戦後、横浜にもあった「外食券食堂」の歴史が知りたい!
ココがキニナル!
戦中戦後の時代は「外食券」がないと外食ができず、当時は外食券が使える食堂を「外食券食堂」と呼び、六角橋の「末廣園」が今でも営業を続けているという。当時のことを取材出来ないの?(ねこぼくさんにキニナル)
はまれぽ調査結果!
牧場を営む一家の副業だったミルクホールが戦後、外食券食堂「厚生食堂」を開いた。制度終了後に「末廣園」として再出発し、今も地元で親しまれている
ライター:阿良川 遊
「末廣園」でお話をうかがう
(つづき)
鈴木さんは続けた。「ミルクホールをやめて、そのあとは牛乳の販売所を始めた。しばらくして食べもの屋を作ったんだよ。当時(政府から指定を受けた)外食券食堂っていうことだった。“厚生食堂”って名前だった」。
外食券時代は「厚生食堂」という名前で営業しており、末廣園という屋号は使っていなかったようだ。
戦後まもなくの六角橋。バス停の脇に「外食券 厚生食堂」の文字が見える
(c)神奈川大学デジタルアーカイブ
「厚生食堂は役所から言われてつけた名前だと思うよ。だから(同じ名前の店が)ほかにもけっこうあったかもしれない。(外食券が使える食堂として)登録されているといった意味合いがあったのかな」。
鈴木さんの父上は飲食店と運送業にも進出していた。だから房陽舎は牧場をやめても存続することができた。
「昭和のはじめに市電が通って、白楽駅ができてまもなく神奈川大学ができたんだよ。ミルクホールをやっていた時代から、学生がすごく多かった」。
このころの六角橋は、小机や新横浜方面から横浜へ向かう人たちのバス・電車の乗換地点でもあった。たくさんの人が行き交い、とてもにぎわったという。
学生が通学に利用した市電、六角橋停留場
(c)神奈川大学デジタルアーカイブ
「六角橋商店街の仲見世(六角橋ふれあい通り)は、はじめは闇市だった。最近はテレビの取材なんかもよく来るけどさ。闇市じゃなくなってからも、すごく活気があった。昔からやっている人はもう、数えるほどだよ。昔はおじさん、おばさん、子どもたちみんな知っていて。今はほとんど亡くなって、子どもたちだってどんどん出て行っちゃって。歩いていても、よその商店街みたいだもんね」。
現在の六角橋ふれあい通り
お上の指定を受けた外食券食堂の目と鼻の先には、無認可の闇市があった。外食券食堂も闇市も、形を変えて今に受け継がれている。
闇市だった当時を知る人は少ない
「しばらくして厚生食堂(外食券食堂)が必要なくなったから、今度は末廣園っていう名前の定食屋さんを始めた。ラーメンもあります、おそばもあります、っていうなんでも屋さんだった」。
同時に鈴木さんの父上は1958(昭和33)年に“房陽舎鈴木商会有限会社”を立ち上げた。食堂部と牛乳部を作り、有限会社房陽舎と、有限会社末廣園とした。弱冠16歳だった鈴木さんは、有限会社末廣園の責任者となった。末廣園は今年(2013年)、創業55年ということになる。
「それで、1965(昭和40)年くらいから今と同じ形になった。その前は木造で、寿司が主の和食店だったね。もともとは宴会が主体なんだよ。この2階3階が宴会場で」。
―じゃあ、白楽界わいの皆さんは宴会っていうとここへ来るんですか?
「本日のおすすめ」には季節の魚がズラリ
「来ないんだよ、それが。時代の流れで。チェーンの居酒屋なんかがなかったときはうちで飲んだり食ったりしてたけど、今はないね。
創業当初は神奈川大学の飲み会が本当に多かった。だからそのころは“あそこは神奈川大学の学生がうるさいから行かねえ”なんて言われてたときもあった。バブルのころは一般の人も来てたけど、結局今、神奈川大学の学生が残った(笑)」
―ところで、なぜ「末廣園」という屋号なのですか?
「もともと、おやじは中華料理屋さんをやりたかったんだよ。スエヒロエン、なんて中華っぽいでしょ」。
―スエヒロ、っていう名前のお店、多いような気がしますね。
「スエヒロって、すき焼きやステーキで有名な東京の店があるでしょ。たぶんああいうところにあやかったんじゃないかね。死んだおやじもそんなふうに言ってたことあるよ」
末広がりの、末廣園。半世紀以上の年月を経て、末廣園を慕うお客たちは数多くいる。
この看板を目指して、全国から卒業生が集う
「神奈川大学に通っていたころ毎日のように来てた人が、地元に帰ったあと、何十年もして出張や旅行ついでに来てくれることもあるよ。ああ、まだ、やってたんだ! って。そのときはすごく嬉しいよね。なかには、むかしミルクホールがここにあって・・・って、うちの母親や母の妹を訪ねて来てくれた人もあるよ」。
いまも愛される末廣園のメニュー
取材を終えて
戦争をくぐり抜けて、業態を変えながらも営業を続ける末廣園は白楽の財産。皆で食べに行って、飲みに行って、これからも盛り上げていこうではありませんか。
―終わり―
末廣園http://suehiroen.com
所在地/横浜市神奈川区西神奈川3-9-1
電話/045-432-2492
営業時間/11:30~14:00、17:00~22:30
定休日/月曜日
うなうなまんさん
2020年05月09日 19時52分
私の店も外食券食堂でした。崎陽軒さんも仲間でしたね。馬車道のオリンピックさん、荒井屋、じゃのめや、蒔田寿司、萬珍楼もそうだったんじゃないかな?黄金町がアヘン窟と言われてた時代の話ですね。
もとはまさん
2016年07月02日 21時48分
横浜線も未開通で小机や新横浜方面へはバスのみが通っていて、市電の始発駅だった六角橋で乗換えをしていたのでは?
南区のはまりんさん
2013年11月20日 17時14分
路線バスではなく横浜市電では?