本牧って昔はどんな感じだった?(後編)
ココがキニナル!
今は悲しいマイカル本牧の輝いていた時代と、米軍に接収されていた時代をプレイバックしてください。(中区太郎さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
マイカル本牧はバブルの時代に誕生し、そしてその後消滅した。後編の今回、その経緯を見ていきたい
ライター:松崎 辰彦
マイカルの誤算
「マイカルの誤算は結局交通アクセスが悪かったということです。鉄道が来ないことがわかって、地価も下がった。人も来なくなりました」
のみならずマイカル側にも問題はあったようである。
「スペイン風というのが本牧に合いませんでした。それからテナントの宣伝もマイカル側に一任させ、個々に行ってはいけないといわれたのです。そういうボタンの掛け違いがありました」
開業1年ほどはバブルの雰囲気に浸っていた本牧だったが、やがて交通アクセスの悪さが徐々に影響してくる。そうこうするうちにみなとみらいも誕生し、多くの客足をそちらにとられる事態になった。
デッキに人がいない
人が遠のくのをマイカル側もただ手をこまねいて見ていたわけではない。人を呼び戻そうとさまざまな努力を重ねた。
しかし手を尽くしても一度離れた人の足はこの地に向いてくれず、やがて終焉のときを迎えた。
旧マイカル本牧5番街 現在はベイタウン本牧5番街
マイカル失敗の最大要因は、何といっても交通アクセスの悪さだったと鶴田さんも認める。みなとみらい線が本牧まで到達し、飛躍的に交通の便がよくなることを、地元の人間も、そしてマイカル側も期待していた。
しかし、結果として鉄道の本牧開通は実現せず、本牧は鉄道空白地帯として取り残された。商店街の一部の人たちが、横浜駅周辺あるいはほかの繁華街に客を奪われる不安から鉄道建設に反対したともいわれている。
「私もマイカルの小林社長にいろいろ提案したんです。せっかくスペインなんだから闘牛場を作ったらどうだ、とかね。そうしたら“動物愛護団体が反対している”とかで躊躇していた。だから私は『牛を殺さない闘牛を見せたらいい』と勧めました。するとそれはいいアイデアだといわれましたが、実現はしませんでした」
ほかにも三渓園との間でスムーズな導線を作ることも提案したそうだが、地元との折衝でうまくいかなかったと回顧する。マイカル側も旧来の商店には気を遣い、共栄の道を探っていた。新しい商業施設と旧来の商店主たち、そして間を取り持つ人たちなど、いろいろな立場でそれぞれが思惑を持っていた。
旧マイカル本牧6番街 文字も外されている
「結局、地元に力のある政治家がいなかったということでしょうか。鉄道を引っ張ってくるくらい力のある政治家が」
マイカル本牧は2011(平成23)年3月1日、イオンに吸収される形で消滅した。
横浜の奥座敷としての本牧
マイカル本牧は現在、イオン本牧として営業を続けている。12番街まであった街並みは、バブル期のような栄華はなく、やはり人通りが少ないことは否定できない。
本牧通り沿いで「本牧ハローカフェ」を経営する吉岡幸恵さんは、「昨年の4月1日に開店したんですが、当時はテナントががらがらで、ゴーストタウン化していました。最近少し持ち直してきたかなと思います。交通の便が悪いといわれていますが、それほどでもないと感じています。でも電車があるとないでは気分的に全然違います。ぜひとも駅ができてほしいです!」と期待を述べる。
本牧が大好き、という幸恵さんのご主人にいわせると「本牧は横浜の中心に近い割には緑が多い」とのことで、そういう本牧を残してほしいと語る。
「本牧ハローカフェ」を経営する吉岡幸恵さん
鶴田さんはLRT(次世代型路面電車システム)の運動にも関わり、本牧の利便性を向上させようとしているが、「こうしたことが実現するころは、自分は7回忌だ」と笑う。
「若い人を相手にしてもほかの衛星から来た人といるようで、話が通じない。時代は人を作るが、人は時代を作れない。美空ひばりだって敗戦がなかったらただの女の子だ(注・鶴田さんは「美空ひばりさんを愛する横浜市民の会」会長)。私は若い人に言いたいんです。この時代、お前たちはどう生きるんだ、とね」
マイカル関係者に“自分はマイカル本牧ではない、マエカラ本牧だ”とうそぶいた鶴田さん。マイカル本牧については、その後破綻したとはいえ「来てくれてよかった」と断言する。「一時的だけど、本牧が輝きました」と。
鶴田さんの著書『あゝ我が人生七十年余の修羅よ そして今蛍』
本牧の将来に関して伺うと「横浜の奥座敷になってほしいですね」と含蓄のある言葉を語ってくれた。「本牧にはいろいろ優れた人が住んできましたし、今も住んでいます。本牧は住むには本当によいところなんです。ここに住んだ人は長生きします」
米軍の接収、そして巨大ショッピングセンターの誕生。本牧はこの数十年、さまざまな時代の波にさらされてきた。今後この“600年の歴史のある町”(鶴田さん談)がどのような変化を遂げるのか、見守りたい。
取材を終えて
山手駅から何度も本牧まで歩いたが、やはり遠いという印象は否定できない。最寄りの駅まで、徒歩ではかなりの時間と労力を要するここはやはり“陸の孤島”か。
しかし反面、繁華街にない落ち着いた雰囲気に魅力を見出す人も、当然いるだろう。鉄道が来なかったことで一つの大きな商業ブランドが消えたが、静かな環境が保たれたと見る人もいる。人の見方は、それぞれである。
本牧の移り変わりを2回に分けてとり上げたが、激動の歴史をくぐり抜けたこの地は、さまざまな点で興味深かった。マイカルの登場と消滅は、街づくりとは何かを考えるのに格好の題材といえる。バブルのあのころは、みんな怖いもの知らずだったような気がする。
やがてこの地にも電車が開通し、交通が改善される日がくるのだろうか。そのときは現在残されたマイカルの夢の跡に多くの人が戻ってきて、今度こそ商業的な繁栄の道が開かれるのだろうか。未来は予測しがたいが、「横浜の奥座敷」の存在感は、いつまでも保っていてほしいと思うのである。
旧マイカル本牧3番街 夕日を浴びて
―終わり―
<取材協力>
美奈登鮨
住所/横浜市中区本牧三之谷18-8
電話/045-621-3710(代)
FAX/045-624-3914
Hello! Cafe
住所/横浜市中区本牧間門1-7
電話/045-263-6404
http://honmoku.hello-cafe.com/access
たすけねこさん
2019年03月22日 21時31分
マイカル本牧ができた頃、川崎市中原区に住んでいて、当時2歳の息子を連れて、第三京浜を車でビューンと走って、毎週末よく行ってました。東北出身なもので、観光をしている気分でしたね。その後東北に転勤になり、東京方面に行く機会があったら、また行きたいと思いつつ、なかなか行けなくて、そのうちになくなってしまったんですね。楽しい思い出がいっぱいあるので、残念です。
クレバーケンちゃんさん
2018年06月12日 08時15分
やはり皆さん本牧の交通の不便さを痛感していますね。しかしながら、三渓園には大勢の人が来る。何かコラボ出来ないかな?駐車場が混んでるので、イオンの駐車場を使わせるとか。入場券持参でレストランにサービス有り、色々とアイデアが出ると思います。地元の議員も自分の当選だけで無く地元の発展を考えて欲しいですね。
マルヲさん
2016年07月12日 19時55分
本牧に住んでます。本牧は電車が通ってないから、よそからの人があまり入って来ず程よい田舎感が残ってて良いと思うことがよくあります。