる鶴見には曹洞宗大本山總持寺あり、遊園地の創始花月園あり、沿線には京浜間随一の臨港大野球場あり、弊社軌道線の終点には川崎大師あり、同沿線塩浜付近には大競馬場、釣魚、潮干狩りの好適地があり、また夏季には当社経営の海水浴場があります」
「一休さん音頭」の盆踊りだけではない、曹洞宗大本山總持寺
1925~1937年ごろの總持寺(画像参照:『鶴見線物語』サトウマコト著230クラブ刊)(クリックして拡大)
図のとおり、当時は踏切を渡った先には、京浜電鉄(現・京急)の「總持寺駅」と、海岸電気軌道線の「總持寺駅」があった。この鉄道は元は京浜電鉄子会社で、臨海工業地帯への通勤用として1925(大正14)年に開業した路面電車。鶴見臨海鉄道と競合するルートにあり、1930(昭和5)年の、鶴見臨港鉄道の旅客輸送事業参入にあたって、採算がとれないことから鶴見臨海鉄道側に吸収合併された経緯がある。
沿線案内から「本山駅」を紹介する(クリックして拡大)
「(軌道線連絡駅<鶴見>より1分半、4銭)曹洞宗大本山總持寺前にあり、南2丁(現在約220メートル)くらい先に花月園があります。なお当駅より省線踏切を越して向かい側に当社軌道線總持寺駅があります。付近高架線下商店街には本山食堂をはじめとして石材店、菓子店、生花店、その他があり、總持寺参詣者、花月園遊覧客のため雑踏をきわめております」
本山駅から鉄橋方向を望む(提供:株式会社鶴見臨港鉄道)
本山駅があった場所の高架下は、現在川崎鶴見臨港バスの車庫になっている
また高架下には現在も石材店が営業中
内藤石材店は戦前からこの地で営む石材店。当時の話を伺うため、お店の方に声をかけたが「会長なら80歳を超えているから、開通していた時の様子を知っているかもしれないけれど、今はこっちには出てこないから。あとはみんな若い人だからわからない」と証言を得ることはできなかった。
ちなみに、「開かずの踏切」こと総持寺踏切は廃止されていた
現在はフェンスで囲まれて侵入できない
前述の海岸電気軌道線は、経営上の理由で1937(昭和12)年に廃止。京浜電鉄「總持寺駅」も1943(昭和18)年に戦時休止となり、翌年廃止された。
そして、鶴見臨港鉄道「本山駅」も同年1943(昭和18)年の国有化を前に前年の1942(昭和17)年12月12日に廃止。
戦時輸送に利用する鉄道に、物見遊山目的の駅は不要だった。
京急の高架化にともない「總持寺駅」の痕跡は残っていない
海岸軌道線「總持寺駅」跡地は公園になっている
Googleマップで見ると鶴見川方面へ伸びるカーブの名残がわかる
取材を終えて
鶴見臨港鉄道沿線案内は言う。
「浅野翁の独創になる鶴見埋立地はまさに工業港の先駆であります。(中略)弊社は進んで工場ご視察の御便利をはかります。また学校その他団体には特別の割引とご案内をいたします。(中略)東京、横浜方面から各工場への往復には最も便利であります・・・」
輝かしい近代化を信じ、工業地帯の鉄道事業を誇るさまが伝わってくる。
駅から總持寺や花月園に向かう人々のにぎわいは、戦争で失われていった。その面影を、車窓からほんの一瞬見せてくれるのが、本山駅遺構なのかもしれない。
―終わり―
専務さん
2013年09月24日 17時39分
取材おつかれさまです。花月園周辺に住んでいて、本山駅の存在は気になっていましたが、まさか京急に「総持寺駅」が存在していたのは驚きました。さらに通勤で毎朝通る「あの公園」が跡地だったとは!あらためて知ることができました。ありがとうございました。
おにぎりさん
2013年09月24日 17時04分
はまれぽ 編集部のみなさん キニナル 取材ありがとうございました。私は昭和49年から52年まで 鶴見駅より、鶴見小野まで通学のため、鶴見線を日常的に利用していました。その頃から、あれはなんと言う駅だったのか、それとも駅ではなく信号所なのか、気になっていました。今回の取材で、本山駅という名前であり、本山参拝や、花月園への、アクセスに使われていたことを知り長年の疑問が解決しました。また何か気になるものがあれば,調査お願いいたします ありがとうございました
ス。さん
2013年09月24日 13時53分
本山駅の写真は再生される前の旧万世橋駅を思わせます。旧万世橋駅は「マーチエキュート神田万世橋」になりホームも間近に見れるようになりましたが、本山駅や国道駅など橫浜の鉄道遺産も当時の面影を残したまま、うまく再生されるといいな…と思っております。