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ミステリーサークルか、はたまた遺構か!? 瀬谷区にある「謎の楕円形」の正体は?

ココがキニナル!

瀬谷区と旭区の県境、横浜西部病院入口交差点西側の空き地を航空写真で見ると、大きなオーバルコースのようなものがあります。これは何の痕跡なのでしょうか。(上拾石鬼平さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

謎の楕円形の正体は大きな窪地。亀の甲羅のような形から、昭和初期まで「大亀窪(おおかめくぼ)」と呼ばれていた。以前からずっと山だった

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ライター:橘 アリー

ずっと昔から山だった!?



西武病院入口交差点から、現地を確認することに。
 


オレンジの★マークの位置からスタート
 

謎の楕円形のある場所は、「西部病院入口」交差点の西側
 

「西部病院入口」交差点の様子。写真左の木々が生い茂っている所が空き地

 
上の写真の手前の道路が中原街道(丸子・茅ヶ崎線)で、中央から奥へ続くのが野境道路である。
 


交差点近くの中原街道沿い側からは、中が見えない
 

野境道路沿いに進んで行くと
 

こちらからも、空き地の中は見えにくいが
 

「水道企業団前」バス停の所に来ると
 

空き地に入って行く道が!
 

道幅は人が一人通れるくらいで、両側はまるで森のようだ

 
入っても良いのだろうか?
夜だったら怖くてとても通れそうにないが、日中で明るいので進んで行くと・・・
 


「通学路ではありません」と書かれた看板が!
 

緑豊かな道だが、アブも飛んでおり、通学路には不向きな雰囲気である
 

道から茂みの中は、生い茂った木々で見通しが悪い
 

道は、緩やかなカーブを描いて延びている
 

ちょうど通りかかった人がいたので、この場所についてお話を伺った

 
その方は、1958(昭和33)年からこの近くに住んでおられるとのことで、その当時は、今よりも鬱蒼とした深い山だったそうである。
そして、この場所は、ずっと昔から山だったと聞いておられるとのことであった。
 


お話を伺った後、さらに進んで行くと
 

小さな川があり
 

その先は、左方向は民家があり、右方向は瀬谷市民の森になっている

 
ご近所の方にも、お話を聞いてみた。
すると、やはり昭和30年代から住んでいるが、当時からこの空き地は山で、それ以前も山以外には何も無かったと聞いているということである。

現在も、この空き地は個人の方の所有地であるが、道は近所の人などの通り道として使われているそうである。
 


この川は特に名前は無いようで、程ヶ谷カントリー倶楽部がある山の方から湧いているそうだ

 
なお、以前に、この空き地にスーパーマーケットができるという噂があったが、実際に作られることはなかったようだ。

このように、空き地の中は・・・
 


瀬谷市民公園の方へ続く道以外は
 

森のように木々が生い茂った場所であった

 
現地の様子が分かったところで、「大亀窪」と呼ばれていたこの場所は、いったいどのような場所だったのか。瀬谷区の町並みや風景などを調べ、記録し、次世代に継承することを目的として活動している「せや・ガイドの会」の鈴木さんにお話を伺った。



窪地の一部が歩道になっている!?



鈴木さんによると、「大亀窪」という字名は、文字通りに、大きな亀(もしくは、容器の甕〈かめ〉といわれることもある)の形をした窪地があることから付いたものであるそうだ。
そして、窪地は地形的なもので、それが何かに利用されていたということはなく、ずっと山のままであるようだ。

また、『皇国(こうこく)地誌(1872〈明治5〉年ごろから明治政府が各県に命じて作成させた地誌)』には、この場所は、七町(ちょう)三反(たん)六畝(せ)二歩(ぶ)(約703ヘクタール)の、椚(くぬぎ)の木などが生えた傾斜が急で険しい谷のある傾斜地とある。

ちなみに、新横浜公園が約70ヘクタールあるので、「大亀窪」があった一帯はその10倍の広さということになる。
 


瀬谷歴史地名ガイドマップに、載っている「大亀窪」の字名

 
なお、空き地の中の歩道と航空写真と見比べてみると
 


「水道企業団前」バス停の場所が、航空写真の青丸、地図のオレンジ丸のところ

 
空き地の中の歩道は、バス停の横から始まっているので、航空写真の赤丸部分の楕円のところが歩道として使われている可能性が高いようである。

これで、謎の楕円形が、亀の形をした窪地であったと分かった。



取材を終えて



開発されることなく、ずっと残されている木々が豊かに生い茂る空き地。
謎の楕円形のある一帯は個人の所有地なので、奥深くまで分け入ることはできないが、歩道は生活道路として使われている。

窪地の一部が歩道になっている可能性が高いようなので、「大亀窪」と呼ばれていた当時を思いながら訪れてみてはいかがだろうか。


―終わり―
 

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  • タウンニュースのバックナンバー(http://www.townnews.co.jp/0106/i/2015/01/08/266697.html)を何気なく見ていたら、瀬谷地図くらぶの歴史講座が2015年1月に開催されており、その中に「二ツ橋の移り変り〜『広町』にあった牧場・二ツ橋学園」というセミナーをやったらしいです。(広町というのは二ツ橋字広町のことで二ツ橋小学校周辺を指すようです)私はこのセミナーを聴講していませんが、タイトルから推察するに、楕円の写真が戦中に確認できず、1947年7月米軍に空撮されたものが最初に確認できるものであること、1948年に二ツ橋学園が開校したことから、「二ツ橋学園の付属施設」としての「牧場」というものに何らかのかかわりがあるかもしれません。

  • つづき)草木の少ない冬季、現地には散歩道から明らかに外れた場所に木々の疎らな細長い空間があり、おそらくこれだろうと判別はできましたが、それが何であるのかは判りませんでした。 最近になって、戦時中や戦前の航空写真が閲覧できるようになりましたが、それを見ればたしかにこの長円形は戦後に突然姿を現したことが判ります。 当時の地図では針葉樹林に長円形の荒れ地の明確な記載があり、何かを収穫するための通路だったのかのかもしれませんし、少なくとも自然にできた物ではないと思いますが、やはり謎は残りますね。とにかく、有難うございました。

  • 投稿した者です。まずは取材お疲れ様でした。質問には県境って書いちゃってますが、もちろん区境の間違いです。 私も5年ほど前にこのネタを発見した当時、まず周回が約640m{≒0.4マイル)ってところで競馬場を連想したのですが、いろいろ調べてもそのような計画があったことを確認できませんでした。(つづく

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