行政代執行開始。ビブレ前おでん屋台の最後の様子は?
ココがキニナル!
横浜駅西口の幸川沿いにある12軒のおでん屋台、今月いっぱいで廃業するそうですね。約60年の歴史があるそうですが、その最後とこれからを取材していただけますか?(輪太郎さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
2016年3月3日に行政代執行による取り壊しが行われ、最後の1軒のおでん屋台が姿を消した。
ライター:はまれぽ編集部
最後の瞬間
一連の作業を通じて屋台が解体されるまでの時間は約15分。60年近くにわたって営まれてきた、おでん屋台は完全に姿を消した。
作業員4人がかりで屋根を引っ張る
天井が崩れないように気を使いながらの作業
西土木事務所の井上幸一(いのうえ・こういち)所長は「残してほしいという意見も多数もらったが、交通安全の観点からやむを得ないと考えている。代執行まで至ったのは残念だった」と話した。
取材に応じる井上所長
取材陣の「移転して存続するという案はなかったのか」という問いに対し、井上所長は「横浜博覧会後、おでん屋台の店主たちから“今ある屋台の裏手の土手で営業できないか”“横浜西口周辺にある駐輪場などはどうか”という公共用地への移転の希望を受けたが、それはできないという判断となった」と答えた。
最後の屋台「黒龍」は代執行における費用16万円を今後支払うこととなる。
二度と明かりはともらない
屋台撤去後は歩道を整備。2016年度に設計・施工し、同年夏ごろの完成を目指す。
屋台がなくなることについて
多くの人が行きかう横浜駅西口、ビブレ前のおでん屋台はそのほとんどが自主的に撤去。なかには店主自らの手で店を破壊するところもあった。そんな中、最後の1軒はなぜ行政代執行になるまで残ったのだろうか。店主と連絡がとれないため、編集部は知るすべもないが、こうしたことが起こっていたということを、横浜市民は知っているのだろうか。
周辺の人に話を聞いた。
あとかたもない跡地
「おでん屋台がなくなった」ということを報道などで知っているという人は20人中13人で、大半が「仕方ない」というものだった。
現地で写真を撮影している男性に声をかけると「ここにおでん屋台があるときから風情があるので写真を撮影していた。なくなることを知り、記録として撮影している」と答えてくれた。
市内にお住いの30代「ひろたん」さん
ほか5名は「ええ? なくなるの?」と驚きの声を出し、残り2名は「あんまり気にならない」とのことだった。
「入ったことないし」とのこと
各社の報道により知ったというビジネスマンが多かったが、屋台がなくなったことを知り立ち尽くしている方も見つけた。
街が変わろうとしている
取材を終えて
「横浜駅ビブレ前のおでん屋台」は確かにあった。
屋台はなぜ誕生したのか、なぜ存在し続け、そしてなぜ消えたのか。
そのことを考え、忘れずにいてほしい。
一様に明かりを灯す在りし日のおでん屋台
―終わり―
※過去のおでん屋台の記事
「2016年1月31日までの営業」といわれていた横浜駅西口ビブレ前のおでん屋台は本当に姿を消すのか?
(2016年2月1日掲載)
市から立ち退き命令があった横浜ビブレ前のおでん屋台、2016年1月に姿を消すってホント?
(2014年12月25日掲載)
横浜ビブレ前のおでん屋台はどうなっているの?
(2011年6月22日掲載)
西横ラーメンさん
2020年02月19日 17時30分
若い頃、こちらのお店で働いていらっしゃったという方を存じ上げています。お店をやめたあと、ご自分の店を出されて、やはりおでんを出されていましたが、おでん屋台の撤去より早く、ご都合により廃業されました。ご本人は健在なので、また作ってくれないかなぁ。
のりちやんさん
2016年03月11日 22時01分
また思い出の場所がなくなってしまいました。残念です。楽しく飲んだし、おでんも美味しかったです。いままでありがとうございました。
わいちゃん2さん
2016年03月11日 10時42分
良心的な店が多かったようですが、ぼったくり店や酒の水割り(割増)を酒と称して、売ってる店もありました。よく、父が「なんだこれ、水じゃねーか!」と店主に怒っていたそうです。(父は少しでも酒に水が入ってると、すぐわかる人でした。)申し訳ないけど、自業自得という気持ちもあります。