「根岸七曲り下」のバス停近くの「7回折り返す」すごい階段との関係は?
ココがキニナル!
栄区の七曲りの記事がありましたが、中区根岸にも「根岸七曲り」というバス停が!こちらは現在でも本当に7回折り返して急な山道を登るという凄い階段です。歴史も古そうなので是非調査を!(sakuraさん)
はまれぽ調査結果!
七曲りの階段は、北条早雲に滅ぼされた新井城の数名が根岸に移り住み、丘の下と上を行き来するようになったことから出来た道だった。
ライター:橘 アリー
三浦一族が使っていた!?
最初に、中土木事務所に、現在の階段になったのはいつなのか問い合わせてみた。
すると「施工後5~7年くらいまでしか資料を保存しておかないので分からない」という回答が。
ならばと資料で調べてみると『横浜・中区史』に、根岸の海岸付近と丘陵地帯を行き来する“七曲坂”として「明治14年横浜実測図」に載っていた。
“七曲坂”の上の丘陵地帯は現在の加曽台(かぞうだい)で、明治時代はそのほとんどが畑で、アワ・ヒエ・キビなどが作られていたそうだ。
「明治14年横浜実測図」の根岸地区。赤丸の所が七曲坂(『横浜・中区史』より)
まずは資料では、明治時代には“七曲坂”と呼ばれ、上と下を行き来する便利な道だったと分かったが、それ以外の内容については記載が無かった。
そこで、次は地域に古くから住んでおられる方々に伺ってみることに
“七曲り”の近くに、親子2代にわたって営まれている高井理髪店がある
2代目ご主人の高井徳雄(たかい・とくお)さん
高井さんによると、戦国時代に、源頼朝の御家人だった一族(現在の新井姓)がこの地域に移り住むようになり、丘の下に居を構え、やがて丘の上に畑を作るようになった。そしてその行き来のために通っていた道が現在の「七曲り」の始まりであるとのこと。
この閑静な住宅地は、畑だった
そして、丘の上の加曽台が住宅地として開発される前までは『横浜・中区史』にあったようにほとんどが畑で、主に、その畑仕事に行く道として「七曲り」が使われていたそうだ。
ちなみに、昭和時代には、明治時代のようなアワ、ヒエ、キビではなく、主に葉物の野菜が作られていたようだ。
また「七曲り」のほかにも、以前には丘の上の加曽台地域へ行き来できる道があったそうだが、途中に住宅が建てられ、ふさがれてしまったようである。
この階段の先にも、以前には上り下りできる道があったという
地元でお話を聞いていると、先述の一族の末裔で、この地域の歴史に詳しい新井陽一(あらい・よういち)さんを紹介していただけた。
早速、新井さんにお話を伺うことに。
新井さん宅のご近所
新井さん(写真はNG)によると、戦国時代に移り住んで来たご先祖は三浦半島を拠点としていた三浦一族に属するものでその城は油壷にあった新井城であるとのこと。
『神奈川の城』などの資料によると、新井城は北西南の三方を海に囲まれ東側だけ陸続きの半島状の城であったようだ。
地図中の赤丸の辺りに新井城、現在は油壷マリンパークなどがある(京急沿線マップより)
1516(永正13)年に、新井城は北条早雲の軍勢に攻められ落城。根岸の地に17人が逃れ住むようになり、最初は、丘の麓に隠れ住んでいた。その後、北条早雲が亡くなりしばらくしてから、丘の上にも上がるようになった。そこに畑を作り、その行き来のために「七曲り」の道が自然と出来上がっていったようである。
なお「七曲り」が現在のように階段として整備された正確な年代は分からないが、明治時代には道だけでなく一部には石を積んだ階段のようになっていたそうで、昭和の戦後のころには、すべて道ではなくなり、階段になっていたようだ。
また、崖が何度か崩れたことがあるそうで、そのたびに修復がされてきた。そしてその中でも一度、大きく崩れて修復されたことがあったという。
七曲りの階段の登り口の右側に、崖の工事概要のプレートがあり
この1986(昭和61)年に大きな修復工事が行われたと思われ「七曲り」の階段も、この工事の時にある程度、現在のように整備されたのではないか、と推測されている。
取材を終えて
七曲りの階段は、直線ではなく曲がっているためか、それほど疲れずに上れる
途中の眺めも良いので、訪ねてみてはいかがでしょうか
―終わりー
参考文献
『横浜・中区史』
『神奈川の城』
『三浦一族 その興亡の歴史』
『新井城の落日』
『三浦一族研究』
『鎌倉幕府と悲劇の三浦一族・三浦党』
寿さん
2015年12月14日 15時31分
ときどきこの階段を利用していますが、本当に七曲りだったとは! 丘の上と下を結ぶ階段や坂はたくさんあり、以前、全部上り下りしようとしましたが、完全制覇できたかどうかわかりません。吉田氏の運動にいい(白滝不動尊の再訪も含めて)と思うので、ぜひ探索お願いします。たしかに興味深いところで、鳥居があるので神社かと思ったら民家の玄関のようで、非常に気になるところもあります。
ばにらぷりんさん
2015年12月14日 01時04分
七曲りって比喩じゃなかったんだ!まずそこからびっくりです。歴史も面白いですね。閑静な住宅地にそんな過去があったなんて・・
ポスポスさん
2015年12月14日 00時26分
ブラタモリで取りあげたら面白そうですね