横浜市営地下鉄は「長後駅」から通るはずだったって本当?
ココがキニナル!
市営地下鉄の始発?終点?なぜ湘南台になったのでしょう?本当は長後駅のハズだったが周辺住民の反対の為湘南台になったと言う話ある。何故反対したのでしょう?後悔したりしてるのでしょうか?(いぶちん☆さん)
はまれぽ調査結果!
町内の商店会の決定権を持つ会員に保守的な人が多く、地下鉄建設の反対が起こった。当時若い世代の会員など賛成派は多かった。
ライター:小方 サダオ
商店街の活性化を図った長後コミュニティマーケット構想とは
それは「長後コミュニティマーケット構想」というもので、資料は藤沢市民図書館にあった。
モールと駅前の整備図(長後コミュニティマーケット構想)
資料によると「長後商店街協同組合の鈴木武(すずき・たけし)理事長が中心になって、1985(昭和60)年4月に長後商店街協同組合内に『商店街づくり委員会』を設け、街づくりの話し合いを続けてきた」という。
資料にはショッピングセンターや共同店舗の原案があった
プロジェクトの必要性に関しては「1955(昭和30)年に長後が藤沢市に合併以来、鉄道や主要県道が交差する有利な背景から、藤沢市北部の中心地として栄えてきた。
「昭和50年代には隣接する湘南台駅周辺など、長後周辺地域の商業集積が充実してきて、その影響を強く受けるようになった。長後商店街の改革を図るためにプロジェクトが必要とされる」とある。
コミュニティセンターの原案もある
また資料には、駅前や商店街をモールに整備する事業など詳細な計画があったようだ。
商店会の事情に詳しい人にこの構想が実現しなかった理由を伺うと「さまざまな事情があったようだが、事業費を確保することが難しく、計画は立ち消えになった可能性があります」という。
湘南台の現状はどうなのか
それでは長後の代わりに地下鉄の通った湘南台駅周辺はどのようになっているのだろうか。
藤沢街道から湘南台駅前方面に曲がる
広く整備された駅前道路
長後駅から、神奈川県の中央を通る藤沢街道に出て、南下すること約2kmで、湘南台の駅前に着く。長後駅前とは大きく異なり、駅前とその周辺道路は広く、車や歩行者にとっても利用しやすいといえる。
1966(昭和41)年の湘南台駅前の様子(提供:『藤沢・茅ケ崎今昔写真帖』郷土出版社)
藤沢市のホームページによると「1966(昭和41)年に小田急線湘南台駅開設後、1999(平成11)年に相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄線が乗り入れを開始した。2008(平成20)年の乗降客数の調査によると、藤沢市の中で藤沢駅がもっとも多く、次に、辻堂駅、湘南台駅が多くなっている」とある。
横浜市営地下鉄と小田急線と相鉄線の方向を示す看板
小田急線の改札。人がひっきりなしに通る
また、湘南台の商店街で働く女性店員に湘南台駅に関して伺うと「繁栄している街のように見えますが、ただの乗り継ぎ駅になっています。地下にある駅の利用者は多いですが、地上には全然上がってきてくれません」
地下道内の人の流れが目につく
「地下鉄の工事は1992(平成4)年ごろから始まり7年かかりました。工事前の当店は現在の駅前通りにあったのですが、工事期間中は、店の前に鉄板が張られてしまいました。商店にとっては不便で、その期間に商売をやめてしまった店も多かったです」
西口駅前
東口の商店街
湘南台文化センター
「商店街でもガンバッていて、湘南台の魅力をアピールできればよくなると思うのですが、難しいです」とコメントをしてくれた。
複数の鉄道が乗り入れ、整備された駅前の湘南台の場合でも商店街の人たちは苦しい状況にいるようだ。
長後駅西口駅前
最後に、横浜市と藤沢市に長後駅に関することを伺った。
まずは、横浜市都市整備局都市交通課の担当者に、長後駅への延伸計画と廃止になった理由を伺ったところ「詳細な経緯、理由については、古い話のため分かりませんが、1965(昭和40)年の六大事業構想の高速鉄道高速計画の中では、長後駅に延伸する計画はあったようです」
「ただ、その後、都市交通審議会(国として路線を決める審議会)などにより路線を決める際、六会(むつあい)や湘南台の名前があがり、1985(昭和60)年には湘南台へ延伸する計画が進んだようです。また、今後長後への延伸計画はございません」とのことだった。
小田急線
続いて、藤沢市の都市計画課の担当者に、長後駅に市営地下鉄が延伸しなかったことについて伺うと「藤沢市が1969(昭和44)年3月策定した『藤沢市総合計画書』には、湘南台駅へ延伸する内容になっていました。確認できる資料が計画に関する資料であるため、長後駅に延伸しなかった理由や経緯については分かりません」と答えてくれた。
また、現在の長後駅周辺の街づくりについて伺うと「長後地区は、長後駅周辺に集中する車両の道路渋滞や、生活道路が狭いことなどで、防災面や都市生活上の課題があります。そのため、藤沢市は、駅周辺を含めた長後地区の道路整備事業を約20年以上前から進めております」とのこと。
取材を終えて
長後の場合は歴史のある宿場町の流れを持っていたことで、変化することに遅れが生じ、衰退してしまったようだ。コメントにあるように、年配者と若い会員が共に対応していれば、宿場町であったことを生かした新しい商店街を再構築することができたのかもしれない。
歴史のある街の商店街の再構築は難しいのだろう
―終わり―
ななし2さん
2022年02月23日 22時00分
長後に一度住んだことがあるので、住んでる町が滅亡していく様を見るのはただ残念でなりません。その時、その人たちは自分たちが正しいと思って選んだ道なんだけど、それが自分たちの首を絞める事になっているとは思わなかったんでしょう。これからもそういう事に多く当たることが多いと思います。SNSや仮想資源の有効活用でどんどん世の中は利便性が上がり、そっちに人が流れた分淘汰された事業などもとても増えました。私たちもこれから淘汰される側にならないために今知らない新しい知識に対して真剣に取り組まないといけないと勉強になりました。
dojaneさん
2018年05月20日 08時39分
六角橋もそうだったな、地元で反対して衰退。ザマ無いね 反対者のAK澤はどうしたんだろ?
わにきちさん
2017年02月05日 12時54分
地元の有力者とか長老がアホだと悲惨な将来が待っているという典型ですね。声が大きいイコール正しいこではないという典型。これは今の時代にも当てはまる事だと思うので何でも反対する人達には気をつけなければと思います。長後では呉服屋のせいで寂れたって有名な話です。